7話「憎悪の果て」
リーバは、ラベライト王国から大きく東に逸れたグラデルバという小国で生まれた。
著名な芸術家を多数排出している家系に生まれたリーバは、モドキが故に疎まれつつもその絵の才能で生きることを許されていた。
食事は一週間に一度、地面に叩きつけられた残飯を貪り食い、泥水や雨水をこっそりと取って飲むような生活。
しかし、両親はリーバの絵を売り巨額の富を得ていた為、家族の生活は潤っていったのだがリーバの苦しい状況は何も変わらなかった。
潤沢に与えられるのは絵に関する物だけ。
キャンバス、紙、筆、絵の具、銀筆、消しパン(食べればバレて酷い折檻をくらっていた)、爪楊枝、岩絵具等。
他にも絵を学ぶための教材や、他の画家の作品や世界の景色のスケッチ集も時には与えられた。
しかし、与えられるのは絵に関するものだけなのだ。
毎日筆を握り、食事が足りないが故に朦朧とする意識をどうにか繋ぎ止め、絵を描く。
依頼人達にはリーバのことは偏屈な性質なのだと伝わっていたようで、依頼人に会わずとも大体の絵のイメージのみを伝えられ、それに沿って完全にオリジナルで描き上げていた。
しかし、そんな生活は長くは続かない。
否、リーバが破壊したのだ。
世界には石絵の具というものがある。
宝石を粉末になるまで擦り、油等と混ぜてその石の色を絵に載せられるようにできる絵の具のことだ。
例えばラピスラズリを顔料にした絵の具フェルメール・ブルーを使った『牛乳を注ぐ女』等が有名だろう。
その日、リーバは自分の思う色を作り出すために、とある赤い宝石を使って絵の具を作っていた。
ゴリゴリと擦る。
綺麗な粉末になるまで擦る。
そうして擦っている内に、リーバは慢性的な体調不良が故か鼻血が出てきてしまい、運悪くすり鉢の中に血が落ち、運悪く宝石と共に混ざりあってしまった。
血が入ったので新しく宝石が欲しい、などと言ったらどんな折檻を受けるのだろう。
そんな思いにより恐怖で竦んだ身は、血が入ったという事実を隠蔽することを選んでしまう。
そして、その絵の具を使って描いた赤き地平と夕日の絵は、絵を回収しに来たリーバの家族を焼き尽くし、屋敷すらも焼失させてしまった。
リーバ自身、家族が死ぬことを直接的に望んでいたわけではなかった。
知らず知らずの内に血を媒介にして絵の具に魔力が宿り、普段からの家族への憎悪と不満を受け取った絵が、リーバの家族を全て殺すという凶行に及んだのだ。
リーバは望んでいなかったし、そんな力を自分が持つとは知らなかった。
何故ならば、モドキが魔法なる力を使えるなど、教会の上層部の中の一部や聖女位しか知らない事実だからだ。
しかし、それでもリーバの力に感づく者はいた。
前々からリーバの絵を頻繁に購入していたある貴族が、ただ一人生き残ったリーバを買い取ったのだ。
元来、モドキの売買は禁止されているのだが、バレなければ問題ないという考えから一定の貴族の中では横行していた。
リーバを買い取った貴族もその内の一人であったのだ。
前と変わらず、言われた通りの絵を描く日々。
ただ一つ違うのは、描くように言われるのが依頼人の憎悪を込めた絵であること。
「隣の領地の貴族が邪魔だから、不幸が起こるようにして欲しい」
「彼奴がいなければ俺は一番なんだ。だから、試験の当日に来れないようにして欲しい」
最初はそんな、まだ軽い不幸を願う依頼だった。
「愛人が最近幅を効かせて邪魔だから、アイツを殺して欲しい」
「旦那様が、私が実家から連れてきた従者達を甚振って殺したの。あの人を出来る限り苦しめて殺して」
おかしくなったのは途中からだ。
死を願う依頼がどんどんと増えていった。
しかし、リーバは未だ気づいていなかった。
自身の絵が人を殺せるような力を持つなどということは。
両親の死も事故だと思いこんでいたのだ。
自身の持つ力に気づいてしまったのは最後の依頼人の女が助けて欲しいと駆け込んできたからだった。
顔を恐怖で歪ませ、体を震わせた女はリーバに会うなり縋り付いた。
「あ、あそこまでして欲しいだなんて望んでいなかったの!あ、あんな、あんな風に…お願いよ、どうにかして。屋敷をもとにもどして……」
悲鳴を押し殺すような声で願われたリーバは、その女の屋敷へと向った。
その屋敷にあったのは幾つもの死体。
顔を顰めながら見てみると、関節は本来曲がらない方向へと畳まれ、関節ではない場所が折り曲げられ、四肢はもがれている。
まだ生きているのかピクピクと体が震えているものすらあったが、どうやっても助けられないことは明白であった。
恐怖から来る声をどうにか押し殺して、全てを見捨てて絵があるという部屋まで向かう。
リーバが描いた絵は館の主人であった旦那の書斎にあると聞かされ、依頼主である夫人と共に一歩、また一歩と進み、遂に扉を開け放った。
丁度、扉を開ければ目に入る位置にその絵はあった。
額縁から血が滴り落ち、恐らく旦那だったのであろう存在が絵の中に収納されている。
その苦悶に歪む表情を見た瞬間、リーバは震えて動くことができなかった。
それ故、突如として絵から伸びた手に夫人が捕まり、折り畳まれて収納されていくのを見ることしかできなかったのだ。
「いだい”ッ!助けて、助けなさい!おまえ、このモドキが!化け物、悪魔ぁあああ!」
怨嗟の声をリーバへと吐き捨てた夫人は、そのまま旦那と仲良く同じクローゼットに収納された。
ふと視線に入った額縁から流れる血は、溢れる量が増えたように感じる。
どこか冷めた思考でリーバは考えていた。
早く逃げなくてはいけない。
しかし、逃げてしまえばこの惨劇の犯人として処刑されてしまう。
こんな殺し方、人間にもモドキにだってできやしないのに。
それでも貴族の家での犯罪は、明確な犯人が存在しなければならない。
つまり、地位の低いモドキで、丁度よくこの屋敷に居て、絵の依頼を受けたリーバは犯人として適任なのだ。
間接的に殺してはいるから犯人と言って差し支えないのだが、それでもリーバは自身にこんな力があるとは気づいていなかった為、どうすればいいのだと悩んでいた。
そんな風に悩んでいる間に、夫人を綺麗に整理整頓し終えたクローゼットは、リーバへと手を伸ばす。
「い、やだ。しにたくにゃい……!」
あまりの恐怖に腰が抜け、這いずりながら廊下を目指す。
しかし、やはりどうしても手が届くスピードの方が早く、リーバの体へと手が触れるその瞬間のことだった。
リーバが恐怖から叫ぶ。
「ち、ちかずくにゃ!おれから、は、はにゃれろぉお!」
涙を流し、震える声で叫んだ言葉に呼応するように、その手は動きを止める。
シュルシュルと伸ばしていた手を折り畳み、そして絵に描かれたクローゼットはその手を収納して扉を閉めた。
「ハッ…ハッ…。たすかった……?」
荒く息を吐き、リーバは絵を見つめる。
そして、あることを思いつくとまた喉を震わせた。
「て、をおれにょ、まえに」
怯えつつも告げたその瞬間、扉はまた開かれ、そして中から飛び出た手がリーバの前へと伸ばされた。
今起こった事象に、リーバは目眩がしそうだった。
自身の言うことを聞く、自身が描きあげた作品。
それは正しく、この惨劇の原因を作ったのはリーバであることを表している。
そうして真実を知ってしまったリーバは、その絵を無理やり額縁から取り出して屋敷から逃げ出した。
誰か生存者がいるかもしれない、とういう思考には蓋をし、駆け出す。
絵の大きさが頑張れば片手で抱えられる大きさだったのも幸いし、誰にも見つからずに屋敷から逃げ出すことができた。
逃げ出した先で芍薬と出会い、芍薬の助力があってリーバはラベライト王国へと逃げ出したのだった。
今、リーバ達が住んでいる屋敷も元はリーバが描いた絵であった。
何日も何日も絵の具に魔力を込め、こんな家で暮らしたい、幸せになりたい、そんな気持ちを込めて描いた作品。
絵の中に引きずり込まれるものだと思っていたのだが、完成してみればその屋敷が現実世界と地続きにできてしまった。
それを見て、魔力を多大に込めるとこうなるのかとリーバは理解する。
地続きの屋敷を見た芍薬も大層驚いたが、これ幸いとこの屋敷にそのまま住まうことにした。
そう、つまりこの屋敷はリーバの絵であり、この屋敷の中、庭も含めた敷地内で起こる全ての出来事はリーバへと報告される。
それ故、魔族達は死角から攻撃しようにも為す術なく倒されてしまったのだった。
合計十体の魔族を相手取ったリーバは、自身が倒すべき魔族が居なくなった事を確認すると、芍薬の方へと視線を向ける。
「いつも戦うにょは苦手って言うけど、そんにゃことないよにゃ。やっぱ」
視線の先には、リーバが相手取った魔族よりも強そうな十体の魔族を相手に、悠々と戦うリーバの姿があった。
◇◆◇
リーバが庭に現れてすぐ、魔族達が庭に近づくよりも先に芍薬は、ディガーバニーを討伐した日に飲んだ薬四種改を飲んでいた。
前回よりも効果時間を伸ばした薬は、それぞれ反射神経強化、身体能力強化、魔力増加、ついでに酔い止めといった効果を持つ。
しかし、効果時間を伸ばしたが為に前よりも味は苦く、予想ではあるが副作用も酷いものへと変化しただろう。
そんな事情は魔族達に微塵も感じさせない立ち回りをしながら芍薬は戦っていた。
「雷亥葬嶽……!」
「クソッ、無駄に早い!」
「動きがムカつくぞ!?待ておま、グハッ!」
雷を身に纏い、庭中を駆け巡って魔族を翻弄する芍薬。
完全に雷速と同じとまではいかないが、目で追うことが難しい速度で駆け回る芍薬に対し、魔族達は悪態をつきながらもそれぞれの魔法を放つ。
光の矢が飛び、どこからともなく芍薬の頭上に現れた岩が地面に迫り、更に白い火煙が捉え捕まえようとするが、その全てを芍薬は打ち砕いた。
光の矢は握りつぶされ、頭上の岩は打ち砕かれ、白い火煙は天より落ちた雷により霧散する。
「あ”あ”あ”あ”!?」
「貴様、その手を離せぇええ!」
「嫌なのである。我のモノに手を出そうとしておいて、生きて帰れると思うな、なのだ」
火煙の魔法を使っていた魔族の頭を握りつぶさんと、芍薬は力を込めるが隊長と呼ばれていた魔族の登場により頭から手を離さざるはめになった。
いつの間に庭に侵入していた四体の狼を従えた隊長が、芍薬へと狼たちをけしかける。
「知恵の無き獣風情が我に触れようとするなど、恥を知るがいい!」
四体の狼が芍薬を囲み、連携して攻撃を仕掛けてくるが芍薬は華麗に全ての攻撃を避け、逆に的確に胴体や頭に一撃を加えた。
キャインッ、と一言鳴いたかと思うと倒れ伏していく狼達。
狼を全て倒し、隊長とやらは何をしているのだと目を向けた瞬間だった。
「トゥレント・ブブレ!」
地面に手をつき、周囲に無数の水の泡を浮かばせた隊長が何事か叫ぶと、その水の泡が弾けて、また更に複数の水泡へと増え、芍薬を襲う。
たかが水だと思った芍薬はガントレットの硬い拳で水を払おうとした。
「...…はあ?!」
芍薬は驚愕に目を見開く。
拳で触れた水泡がパァンッ、という破裂音と共に爆ぜ、そして芍薬の頬を掠めて血を流させたのだ。
たかが水だと侮っていたが故の動揺を即座に見抜いた隊長は鼻で笑い、芍薬へと鋭い視線を向ける。
「この水泡をただの水と思ったのか。随分と貴殿は戦い慣れしておらなんだ」
「...…ただの魔族風情が。我を、瀬織津芍薬と知っても尚その無駄口を叩くか」
「…!瀬織津、だと?!」
芍薬の出した名に驚き、すぐに生き残っている部下達に撤退命令を出す隊長。
しかし、その命令を出すのは雷の速さの前には、ほんの少し遅かった。
「其は殷殷たる、繹繹たる、恐恐たる、喧喧たる、轟轟たる。我は其の写し身。我は其の体現者。我が身を糧とし、其の天雷を現界せん」
一つ、言っておこう。
正しく芍薬は見栄を張った。
自身が名を連ねることを許されているオリエント地方の名家、瀬織津家の名を出したのは、実際戦い慣れしていないからだ。
知る人ぞ知る、といえば聞こえがいいが、知っている者は皆、”それ”に手を出してはいけないと言う名家。
瀬織津家とは、触れてはいけぬ深淵とも言える一族なのである。
家の権力で怯えさせるために名前を出したが、本当に戦い慣れをしていなくとも芍薬は強い。
戦いをあまり知らぬが故に戦場での判断ミスをすることも多々あるし、上手く動けぬことも多いが、それでも殲滅性能という点ではこの屋敷にいる誰よりも強いのだ。
それは、至厄舟が一人、ヒヨドルを倒したリンよりも。
魔族達は芍薬が詠唱を終えた時、見上げた空に天を駆ける龍の姿を幻視した。
「あ、れは...…?」
疑問を抱いた瞬間に、天から堕ちた幾つもの雷によって、生き残った魔族達は全て消し炭にされることになった。




