↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/10

第八話 帰りたいか

病が、戻ってきた。


三日目の朝、隣村から使いが来た。倒れた者が、また出た。ハルドでも、その日のうちに二人が咳をし始めた。


「起きたからだ」


オズワルドは、そう言った。


「眠っていた頃は、少しずつしか引かなかった。今は、起きている。『帰りたい、死にたくない』と叫んで、そのぶん、周りから声を引く。病はそれだ。人の声が、あそこに引かれていく」


俺は村を回った。一人一人、枕元で唱えた。効く。一時的には。


夕方、七人目を癒やしたとき、返ってきた光の中に、音が混じった。


——毒ヲ持ツ蛇ニ噛マレタ、右足首ノ傷ヲ癒ヤス。


俺の声だった。初めてこの村で唱えた、あの言葉。平坦な、俺の声が、返ってきた言葉の中に混じっていた。


手が止まった。


俺の言葉が、あそこで鳴っている。オズワルドの言った通りだった。そして、鳴っている俺の言葉は、俺が唱えるたびに、返ってくる言葉に混ざるようになっている。


まだ、狂いにはなっていない。だが、これが増えれば——


「休め」


戸口に、あの母親が立っていた。手に、椀を持っている。


「食ってから、次に行きな。倒れられたら、誰が戻すんだい」


椀の中は、麦の粥だった。俺は、黙って受け取った。



その夜、オズワルドと二人で、村長の家の縁に座った。


「帰りたいか」


老人が、唐突に聞いた。


「向こうに。……戻る方法があるとしたら」


俺は、少し考えた。それから、正直に言った。


「帰りたくないです」


「ほう」


「向こうで、俺の言葉は、誰の役にも立っていなかった。少なくとも、俺にはそう見えていた。ここでは……」


言いかけて、やめた。ここでは役に立っている、と言うには、フィオナが眠ったままだった。


「俺は、帰りたかった」


老人が言った。


「四百年前、来て、すぐに探し始めた。戻る方法を。残響に何度も聞いた。答えは返らなかった。狂いばかり返ってきた。……そのうち、体が老い始めて、怖くなった。見つける前に死ぬのが」


「それで……」


「それで、頼んだ。『死なない体をくれ』。見つけるまで、死ぬわけにはいかなかった。……見つけるまで、と言えばよかったんだ。それだけで、終わりがあった」


彼は、夜空を見上げた。月が出ていた。あの夜の、ただ黒いだけの空ではなかった。


「二百年ほど探して、やめた。塔に籠った。聞くだけにした。……お前の前にも一人、来たことがある。二百年ほど前だ。澄んだ声だった。だが、俺は塔から出なかった。あいつは、狂いに呑まれて死んだ」


「……」


「今度は、出た。それだけの違いだ」


長い沈黙があった。


「ハルト」


俺は、彼の名前を呼んだ。老人が、こちらを見た。


「終わらせるのは、あなたにしかできない。俺が『終われ』と頼んでも、残響は俺の声を混ぜて返すだけだ。あなたの詠唱は、あなたの声でしか、閉じられない」


「……分かっている」


「頼めば、あなたの声が、また足される」


「分かっている」


「それでも」


「涼」


老人は、笑った。今度は、飄々とした方の笑いだった。


「四百年、何も言わずにいたんだ。一言くらい、言わせろ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。