第八話 帰りたいか
病が、戻ってきた。
三日目の朝、隣村から使いが来た。倒れた者が、また出た。ハルドでも、その日のうちに二人が咳をし始めた。
「起きたからだ」
オズワルドは、そう言った。
「眠っていた頃は、少しずつしか引かなかった。今は、起きている。『帰りたい、死にたくない』と叫んで、そのぶん、周りから声を引く。病はそれだ。人の声が、あそこに引かれていく」
俺は村を回った。一人一人、枕元で唱えた。効く。一時的には。
夕方、七人目を癒やしたとき、返ってきた光の中に、音が混じった。
——毒ヲ持ツ蛇ニ噛マレタ、右足首ノ傷ヲ癒ヤス。
俺の声だった。初めてこの村で唱えた、あの言葉。平坦な、俺の声が、返ってきた言葉の中に混じっていた。
手が止まった。
俺の言葉が、あそこで鳴っている。オズワルドの言った通りだった。そして、鳴っている俺の言葉は、俺が唱えるたびに、返ってくる言葉に混ざるようになっている。
まだ、狂いにはなっていない。だが、これが増えれば——
「休め」
戸口に、あの母親が立っていた。手に、椀を持っている。
「食ってから、次に行きな。倒れられたら、誰が戻すんだい」
椀の中は、麦の粥だった。俺は、黙って受け取った。
*
その夜、オズワルドと二人で、村長の家の縁に座った。
「帰りたいか」
老人が、唐突に聞いた。
「向こうに。……戻る方法があるとしたら」
俺は、少し考えた。それから、正直に言った。
「帰りたくないです」
「ほう」
「向こうで、俺の言葉は、誰の役にも立っていなかった。少なくとも、俺にはそう見えていた。ここでは……」
言いかけて、やめた。ここでは役に立っている、と言うには、フィオナが眠ったままだった。
「俺は、帰りたかった」
老人が言った。
「四百年前、来て、すぐに探し始めた。戻る方法を。残響に何度も聞いた。答えは返らなかった。狂いばかり返ってきた。……そのうち、体が老い始めて、怖くなった。見つける前に死ぬのが」
「それで……」
「それで、頼んだ。『死なない体をくれ』。見つけるまで、死ぬわけにはいかなかった。……見つけるまで、と言えばよかったんだ。それだけで、終わりがあった」
彼は、夜空を見上げた。月が出ていた。あの夜の、ただ黒いだけの空ではなかった。
「二百年ほど探して、やめた。塔に籠った。聞くだけにした。……お前の前にも一人、来たことがある。二百年ほど前だ。澄んだ声だった。だが、俺は塔から出なかった。あいつは、狂いに呑まれて死んだ」
「……」
「今度は、出た。それだけの違いだ」
長い沈黙があった。
「ハルト」
俺は、彼の名前を呼んだ。老人が、こちらを見た。
「終わらせるのは、あなたにしかできない。俺が『終われ』と頼んでも、残響は俺の声を混ぜて返すだけだ。あなたの詠唱は、あなたの声でしか、閉じられない」
「……分かっている」
「頼めば、あなたの声が、また足される」
「分かっている」
「それでも」
「涼」
老人は、笑った。今度は、飄々とした方の笑いだった。
「四百年、何も言わずにいたんだ。一言くらい、言わせろ」




