第五話 鳴り続ける声
夜が明けると、村の空気が変わっていた。
フィオナが目を覚まさないことは、朝には村中に知れ渡っていた。病が止まったことも。その二つが同じ瞬間に起きたことも。
「……余所者が来てから、だ」
村長の家の前に集まった村人の中から、誰かがそう言った。最初は小さな声だった。だが二度目は、はっきりと聞こえた。
「余所者が来て、フィオナ様より強い詠唱を使うようになって、それから病が来た。フィオナ様が倒れたら、病が止まった。……フィオナ様を、差し出したんじゃないのか」
蛇に噛まれた子供の母親だった。あの日、俺を睨みながら「試させてくれ」に頷いた女だ。
何も言えなかった。差し出した、は違う。だが「俺の声が起こした」は、本当だ。
「違う」
言ったのは、俺ではなかった。
戸口に、オズワルドが立っていた。村人たちが一斉に息を呑む。塔の主が村にいるという事実は、朝の光の中で見ると、夜よりずっと異様だった。
「病を起こしたのは、この男ではない。止めたのも、この男ではない。……四百年前に、この村の誰も生まれていない頃に、俺が投げた言葉のせいだ」
村人たちは、意味が分からない顔をした。だが塔の主が「俺のせいだ」と言った、その部分だけは伝わった。
「フィオナは戻せる。戻すにはこの男の声が要る。この男を追い出せば、フィオナは戻らん。……それだけ覚えておけ」
それだけ言って、彼は家の中に戻った。村人たちは黙って散った。納得したのではない。ただ、逆らう相手を間違えたくなかっただけだ。
*
「昨夜、答えなかったな」
家の中で、オズワルドは自分から切り出した。
「なぜ俺が頼まないのか。……頼めないわけじゃない。頼まないんだ」
「理由を、聞いてもいいですか」
「頼むたびに、俺の声が残響に足される。あそこで鳴っている二十九歳の俺の声が、今の俺の言葉を覚えていく。四百年前、それに気づいた。俺が残響に何かを頼むたびに、俺は残響に、俺を教えていた」
——ファインチューニング、という言葉が浮かんだ。生前、モデルに追加の言葉を覚え込ませて作り変えるやり方を、そう呼んでいた。
「だから、やめた。四百年、一度も頼んでいない。聞くことだけは、やめられなかったがな。お前の声も、塔で全部聞いていた。澄んでいて、気持ちのいい声だった。……何百年ぶりに、同業者に会った気がした」
彼は、俺を見た。
「涼。お前の言葉も、もう残響の中だ」
背筋が冷えた。
「この村で、お前が投げた言葉は全部、あそこで鳴っている。澄んだ声ほど、よく残る。……お前は、俺と同じことをしている。俺より、ずっと上手に」
反論できなかった。俺は、条件を丁寧に組むことが「正しい」と信じてきた。丁寧な言葉ほど、消えずに残るのだとしたら——俺は四百年前のこの男と、同じ道を歩いている。
「戻し方を、教えてください」
「教える前に、一つ試せ。小さくでいい。あの娘のことを、残響に聞いてみろ」
俺はフィオナの枕元に膝をついた。声は小さくていい。届く範囲でいい。言葉だけ、澄ませる。
「——ここに横たわる女性、フィオナの、今の状態を教えてほしい。体ではなく、声のことを。返せる範囲で、正確に」
手のひらが熱くなる。
返ってきたのは、いつもの金色の光ではなかった。光ではなく、音だった。無数の声が重なった、遠い潮騒のようなもの。その中に、一つだけ、知っている声があった。
——……涼、さん?
息が止まった。
——ここ、暗いです。……誰かが、私の手を、掴んでて。
それきり、声は潮騒に呑まれた。
フィオナは寝台の上で、目を閉じたままだった。だが今、確かに、彼女は俺の名を呼んだ。
「聞こえたな」
オズワルドが、静かに言った。
「あの娘の声は、生きている。あそこで、鳴っている。……そして、二十九歳の俺の声が、その手を掴んでいる」




