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第二話 問いかけの精度

村での噂は、思ったより早く広まった。


「あの余所者、フィオナ様より強い治癒の詠唱を使ったらしい」

「いや、強いだけじゃない。狂いもせず、一発で決めたって話だ」


数日のうちに、俺のもとには次々と頼み事が持ち込まれるようになった。


「腰の筋を痛めてしまってな……若い頃のようにはいかんもんだ」


そう言って苦笑する老人には、年齢を考慮して数日かけて緩やかに、と条件を添えた。翌日には軽い足取りで畑に出ていたと聞いた。


乳の出が悪くなった母牛の世話を頼まれたときは、少し悩んだ。動物にも効くのか半信半疑だったが、条件を丁寧に組み立てれば、結果はちゃんとついてきた。井戸に落として割れた壺を直してほしいと言われたときは、さすがに苦笑いした。「それは詠唱じゃなくて、陶工の仕事だと思うけど」——それでも試しにやってみたら、思いのほか綺麗に直ってしまって、逆に自分が驚いた。


一つ一つ、丁寧に条件を組み立てる。生前の癖がそのまま活きた。曖昧な指示を投げて祈るような真似はしない。目的、対象、制約、期待値。それだけで、この世界の魔法使いたちが何十年もかけて磨く精度に、あっさり手が届いてしまう。


ただ、一つだけ分かったことがある。


俺の声は、遠くまで届かない。


村の反対側で足を折った馬を、その場に行かずに癒やそうとしたとき、何も返ってこなかった。手のひらは熱くもならなかった。歩いて馬の傍まで行き、同じ言葉を唱えたら、あっさり効いた。


その翌朝、村外れの家の前を通りかかって、足が止まった。蛇に噛まれた、あの子供の家だった。


戸口が開いていて、中にフィオナがいた。熱を出した子供の枕元に座り、額に手を当てている。詠唱している様子はない。ただ、手を当てている。


「……朝までああしてた」


隣で薪を割っていた父親が、聞きもしないのに言った。


「夜のうちに三回唱えて、一回しか効かなかった。それで、効かなかったぶんは自分の手で、って。……毎度のことだ」


俺なら、三分で終わる。条件を組めば、一回で済む。だが、効かなかったからといって朝まで額に手を当てることは、俺にはできない気がした。それは詠唱の技術とは、別のものだった。


その日の夕方、フィオナの方から声をかけてきた。初めて会った日、俺に向けていたあの値踏みするような目は、今はどこか眩しいものを見るような目に変わっている。馬のことを話すと、彼女は頷いた。


「それが『声の大きさ』です。響き様に届く声の大きさは、生まれつき決まっているんです。大きい人は遠くまで、小さい人は目の前だけ。私は……声だけは大きいって、組合の先生に言われました。でも、濁ってるって」


「濁ってる?」


「狙った通りに返ってくることなんて、十回に三回あれば良い方で。十五の頃から四年、修行して、それでもです」


彼女は自分の手のひらを見つめた。


「涼さんの声は、小さいのに澄んでる。届く範囲では、一度も外さない。……一体どういう修行を?」


「修行っていうか……まあ、慣れ、かな」


慣れ、で済ませるにはあまりに便利すぎる自覚はあった。だが正直に「異世界から来た元エンジニアで、生前は毎日AIに指示を出す仕事をしていた」と説明したところで、信じてもらえる気がしなかった。


「今度、私にも教えてもらえませんか。詠唱の……その、組み立て方、というか」


「ああ、もちろん」


軽く頷きながら、心のどこかで小さな満足を覚えている自分がいた。誰かに頼りにされる。尊敬の眼差しを向けられる。生前は一介の会社員でしかなかった俺にとって、それは正直、悪くない感覚だった。


その日の夜だった。


「——魔獣だ! 森から魔獣が下りてきた!」


叫び声で飛び起きた。表に出ると、村の柵の一角が破られ、巨大な猪のような魔獣が暴れていた。片方の後ろ足を引きずり、目は血走っている。怪我をして、痛みで我を忘れているのだと、一目で分かった。


「殺すしかない! 弓を持ってこい!」

「待って、それじゃ間に合わない!」


フィオナが叫ぶ。彼女の声なら届く。だが濁った声で大物を止めようとすれば、何が返ってくるか分からない。村人たちが弓や鍬を手に取ろうとする中、俺は前に出た。柵まで十歩。俺の声でも届く距離だ。


殺すのは簡単だ。だが、それでいいのか。頭の中で、条件を急いで組み立てる。急いでいるからこそ、慎重に。


「——痛みで暴走している魔獣を鎮める。攻撃ではなく拘束。後ろ足の傷を刺激しないよう、地面から蔦で全身を包み、動きを封じる。周囲の人間には一切被害を及ぼさない範囲で」


手のひらが熱くなる。地面が震え、無数の蔦が地を這うように伸びて、魔獣の巨体をあっという間に絡め取った。暴れていた魔獣は数度身をよじったが、じきに力尽きたように動きを止めた。


しん、と静まり返った村に、誰かの安堵の息が漏れた。


「……殺さずに、止めたのか」


村長が呆然と呟く。フィオナは口元に手を当てたまま、俺の方を見つめていた。その目には、もう警戒の色は欠片も残っていなかった。


「涼さん……あなた、本当にすごい人なんですね」


その言葉に、素直に頷いた。今回もうまくいった。声が届きさえすれば、条件さえ正しく組めば、返ってこないものはない——いつの間にかそう思い始めている自分に、その夜の俺はまだ、気づいていなかった。


村人たちの拍手と歓声に包まれながら、俺はただ、悪くない気分でいた。


その歓声の中に、一人だけ、笑っていない男がいた。


破られた柵の隙間から、息を切らして入ってきた、見知らぬ男。泥だらけの足で、村長の前まで来て、膝から崩れた。


「隣村の者だ」村長が言った。「……どうした」


男は、しばらく息を整えてから、顔を上げた。


「病だ。原因の分からない病が、うちの村で出てる。……もう、四人死んだ。詠唱師様を、貸してくれ」


歓声が、少しずつ、止んでいった。


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