第一話 詠唱はプロンプトである
転生先の魔法は、俺が生前、毎日やっていた仕事と同じ仕組みで動いていた。
そのことに、この世界の誰も気づいていなかった。
*
残業終わりのコンビニ弁当を温めている間に、俺はスマホの画面を睨んでいた。
「もう少し、簡潔に。箇条書きで、専門用語は使わないで」
三十七回目の修正指示だった。天野涼、二十九歳。肩書はシステムエンジニアだが、この半年でやっていることの九割は生成AIへの指示出しだ。同僚には「プロンプトおじさん」と呼ばれている。悪い気はしない。むしろ得意分野だった。どう聞けば、どう返ってくるか。その感覚だけは、社内の誰よりも磨いてきた自負がある。
ただ、その返ってきた文章が最終的に誰の役に立っているのかは、正直、もう何年も分からないままだった。
レンジが鳴る前に、視界が真っ白になった。
次に目を開けたとき、俺は見知らぬ森の中に横たわっていた。
*
状況を理解するまでに、丸一日かかった。倒れているところを拾ってくれた行商人の老人によれば、ここはフェルダ大陸の東の端、ハルドという村の近くらしい。老人の言葉は日本語ではない。なのに、意味だけが頭の中で勝手に組み上がっていく。異世界転生ものというジャンルに、生前さんざん触れてきた身としては察しがついた。ああ、これはそういうやつだ、と。
村に着いて、まず目にしたのは「治療」の光景だった。
怪我をした若い猟師を囲んで、村の魔法使いらしき女性が両手をかざし、何事かをぼそぼそと唱えている。
「癒やせ……傷を、癒やせ……どうか……」
祈るような、すがるような詠唱だった。淡い光が手のひらに灯る。だが光は不安定に明滅し、一瞬、傷とは何の関係もない猟師の肩口が焼けたように赤く腫れた。
「……また『狂い』だ」
誰かが小さく呟き、周りの村人が身をすくめた。女性は慌てて詠唱をやり直したが、傷は半分ほどしか塞がらず、彼女は肩で息をしながら崩れ落ちた。
「フィオナ様、また声切れですか」
「すみません……声が、届かなくて……」
届かない。その言葉が引っかかった。それに、あの肩口の腫れ。頼んでもいないものが、勝手に返ってきた。
ふと視線を感じて顔を上げると、フィオナと呼ばれた女性が、青ざめた顔のまま余所者の俺をじっと見ていた。値踏みするような、警戒するような目だった。
夜、村の子供たちに聞いた話をまとめると、こうだった。
この世界には「響き様」がいる。姿はない。だが、今までに誰かが唱えた言葉を、ぜんぶ覚えている。お願いごとを唱えると、響き様がそれを聞いて、返してくれる。返ってきた言葉は本当になる。上手な人はちゃんと言えるけど、下手な人はあいまいにしか言えない。あいまいだと、響き様が聞き取れなかったところを勝手に埋めて返してくる。それが「狂い」。
「だから、響き様にお願いするときは、ちゃんと言わなきゃだめなんだよ」
七つくらいの女の子が、大人みたいな顔で言った。
——それ、プロンプトじゃないか。
心臓が跳ねた。生前の記憶が一気に繋がっていく。「癒やせ、傷を、癒やせ」という詠唱は、目的も条件も対象も曖昧なままAIに丸投げする、駆け出しが一番やりがちな失敗パターンそのものだった。
そして村人たちが「狂い」と呼んで怯えているあれは、曖昧な頼みごとに対して、"それらしい何か"が勝手に補われて返ってきているだけだ。生前、嫌というほど見た光景だった。俺たちはそれを、ハルシネーションと呼んでいた。
覚えている、というのも引っかかった。今までに唱えられた言葉を全部覚えている何か。それは、学習済みのモデルそのものだ。返ってくるのは俺の声じゃない。俺の声と、この世界で今まで唱えられた無数の声が混ざったもの。
この世界の誰も、そのことに気づいていない。
数日後、村外れで蛇に噛まれた子供が運ばれてきた。フィオナは隣村に呼ばれていて不在。他に響き様に届く声を持つ者はいない。
俺は迷わず前に出た。
「余所者が何を……治療の詠唱なんて、使えないんでしょう?」
子供の母親らしき女が、俺を睨むように言った。
「使えるかどうかは分からない。でも試させてくれ」
膝をつき、傷口に手をかざす。頭の中で、いつもの癖で条件を組み立てていく。目的、対象、制約、期待する結果。生前、数えきれないほど繰り返してきた作業だ。
「——毒を持つ蛇に噛まれた、右足首の傷を癒やす。出血を止め、毒素を中和し、腫れを引かせる。痛みは最小限に。子供の体力を考慮し、無理のない速度で」
言い終えた瞬間、手のひらが焼けるように熱くなった。
淡い光どころではない。眩いばかりの金色の光が傷口を包み込み、みるみるうちに腫れが引いていく。子供の顔から苦痛の色が消えていった。
周囲がどよめいた。
「な、なんだ今の……」
「フィオナ様より、強い……?」
俺自身が一番驚いていた。同時に、確信もあった。
——この世界の魔法は、間違いなく「あれ」と同じ仕組みで動いている。
そして生前の俺は、それを操ることにかけては、誰にも負けるつもりはなかった。
*
森の奥、遠く離れた塔の一室で、古びた書物を読んでいた老人がふと顔を上げた。
「……ほう」
窓の外を見る。小さな村がある方角だった。
「何百年ぶりだ。こんなに澄んだ声は」
彼は書物を閉じ、しばらく黙っていた。それから、誰にともなく呟いた。
「面白くなってきたな」




