表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

234/243

コロニー進入中……

 シホはホバーカートを押し、コロニーの内部通路を歩く。


 シホは、自分の巨乳が好きだった。

 愛する烈火が、『巨乳好き』だと知っているから……というのも大きい。

 だが、それ以上に、実用的な理由がある。


 男という生き物は、目の前に豊満な胸があれば、必ずそちらへ視線を奪われる。

 顔をじろじろと見られることがないので、潜入任務において、これほど都合の良い隠れ蓑はないのだ。


「フフッ……」


 シホは内心でほくそ笑みながら、堂々と歩を進めた。


 コロニーの内部は、ノヴァ・ドミニオンらしく、冷たく無機質な強化樹脂とガラスで構成されていた。

 壁は殺風景なグレーばかりで、照明の白い光が、等間隔で通路を照らしている。


 すれ違うのは、白衣を着て端末を睨みつけながら早足で歩く研究員。

 反対には、だるそうに欠伸を噛み殺す下っ端の作業員たち。


 誰も彼もが、気だるげで、周囲の景色など気にも留めていない。


 シホは、「規定の搬入ルート」など、端から無視して進んでいた。

 不審がられないか、と素人は思いがちだが、シホのようなプロは違う。

 

 普段、自分が仕事をしている最中に、廊下を歩いている人間をいちいち気にするだろうか?

 作業着を着て、台車を押している人間がいれば、誰もが「ああ、何か運んでいるな」と思うだけだ。

 それがまさか、敵国のスパイで、箱の中にトップエースの暗殺者が潜んでいるなどと、誰が疑うだろう。


 シホは、すれ違う作業員に軽く会釈すらしてみせる。

 相手はシホの胸元にチラリと視線を落とし、だらしなく笑い返してきた。


((よし。警戒レベルは最低ですね))


 誰にも疑われることなく、シホは目標のBブロックへと続くエレベーターホールに辿り着いた。


「開」のボタンを押すと、重厚な扉が静かに開く。

 誰も乗っていないことを確認し、シホはカートごと乗り込んだ。


「行き先は、地下の廃棄区画……」


 シホがパネルを操作しようとした、その時。


「待ってくれ! 俺も乗る!」


 駆け足の足音と共に、一人のノヴァ兵士がエレベーターに滑り込んできた。


「ふぅ……危なかった」


 兵士は息を吐き、シホに向かって軽く片手を上げる。


「あ、すみません。地下の居住区まで頼むよ」

「……はい」


 シホは愛想よく頷き、目的の階のボタンを押した。

 エレベーターの扉が閉まり、箱はゆっくりと降下を始める。


 密室の中、シホとノヴァ兵士、そして烈火たちの潜む箱だけが残された。

 兵士はシホの作業着の胸元をチラチラと見ながら、気さくに話しかけてきた。


「見ない顔だね。新入り?」

「ええ、まあ。部品の搬入で少し迷ってしまって」

「ははっ、このコロニーは構造が複雑だからね。……それにしても、随分と大きな箱だ。何が入ってるんだい?」


 兵士が、無造作にカートの箱へ手を伸ばす。


「ッ!」


 シホの表情が強張り、箱の中の烈火も筋肉を緊張させた。


 兵士の手が、箱の留め具に触れようとした瞬間。


 バチィッ!!


「ぐ、アァッ……!?」


 シホが素早く懐から取り出したスタンガンが、兵士の首筋に深々と押し当てられていた。

 けたたましい放電音と共に、兵士は白目を剥き、崩れ落ちるようにエレベーターの床に倒れ伏す。


「ふぅ……間一髪でした」


 シホはスタンガンを仕舞い、小さく息を吐いた。

 このエレベーターが向かうBブロックの地下区画は、すでに研究員が全滅して実質的に放棄されている。

 通常の見回りルートからは外れており、この兵士は、たまたま配置されていた数少ない警備の交代要員だったのだろう。

 彼を無力化したことで、道中の障害はほぼ排除されたと言っていい。


 ガコンッ。


 箱の蓋が内側から跳ねのけられ、烈火が顔を出した。


「手際がいいな、シホ」


 烈火は素早く箱から這い出ると、リエンを抱き上げて床へ下ろす。


「ん……、ありがと」


 そして、気絶しているノヴァ兵の襟首を掴み、空になった箱の中へ乱暴に放り込み、蓋を閉めた。


「服を奪うか?」

「いえ、そのままで大丈夫です。私たちはすでに、『それらしい』格好をしていますから」


「……チッ」


 シホの言葉に、烈火は忌々しそうに舌打ちをする。


 烈火は現在、白衣に身を包み、いかにも神経質そうな『研究員』を装っている。

 そして、リエンが着ているのは──薄汚れた、無機質な灰色の貫頭衣。

 かつて彼女がノヴァの『実験体』として扱われていた時に着せられていた、囚人服のようなものだ。


「胸糞悪ィな」


 烈火は、リエンの細い腕に巻かれた、実験体番号のバーコードを見て、顔を歪めた。

 その瞳の奥には、リエンをこんな目に遭わせたノヴァに対する、獰猛な怒りが、ドス黒く渦巻いている。


「れ、烈火さん……落ち着いてください。あくまで変装ですから……」


 烈火から発せられる殺気に、少しだけ怯えたように後ずさるシホ。


「……れっか、だいじょうぶ」


 リエンは小さな手で、烈火の白衣の袖をきゅっと掴んだ。


「わたし、もうこわくない。……れっかが、となりにいるから」

「……ああ。そうだな。悪い、頭に血が上っちまった」


 リエンの言葉に、烈火は深く息を吸い込み、怒りを腹の底へねじ伏せた。

 白髪の頭を軽く撫でてやると、少女は安心したように目を細める。


「ん……」


 ポーン。


 無機質な電子音と共に、エレベーターの扉が開いた。


 そこは、先ほどまでの明るい通路とは打って変わって、ひどく薄暗く、埃っぽい空気が漂う区画だった。

 非常用のオレンジ色の照明だけが、不気味なほど静まり返った廊下を照らしている。


 かつて、リエンが地獄の「調教」を受けていた、ノヴァの生体実験区画。

 三人は、警戒を強めながら、暗闇の中へと足を踏み入れた。


 コツ、コツ、コツ───


 薄暗い廊下を、三人は慎重に進んでいく。


 非常灯のオレンジ色の光が、無機質なコンクリートの壁を不気味に照らし出している。

 空気は埃っぽく、そして何より、薬品の饐えたような悪臭が鼻を突いた。


「……ひどい臭いですね」


 シホは顔をしかめ、手元の端末でマップを確認しながら口を開いた。


「このBブロックは、かつて人間の潜在能力……『ネクスター能力』を強制的に引き出すための研究が行われていた区画です」

「ネクスターの能力を、強制的に?」


 烈火が眉をひそめる。


「ええ。……聞いた話ですが、ネクスターというのは、決して突然変異の『進化』ではないそうです」


 シホの言葉に、烈火は少し驚いたように目を丸くした。


「進化じゃねえ? じゃあ、なんだってんだ」

「本来、人間が持っていたはずの能力……『先祖返り』だそうです」


 シホは端末から視線を上げ、薄暗い廊下の先を見つめた。


「古代の狩人たちは、獲物を追う際、仲間と視線を交わすだけで複雑な意思疎通ができました。

 熟練の戦士は、刃を交える中で、言葉ではなく相手の筋肉の動きや気配から、思考を先読みしていた。

 ……そういった『第六感』や『直感』を極限まで研ぎ澄ますことができた者だけが、過酷な自然淘汰を生き残ってきたんです」


 それは、文明が発達し、言葉や機械に頼るようになった現代人が、長きにわたって失ってしまった能力。


「ネクスターとは、その眠っている古代の感覚を、脳の特定の領域を活性化させることで、現代に蘇らせた存在……らしいです」

「なるほどな。だからアニムスキャナーみたいな、直感的な操作と相性がいいってわけか」


 烈火は自分の両手を広げ、納得したように頷く。


「ですが、ノヴァのやり方は違います。彼らは、その眠っている能力を、薬物や電気信号、そして極限の恐怖によるストレスで、無理やりこじ開けようとした」


 シホの言葉を証明するかのように、三人の周囲には、ノヴァの狂気に満ちた研究の痕跡が、無残な姿で放置されていた。


 薄汚れたガラスケースの中には、管に繋がれたまま息絶え、ホルマリン漬けにされた少年の遺体。

 手術台の横には、頭蓋骨に直接突き刺すための、錆びついた無数の電極。

 そして、ひび割れた培養槽の中には、腐敗して緑色に変色した、複数の脳の組織が浮かんでいる。


 人の命を、単なる「部品」や「実験のデータ」としてしか扱っていない。

 吐き気を催すほどの悪意と狂気が、この放棄された区画には充満していた。


「……っ」


 リエンが足を止め、小さく震え始める。


 彼女の脳裏に、ここで受けた「調教」の記憶がフラッシュバックしているのだ。

 電磁ムチの痛み。冷たい手術台の感触。

 そして、役に立たなければ、あの培養槽の肉塊と同じように処分されるという、底知れぬ恐怖。


「リエン」


 烈火が、足を止めたリエンの前にしゃがみ込み。

 その小さな両肩を、しっかりと掴んだ。


「大丈夫だ。お前はもう、ここの部品じゃない。

 俺がいる。シホもいる。兎歌も、仲間たちも、みんないる」


 烈火の大きく温かい手が、リエンの冷え切った頬を包み込む。


「だから、思い出さなくていい。前だけ見てろ」

「れっ、か……」


 リエンは、烈火の瞳の奥にある、強くて優しい光を見つめ返した。

 その温もりに触れ、リエンの震えは、ゆっくりと、しかし確実に収まっていく。


「……うん。みんながいるから、こわくない」


 リエンは自らの意志で、一歩、前へと踏み出した。


「こっち。……データルームは、この奥」


 コツ、コツ、コツ───


 リエンの記憶は確かだった。

 複雑に入り組んだ研究区画の廊下を、少女は一切の迷いなく進んでいく。

 だが、目的のデータルームが近づいた、その時。


「待ってください。角の先に、人影が」


 シホが壁に背を預け、手鏡を使って先の様子をうかがう。

 放棄されたはずの区画だが、重要なデータルームの前には、一名だけ見張りのノヴァ兵が立っていた。

 手持ち無沙汰にスタンロッドを構え、欠伸を噛み殺している。


「チッ、面倒な。……俺に任せろ」


 烈火はシホとリエンを物陰に留まらせると、白衣の襟を正し、堂々とした足取りで角を曲がった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ