コロニー進入中……
シホはホバーカートを押し、コロニーの内部通路を歩く。
シホは、自分の巨乳が好きだった。
愛する烈火が、『巨乳好き』だと知っているから……というのも大きい。
だが、それ以上に、実用的な理由がある。
男という生き物は、目の前に豊満な胸があれば、必ずそちらへ視線を奪われる。
顔をじろじろと見られることがないので、潜入任務において、これほど都合の良い隠れ蓑はないのだ。
「フフッ……」
シホは内心でほくそ笑みながら、堂々と歩を進めた。
コロニーの内部は、ノヴァ・ドミニオンらしく、冷たく無機質な強化樹脂とガラスで構成されていた。
壁は殺風景なグレーばかりで、照明の白い光が、等間隔で通路を照らしている。
すれ違うのは、白衣を着て端末を睨みつけながら早足で歩く研究員。
反対には、だるそうに欠伸を噛み殺す下っ端の作業員たち。
誰も彼もが、気だるげで、周囲の景色など気にも留めていない。
シホは、「規定の搬入ルート」など、端から無視して進んでいた。
不審がられないか、と素人は思いがちだが、シホのようなプロは違う。
普段、自分が仕事をしている最中に、廊下を歩いている人間をいちいち気にするだろうか?
作業着を着て、台車を押している人間がいれば、誰もが「ああ、何か運んでいるな」と思うだけだ。
それがまさか、敵国のスパイで、箱の中にトップエースの暗殺者が潜んでいるなどと、誰が疑うだろう。
シホは、すれ違う作業員に軽く会釈すらしてみせる。
相手はシホの胸元にチラリと視線を落とし、だらしなく笑い返してきた。
((よし。警戒レベルは最低ですね))
誰にも疑われることなく、シホは目標のBブロックへと続くエレベーターホールに辿り着いた。
「開」のボタンを押すと、重厚な扉が静かに開く。
誰も乗っていないことを確認し、シホはカートごと乗り込んだ。
「行き先は、地下の廃棄区画……」
シホがパネルを操作しようとした、その時。
「待ってくれ! 俺も乗る!」
駆け足の足音と共に、一人のノヴァ兵士がエレベーターに滑り込んできた。
「ふぅ……危なかった」
兵士は息を吐き、シホに向かって軽く片手を上げる。
「あ、すみません。地下の居住区まで頼むよ」
「……はい」
シホは愛想よく頷き、目的の階のボタンを押した。
エレベーターの扉が閉まり、箱はゆっくりと降下を始める。
密室の中、シホとノヴァ兵士、そして烈火たちの潜む箱だけが残された。
兵士はシホの作業着の胸元をチラチラと見ながら、気さくに話しかけてきた。
「見ない顔だね。新入り?」
「ええ、まあ。部品の搬入で少し迷ってしまって」
「ははっ、このコロニーは構造が複雑だからね。……それにしても、随分と大きな箱だ。何が入ってるんだい?」
兵士が、無造作にカートの箱へ手を伸ばす。
「ッ!」
シホの表情が強張り、箱の中の烈火も筋肉を緊張させた。
兵士の手が、箱の留め具に触れようとした瞬間。
バチィッ!!
「ぐ、アァッ……!?」
シホが素早く懐から取り出したスタンガンが、兵士の首筋に深々と押し当てられていた。
けたたましい放電音と共に、兵士は白目を剥き、崩れ落ちるようにエレベーターの床に倒れ伏す。
「ふぅ……間一髪でした」
シホはスタンガンを仕舞い、小さく息を吐いた。
このエレベーターが向かうBブロックの地下区画は、すでに研究員が全滅して実質的に放棄されている。
通常の見回りルートからは外れており、この兵士は、たまたま配置されていた数少ない警備の交代要員だったのだろう。
彼を無力化したことで、道中の障害はほぼ排除されたと言っていい。
ガコンッ。
箱の蓋が内側から跳ねのけられ、烈火が顔を出した。
「手際がいいな、シホ」
烈火は素早く箱から這い出ると、リエンを抱き上げて床へ下ろす。
「ん……、ありがと」
そして、気絶しているノヴァ兵の襟首を掴み、空になった箱の中へ乱暴に放り込み、蓋を閉めた。
「服を奪うか?」
「いえ、そのままで大丈夫です。私たちはすでに、『それらしい』格好をしていますから」
「……チッ」
シホの言葉に、烈火は忌々しそうに舌打ちをする。
烈火は現在、白衣に身を包み、いかにも神経質そうな『研究員』を装っている。
そして、リエンが着ているのは──薄汚れた、無機質な灰色の貫頭衣。
かつて彼女がノヴァの『実験体』として扱われていた時に着せられていた、囚人服のようなものだ。
「胸糞悪ィな」
烈火は、リエンの細い腕に巻かれた、実験体番号のバーコードを見て、顔を歪めた。
その瞳の奥には、リエンをこんな目に遭わせたノヴァに対する、獰猛な怒りが、ドス黒く渦巻いている。
「れ、烈火さん……落ち着いてください。あくまで変装ですから……」
烈火から発せられる殺気に、少しだけ怯えたように後ずさるシホ。
「……れっか、だいじょうぶ」
リエンは小さな手で、烈火の白衣の袖をきゅっと掴んだ。
「わたし、もうこわくない。……れっかが、となりにいるから」
「……ああ。そうだな。悪い、頭に血が上っちまった」
リエンの言葉に、烈火は深く息を吸い込み、怒りを腹の底へねじ伏せた。
白髪の頭を軽く撫でてやると、少女は安心したように目を細める。
「ん……」
ポーン。
無機質な電子音と共に、エレベーターの扉が開いた。
そこは、先ほどまでの明るい通路とは打って変わって、ひどく薄暗く、埃っぽい空気が漂う区画だった。
非常用のオレンジ色の照明だけが、不気味なほど静まり返った廊下を照らしている。
かつて、リエンが地獄の「調教」を受けていた、ノヴァの生体実験区画。
三人は、警戒を強めながら、暗闇の中へと足を踏み入れた。
コツ、コツ、コツ───
薄暗い廊下を、三人は慎重に進んでいく。
非常灯のオレンジ色の光が、無機質なコンクリートの壁を不気味に照らし出している。
空気は埃っぽく、そして何より、薬品の饐えたような悪臭が鼻を突いた。
「……ひどい臭いですね」
シホは顔をしかめ、手元の端末でマップを確認しながら口を開いた。
「このBブロックは、かつて人間の潜在能力……『ネクスター能力』を強制的に引き出すための研究が行われていた区画です」
「ネクスターの能力を、強制的に?」
烈火が眉をひそめる。
「ええ。……聞いた話ですが、ネクスターというのは、決して突然変異の『進化』ではないそうです」
シホの言葉に、烈火は少し驚いたように目を丸くした。
「進化じゃねえ? じゃあ、なんだってんだ」
「本来、人間が持っていたはずの能力……『先祖返り』だそうです」
シホは端末から視線を上げ、薄暗い廊下の先を見つめた。
「古代の狩人たちは、獲物を追う際、仲間と視線を交わすだけで複雑な意思疎通ができました。
熟練の戦士は、刃を交える中で、言葉ではなく相手の筋肉の動きや気配から、思考を先読みしていた。
……そういった『第六感』や『直感』を極限まで研ぎ澄ますことができた者だけが、過酷な自然淘汰を生き残ってきたんです」
それは、文明が発達し、言葉や機械に頼るようになった現代人が、長きにわたって失ってしまった能力。
「ネクスターとは、その眠っている古代の感覚を、脳の特定の領域を活性化させることで、現代に蘇らせた存在……らしいです」
「なるほどな。だからアニムスキャナーみたいな、直感的な操作と相性がいいってわけか」
烈火は自分の両手を広げ、納得したように頷く。
「ですが、ノヴァのやり方は違います。彼らは、その眠っている能力を、薬物や電気信号、そして極限の恐怖によるストレスで、無理やりこじ開けようとした」
シホの言葉を証明するかのように、三人の周囲には、ノヴァの狂気に満ちた研究の痕跡が、無残な姿で放置されていた。
薄汚れたガラスケースの中には、管に繋がれたまま息絶え、ホルマリン漬けにされた少年の遺体。
手術台の横には、頭蓋骨に直接突き刺すための、錆びついた無数の電極。
そして、ひび割れた培養槽の中には、腐敗して緑色に変色した、複数の脳の組織が浮かんでいる。
人の命を、単なる「部品」や「実験のデータ」としてしか扱っていない。
吐き気を催すほどの悪意と狂気が、この放棄された区画には充満していた。
「……っ」
リエンが足を止め、小さく震え始める。
彼女の脳裏に、ここで受けた「調教」の記憶がフラッシュバックしているのだ。
電磁ムチの痛み。冷たい手術台の感触。
そして、役に立たなければ、あの培養槽の肉塊と同じように処分されるという、底知れぬ恐怖。
「リエン」
烈火が、足を止めたリエンの前にしゃがみ込み。
その小さな両肩を、しっかりと掴んだ。
「大丈夫だ。お前はもう、ここの部品じゃない。
俺がいる。シホもいる。兎歌も、仲間たちも、みんないる」
烈火の大きく温かい手が、リエンの冷え切った頬を包み込む。
「だから、思い出さなくていい。前だけ見てろ」
「れっ、か……」
リエンは、烈火の瞳の奥にある、強くて優しい光を見つめ返した。
その温もりに触れ、リエンの震えは、ゆっくりと、しかし確実に収まっていく。
「……うん。みんながいるから、こわくない」
リエンは自らの意志で、一歩、前へと踏み出した。
「こっち。……データルームは、この奥」
コツ、コツ、コツ───
リエンの記憶は確かだった。
複雑に入り組んだ研究区画の廊下を、少女は一切の迷いなく進んでいく。
だが、目的のデータルームが近づいた、その時。
「待ってください。角の先に、人影が」
シホが壁に背を預け、手鏡を使って先の様子をうかがう。
放棄されたはずの区画だが、重要なデータルームの前には、一名だけ見張りのノヴァ兵が立っていた。
手持ち無沙汰にスタンロッドを構え、欠伸を噛み殺している。
「チッ、面倒な。……俺に任せろ」
烈火はシホとリエンを物陰に留まらせると、白衣の襟を正し、堂々とした足取りで角を曲がった。




