人類と機械の対話 ブレイズの心
「ほな、さっそく最終チェックや。リエン、着替えてエルフィンに乗ってくれ」
「……わかった」
菊花の指示に、リエンは烈火の肩からするりと降りる。
すると、その場で迷いなく着ていた服の裾を掴み───
あっさりと脱ぎ始めた。
「おっ、と」
真っ白で華奢な肌と、小柄な体に不釣り合いなおっぱいの膨らみが露わになる。
とはいえ、烈火は慌てて目を逸らしたりはしない。
スラムでの生活や、野営の多い戦場において、着替えにいちいち羞恥心を抱く余裕など……なかった。
むしろ、怪我や痣がないかを確認するような、フラットな視線で見守っている。
((リエンちゃん、本当に無防備だなぁ……))
と、隣の兎歌が少しだけハラハラした顔をしている。
が、当のリエンは全く意に介する様子もなく、淡々とパイロットスーツへと袖を通していく。
極限のGから肉体を守るために作られた、タイトな特殊スーツ。
ジッパーを首元まで引き上げると、リエンは自分のヘルメットを抱え上げた。
そのヘルメットには、少女のパーソナルマークである、小魚とイソギンチャクの可愛らしいエンブレムが描かれている。
そしてその隣には、もう一つ。
牙を剥く獣の顔───
烈火の『ブレイズ・ザ・ビースト』と同じエンブレムのステッカーが、誇らしげに貼られていた。
リエンが自分のお小遣いで売店から買ってきた、大切なお揃いのマークだ。
リエンはヘルメットを深く被り、ワイヤーで吊るされたリフトに乗りこんだ。
そして、エルフィンの開かれた腹部───コックピットボールの中へと滑り込む。
「同調開始。……システム、オールグリーン」
リエンがアニムスキャナーに接続した瞬間。
エルフィンの巨体が、心臓の鼓動のような低い唸り声を上げた。
ズォォン……
計器類が次々と点灯し、水色の装甲の隙間から、赤いプラズマリアクターの光が漏れ出す。
だが、その直後。
リエンの脳裏に、ノイズとも違う『奇妙な感覚』が流れ込んできた。
「───ッ」
視界が白く染まる。
格納庫の喧騒が遠のき、気づけばリエンは、炎のように暖かく、赤い光に満ちた精神世界に立っていた。
「……ここ、どこ?」
首を傾げるリエン。
すると、少女の目の前に『意思』の塊が形作られていく。
言葉ではない。
だが、極めて明確な感情の奔流として、それはリエンの精神波に直接語りかけてきた。
『――オウ、新入り。お前が新しい相棒か』
野性的で、荒々しく、しかし不思議なほどの頼もしさに満ちた『気配』。
それは間違いなく、エルフィンの胸の中で脈打つ赤いプラズマリアクター……かつてのブレイズの意思だった。
「……あなたは、だれ?」
精神波で問い返すリエン。
すると、その気配は誇り高く、獰猛に笑ったように感じられた。
『俺は、烈火の魂と共に戦い、地獄を越えてきた獣の心臓だ! 今は名前がないがな。
これからはお前のために、この炉心を熱く燃やしてやる』
ブレイズの意思は、リエンの脆弱な精神を包み込むように、力強く、そして優しく寄り添ってきた。
ノヴァの冷たい実験施設では決して感じられなかった、圧倒的な『命』の熱量。
生き物ですらないのに、生きていた。
『怯えるな、小せえの。俺の炎は、お前を焼くためじゃねえ。
お前の往く道を、切り開くためのもんだ』
「……あたたかい」
リエンは、その赤い気配に向かって、そっと小さな両手を伸ばす。
兵器の部品として扱われてきた自分を、対等な「相棒」として迎え入れてくれる存在。
その確かな温もりに触れ、リエンの心に、新たな力が宿っていくのを感じていた。
『──お前の心音、しかと受け取ったぜ、相棒』
赤い気配は満足げにそう告げると、ゆっくりとリエンの精神の奥底へと溶け込んでいった。
コマンドスーツに「意思」が宿る。
リエンは知る由もないが、それは現代の科学力でも解明されていない、極めて稀な現象だった。
ネクスターと呼ばれるパイロットの強烈な精神波を、長期間にわたって浴び続けた精密なAIが、ごく稀に自ら精神波を放つことがあるとされている。
しかし、それが実証されたケースはなく、ただ、机上の空論として語られるだけの代物だ。
ましてや、あの『ブレイズ』に意思があったなどと、エリシオンの誰も知るはずがない。
ただ、かつて絶体絶命の危機に陥ったとき、主である烈火を庇うように、機体が「勝手に」動いたことがあった。
烈火や兎歌は、愛機に何かしらの魂が宿っていることを薄々察してはいたが───
それを誰かに報告することは、なかった。
彼らにとって、それは当たり前で。
「相棒」としての振る舞いに過ぎなかったからだ。
そして今。
役目を終えたはずの獣の心臓は、新たな少女の胸の中で、再び力強く脈打ち始めていた。
「……うん。よろしくね、あか」
リエンは、目の前の赤い気配に向かって、そっと手を伸ばし、撫でるような仕草をした。
それは、人類の歴史上初めて行われた、明確な意思を持つ機械と人間との『対話』だった。
ノヴァ・ドミニオンが非人道的な実験の果てに求めた「完全なる同調」の答えが、今、この温かな精神世界でひっそりと結実していたのだ。
だが、その奇跡の瞬間に気づく者は、リエン以外には誰もいない。
『……リエン? おい、リエン!』
「ひゃッ……!」
烈火の呼びかけで、リエンの意識は現実のコックピットへと引き戻された。
『どうした? 同調率が一瞬、跳ね上がったぞ。どこか痛いのか?』
「……ううん、なんでもない」
通信機越しに聞こえるのは、烈火の心配そうな声。
リエンは首を横に振る。
モニターには、エルフィンの各種パラメーターが異常なほどの安定数値を示していた。
『……問題ないみたいやな。出力も完璧や!』
菊花が満足げにゴーグルを上げる。
『よし。それじゃあ、リエン。機体を動かしてみろ。サブアームの反応はどうだ?』
「……うん。やってみる」
リエンが思考を巡らせた瞬間。
エルフィンの下半身マトリクスユニットから展開された十二本のサブアームが起動。
まるで、リエン自身の手足のように、滑らかで複雑な動きを見せた。
それは、以前の強引な同調とは違う。
機体そのものが、リエンの意思を先読みし、最適な動きで応えてくれているかのような、完璧な挙動だった。
『すげえ……前より格段に動きが良くなってる』
『ホントだ……まるで、リエンちゃんの一部みたい』
烈火と兎歌が、感嘆の声を漏らす。
リエンはコックピットの中で、胸に宿る温かい『相棒』の気配を感じながら、小さく、けれど確かに微笑んだ。
「……うん」
スムーズに駆動する十二本のサブアームと、水色の装甲の隙間から漏れる赤い光。
完全に生まれ変わったエルフィンの輝きを見上げながら、烈火はふと、少し前の記憶に意識を沈めていた。
~~~
――数日前。
アマツキの一角、外界から隔絶された、厳重な通信会議室。
烈火は一人、目の前の空間に投影された作戦参謀、ギンのホログラムと向かい合っていた。
『わざわざオレを呼び出して、なんの用だい? 烈火』
銀髪の天才は、いつもと変わらぬ飄々とした態度で腕を組んでいた。
「……確認しておきてぇことがあったんだ」
烈火はまっすぐにギンの目を見据える。
「お前は前に言ったよな。俺たちが戦えば、戦争は終わるって。
……だから俺は、兎歌や仲間たちを守るために、お前の言う通りに戦ってきた」
烈火の脳裏に、これまでの激戦がフラッシュバックする。
巨大な機動要塞との死闘、核の炎でガラス化した砂漠、宇宙での特攻。
多くの命を奪い、そして守ってきた。
「───本当に、この戦争は終わるのか?」
烈火の問いかけは、静かだが、ひどく重い響きを持っていた。
ギンはわずかに目を伏せ、それから、ふっと口角を上げる。
『……少なくとも、東武連邦とシグマ帝国の侵略戦争は終わったよ。
世界の戦争の三分の二が消滅した計算だ』
ギンは指を一本立てて、淡々と事実を述べる。
『もちろん、国境の小競り合いや、宗教的な紛争なんかの細かい火種まで完全に消え去るわけじゃない。
人間がいる限り、闘争本能がゼロになることはないからね。
だが……国家レベルの、何百万人もが死ぬような大規模な戦争は、これで確実に終息へ向かう』
「……ノヴァ・ドミニオンを、倒せばか」
『そうだ。あいつらさえ叩き潰せば、オレの想定した「最良の未来」に到達する。
キミたちが安心して帰れる、平和な世界にね』
ギンはホログラム越しに、烈火へ向かって手を差し出した。
『キミはよくやってくれたよ、烈火。
……あと少しだ。あと少しで、キミの望む居場所が手に入る』
――その時のギンの言葉を思い返し、烈火は無意識に拳を握りしめていた。
~~~
「……ぇ!
ねぇ、烈火?」
隣にいた兎歌が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたの? 怖い顔してるよ」
「ん? いや……なんでもねえよ」
烈火はハッと我に返り、兎歌の頭を乱暴に撫でた。
「兎歌。……絶対、ノヴァをぶっ飛ばして、平和な世界で美味い飯を腹いっぱい食おうな」
「……うんっ! 約束だよ、烈火!」
兎歌が満面の笑みで頷く。
その笑顔を守るためなら、もう迷いはない。
烈火は再び、エルフィンのコックピットにいるリエンへと視線を向けた。
「よし、リエン! 調子がいいなら、模擬戦といくか! 俺が相手になってやる!」
『……うん。負けない』
リエンの静かな闘志の声が通信機から響く。
格納庫は、次なる戦いへ向けた活気と、若きパイロットたちの熱気で満ちていた。




