蒼火とセラピナの出会い
「……あ、あぁ……アァァァァァァァッ!!」
その瞬間、蒼火の中で何かが壊れた。
理性を失い、獣のように発狂した蒼火は、落ちていた鉄パイプと奪った銃で───
その場にいたギャングたちを、一人残らず惨殺した。
肉を潰し、骨を砕き、血の海の中で咆哮した。
だが、復讐を果たしたところで、ミオウもゼオも戻ってこない。
返り血で真っ赤に染まった蒼火の前に残されたのは、怯えきった三人の子供たちと。
ギャングの元締めから追われるという、絶望的な未来だけだった。
『……ごめん、なさい……アタシが、弱かったから……』
冷たい雨が降る路地裏。
蒼火は血まみれの体で、残された子供たちを抱きしめて泣いた。
もう、どこにも逃げ場はない。
明日のパンすら買えない。
このまま四人で、飢えて死ぬか、殺されるのを待つしかないのか。
そんな絶望の淵にいた蒼火たちの前に、一人の女が現れたのだ。
───雨に濡れた灰色の路地裏。
血だまりに座り込む蒼火たちの前に、不釣り合いなほど足音もなく、その集団は現れた。
黒服の男たちに囲まれて歩いてきたのは、スラムの汚れを一切知らないような、豪奢な衣服を身に纏った女だった。
燃えるような橙色の髪。
冷徹でありながら、どこか慈愛に満ちた不可思議な眼差し。
女の名は、セラピナ。
そしてセラピナの斜め後ろには、巨岩のようにそびえ立つ『大男』が控えていた。
『ほう。この死体の山、全部お前がやったのか?』
男───ヴァラクと名乗った巨漢が、面白そうに口角を上げた。
『近寄るなッ!!』
蒼火はガレンたちを背にかばい、血に濡れた鉄パイプを構えた。
ギャングの追手か。
そう判断した蒼火は、一切の躊躇なく地面を蹴った。
「死ねェッ!」
小さな身体からは想像もつかない速度と跳躍力。
黒服の護衛たちが銃を抜くよりも早く、蒼火はその懐へ潜り込み、パイプで顎を砕き、銃を奪って別の男の膝を撃ち抜いた。
怒りと絶望が生み出した、純粋な暴力。
次々と黒服たちを無力化していく。
『なるほど。確かに噂通りの「超人」の素養だ。だが───』
ヴァラクの巨体が、悠然と蒼火の前に立ち塞がった。
『まだ、粗削りすぎる』
「邪魔だッ!」
蒼火は奪った銃の引き金を引き、同時にパイプをヴァラクの側頭部へフルスイングした。
だが。
ガシッ!
ヴァラクは弾丸を分厚い防弾コートで弾き落とすと、蒼火のパイプを素手で軽々と受け止めた。
そのまま、万力のような力で蒼火の腕を掴み上げる。
「が、ぁっ!?」
子供と大人。
圧倒的な体格差と、洗練された格闘技術の差。
蒼火がもがく間もなく、ヴァラクは足を払い、冷たい泥水の中へ顔面から押さえつけた。
『あお姉ちゃん!』
『やめて!』
子供たちが泣き叫ぶ。
蒼火は泥にまみれながら、必死にヴァラクの腕から逃れようと暴れたが、ビクともしなかった。
『そこまでですよ、ヴァラク兄さま』
静かな、だが絶対的な力を持った声が響く。
セラピナが、押さえつけられた蒼火の目の前で、汚れを気にすることもなくしゃがみ込んだ。
『……素晴らしい執念ですね。あなたのその力、私が買いましょう』
泥まみれの蒼火の顔を、セラピナの白く細い指がそっと撫でる。
『あなたたちに「居場所」を与えます。飢えることも、怯えることもない、安全な生活を。
その代わり、あなたは私のために戦いなさい。……希望する額を言いなさい』
その声は、悪魔の囁きのようでありながら、当時の蒼火にとっては天から降りてきた一筋の蜘蛛の糸だった。
「……あいつらを……」
蒼火は泥を吐き出しながら、後ろで震える三人の子供たちを睨みつけた。
「ガレンと、コムギと、ルドラ……!
あいつらに、毎日腹いっぱい美味い飯を食わせて、ふかふかのベッドで寝かせてやってくれ……!
だったら、アタシの命でもなんでも、アンタにくれてやる……!」
『ええ。約束しましょう』
セラピナは優しく微笑んだ。
その日から、ノヴァ・ドミニオンの軍に、狂犬のような「超人」の少女が一人。
そして、超人を決して裏切らせないための「人質」が三人、増えたのだった。
………
……
…
───そして、時間は現在に戻る。
観測所の薄暗い部屋。
ヒーターの赤い光が、二人を照らす。
「……そらよ」
蒼火は胸ポケットから一枚の擦り切れた写真を取り出し、烈火の方へ放った。
そこには、真新しい服を着て、少し緊張しながらも嬉しそうに笑う三人の子供たち。
それと、仏頂面で彼らの肩を抱く、蒼火の姿が写っていた。
「……これが、アタシが売った命の値段だ。
セラピナ様が死んだ今、この子たちがどうなるか分からない。だから、アタシは……」
烈火は写真を受け取り、じっと見つめてから小さく頷いた。
そして、写真を蒼火に投げ返す。
「いいツラしてんな。お前が身体張って守っただけのことはある」
「……」
「俺にも、似たようなモンがあってよ」
烈火は天井を見上げながら、ぽつりと語り始めた。
「俺の場合は、たった一人の幼なじみでな。
親も家もねぇスラムで、俺の後ろをいつも泣きながらついてきてた、どんくさいウサギ。
あいつに腹いっぱい飯を食わせるためなら、何でもやったぜ。泥棒も、殺しもな」
「……」
「だが、ある日、マフィアのクソ野郎どもがあいつを犯そうとしやがった。
だから、その場にいた全員の喉笛を掻き切ってやった。
俺があいつを絶対に守るって、あの時決めたんだよ」
そこまで言って、烈火は急にニヤリと笑った。
「で、その幼なじみがな、今じゃ見違えるほどいい女になったんだ。
料理は美味いし、性格は優しいし、何よりお前と同じくらい……。
いや、お前以上に『おっぱいが大きい』。
ここ、すげぇ重要だ」
「……てめぇ、シリアスな雰囲気ぶち壊してんなよ」
蒼火は呆れたようにため息をついたが、その表情から先ほどまでの鋭いトゲは消えていた。
似た境遇。
似た覚悟。
守るために、血に染まった手。
陣営は違えど、不思議なことに、二人の中には野良犬同士の奇妙な「友情」のようなものが成立していた。
「……ふっ、はははっ」
やがて、蒼火は吹き出すように笑った。
「お前、本当に馬鹿だな。赤い悪魔って呼ばれてる奴が、ただの巨乳好きのスケベ野郎とはね」
「男のロマンを馬鹿にすんじゃねぇよ」
蒼火はヒーターの前に座り直し、足を崩して烈火を見た。
その蒼い瞳には、どこか挑発的な光が宿っている。
「……お前になら、アタシをヤラせてもいいぜ」
「は?」
「命を救ってもらった礼だ。スラムの男どもに使い古された『中古品』で良ければ、の話だけどな」
自嘲気味に笑う蒼火。
だが、烈火は鼻を鳴らして笑い返した。
「馬鹿言うな。俺は嫁一筋だ。
……だがまぁ、俺の故郷で『ハーレム法』でも可決されたら、その時はまた来い。抱いてやる。
こんなクソ寒い雪山じゃなくて、もっとあったかいベッドでな」
「……馬鹿が。お前の嫁に殺されろ」
蒼火はふいっと顔を逸らしたが、その耳まで少し赤くなっていた。
その時だった。
ゴォォォォォォォォ……ッ!!
風の音とは違う、重厚な機械音が上空から響き渡った。
リベルタ・ザ・ターミガンの、高出力なスラスター音だ。
いつの間にか、観測所の外で荒れ狂っていた吹雪の音が、弱まってきている。
「……ハミットの言う通り、お迎えが来たみたいだな」
烈火はゆっくりと立ち上がった。
蒼火もまた、無言で立ち上がり、棚から自分のホルスターを掴んで腰に巻く。
ズシンッ……。
観測所のすぐ外に、機体が着陸する重い音が響いた。
二人の奇妙な休戦時間は、これでおしまいだ。
ギィィ……ッ。
重い金属の扉が、外から乱暴に開かれる。
差し込む雪原の眩しい光に逆光となって立っていたのは、パイロットスーツの上から分厚いジャケットを着込んだ、豊満な胸の少女───
兎歌・ハーニッシュ。
「烈火ぁッ!!」
扉が開くや否や、兎歌は弾かれたように、観測所の中へ飛び込んできた。
そのまま、勢いよく烈火の胸に飛び込んで抱き着く。
「よかった、生きてた……! 本当に、よかったぁ……!」
パイロットスーツの上からでも伝わる、温かく柔らかい感触。
烈火は苦笑しながら、泣きじゃくる兎歌の背中をポンポンと叩いた。
「おいおい、そんなに泣くなよ。
言っただろ、死ぬ気はねぇって」
「だって、雪崩に巻き込まれて……ッ、ずっと反応がなくて……っ!」
兎歌は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
だが、その視線の先で、ヒーターの側に立つ蒼火の姿を捉えた瞬間。
「……えっ?」
ピタリと涙が止まり、兎歌の表情がスッと冷たくなった。
「……烈火? なんで、ノヴァのパイロットが、ここに……。
しかも、なんかいい雰囲気で一緒に暖まってるの……?」
「あ、いや、これはだな……」
烈火がタジタジになっていると、蒼火が鼻で笑った。
「安心しろよ、おっぱいウサギ。
すでに『手を付けられた』後だ。まあ、乳だけだけど」
「そ、それって、ヤる寸前だったってことじゃないのーっ!!」
兎歌が烈火の胸倉を掴んで、ガクガクと揺らす。
「あの子、誰なの!? 浮気!? 浮気!? 雪山で遭難して、吊り橋効果で浮気したの!?」
「ちげーよ! 敵! 敵のパイロット!
でも俺たちと同じ、スラム育ちだって言うから、ちょっと昔話をしてただけだ!」
「……そっか。スラムの」
その言葉を聞いて、兎歌はぴたりと動きを止め、蒼火の方をじっと見つめた。
同じようにスラムで泥水を啜って生きてきた者としての、何かを感じ取ったのだろうか。
少しだけ警戒を解き、静かに頷く。
「……あんた、いい女捕まえたな」
蒼火は小さく笑い、ホルスターに手を添えながら言った。
「さて。時間は終わり。……ここから先は、敵同士だ」
その声には、先ほどまでの穏やかさはなく、ノヴァの兵士としての冷たさが戻っていた。
だが。
「……一つだけ、教えてやる」




