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クロトの覚悟、アイリスの犠牲

「……帰る場所、か」


 クロトと蒼火は、なんとも言い難い表情で顔を見合わせていた。


 と、その時、背後に気配───


 二人が振り返ると、長い黒髪の男が立っていた。

 白衣を羽織り、分厚い眼鏡をかけた男だ。


 かつて東武連邦の秘密研究機関でアニムスキャナーやコマンドスーツの基礎研究を主導し、今はノヴァ・ドミニオンに寝返ったサイエンティスト───

 パーヴェル・ペトロフ博士。


「やあ、二人とも。顔合わせは済んだかな?」


 ペトロフは、まるで学生に語りかけるような柔和な笑みを浮かべ、二人の前に歩み寄ってくる。

 だが、蒼火は何となく、嫌な視線だと感じていた。


「博士……。アタシのブルーは、どうなってんだい?」


 蒼火が身構えながら尋ねると、ペトロフは肩をすくめた。


「君の機体は、ケンタウロス型の特性を活かして、積載量と出力をさらに引き上げる方向で調整中だ。

 ……だが、今日の主役は君じゃない。彼の方だ」


 ペトロフは、クロトの背後にある、腹部が大きくえぐり取られたカーバンクルを指差す。


「さて、クロト君。君の要望通り、改修プランが形になりつつあるよ」


 ペトロフは手元の端末を操作し、カーバンクルのホログラム設計図を空中に投影した。


「見ての通り、この機体は、既存のコマンドスーツの常識を、根底から覆す構造になっている。

 本来、パイロットの生存性を担保する『コックピットボール』。そのものを廃止した」


 ホログラムが回転し、カーバンクルの胸部から腹部にかけての、ぽっかりと空いた巨大な空洞が強調される。


「代わりに、背部の巨大な専用バックパックと、コックピットを完全に一体化させた。

 機体の背後から直接、腹部の空洞へ『突き刺さる』。

 コアユニット式の構造に変更したよ」


「……コックピットボールがないってことは、脱出装置がないってことか?」


 顔をしかめて尋ねる蒼火。

 その声に、ペトロフは愉快そうに笑った。


「その通り! 被弾すればパイロットごと即座に灰になる、背水の陣の構造だ。

 だが、その代償として得られるメリットは計り知れない」


 ペトロフは、再びホログラムを操作する。


「コックピットボールの機構をオミットしたことで生じた広大な内部スペースを利用し、この機体は『複座式』となった。

 そして、大型化したバックパックに、更なる粒子タンクと、武装サブアームを増設することが可能になったのさ」


「複座式……? もう一人のパイロットは誰が乗るんだよ」


 蒼火の問いに、クロトは無表情のまま、静かに口を開いた。


「アイリスだ」

「アイリス……って、あの、アンタにべったりだった、死んだ恋人そっくりだっつー人形か?」


 蒼火の言葉に、クロトの瞳が微かに揺らいだ。

 だが、すぐにその奥に、狂気の炎が再び灯る。


「そうだ。ヤツの脳と神経系を、機体の火器管制モジュールとして直接接続する。

 ……俺たちは、文字通り『一つ』になるんだ」


「なん、て……?」


 蒼火は絶句した。

 生きた……あるいは死んだ人間の脳を、機体のパーツとして組み込む。

 それは、アニムスキャナーの根幹であり、同時に言いしれぬ違和感のあるシステム。


「素晴らしい発想だろう?

 人間の脳髄を演算素子として用いることで、複雑な並列処理が可能になる」


 ペトロフは、淡々と説明を続ける。


「この専用バックパックには、二本のサブアームが搭載されている。

 それぞれに高初速のレールガンと、広範囲を薙ぎ払う拡散粒子砲を装備。

 クロト君が近接のガンブレードで斬り結ぶのと同時に、背後のアイリスが独立して火器管制を行い、全方位へ弾幕を張る。

 さらに、バックパック自体が強力な『推進機関』と『粒子タンク』を兼ねている。

 そのため、機動力も出力も、以前とは比較にならないほど跳ね上がる」


「無茶だ……。そんな機体に乗ったら、アンタの精神がもたないぞ!」


 蒼火は、思わずクロトの胸ぐらを掴みかかりそうになった。


「もつさ。……俺の心は、あの赤い機体がソフィを奪ったあの日、とっくに壊れているんだからな」


 クロトは、蒼火の手を冷たく振り払い、虚ろな眼差しでカーバンクルを見上げた。


「俺は、すべてを灰にする。

 あの赤い悪魔を殺すためなら、どんな犠牲を払ってでも……」


 その静かな呪詛の言葉に、蒼火は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 この男は、もう戻れない領域へ足を踏み入れている。

 復讐さえできるなら、他は全て捨ててしまう。

 それは……それは……


「……なんかさぁ……悲しいな、アンタ」


 蒼火は、絞り出すようにそう呟いた。

 クロトは何も答えない。

 ただ、深淵のような瞳で、カーバンクルの空洞を見つめているだけだ。


 〜〜〜


 そもそも、この世界において『複座式のコマンドスーツ』が普及していないのには、明確な理由がある。


 一つは、純粋なコストと、戦術的な問題だ。

 二人のパイロットを乗せるためだけに機体を複雑化し、重量を増やすくらいなら、単座の機体を二機製造して連携させた方が、はるかに安上がりで戦術的柔軟性も高い。


 あるいは、複数の人員を割くのであれば、いっそ機体を大型化し、圧倒的な火力と装甲を備えた『機動要塞』にした方が、戦場での生存率も制圧力も劇的に上がる。


 中途半端なサイズで複座にするメリットは、皆無に等しい。


 だが、最大の理由はそこではない。

 『アニムスキャナー』という、人間の精神波を直接機械と接続するシステムの特性そのものにある。

 単一の機体の制御系に、二人の人間の精神を同時に繋ぐこと───それは、パイロットの脳に致命的なリスクをもたらす。


 意識の混濁、フィードバックによる強烈なノイズ、そして最悪の場合、互いの自我が融け合い、不可逆的な精神崩壊を引き起こす危険性があるのだ。

 深く繋がりすぎれば、二度と「個」としての人間に戻ることはできない。


 蒼火も、ノヴァのパイロットとして、そしてネクスターとして、アニムスキャナーの仕組みと恐ろしさは身を以て知っている。


((……アタシには、無理だ))


 蒼火は、自分自身の足元を見つめた。

 自分は、狂気には染まれない。

 どんなに理不尽な命令を下されようと、どんなに屈辱的な薬物を打たれようと。

 生きて帰らなければならないのだ。

 ノヴァの施設に人質に取られている、あの孤児院の子供たちを守るために。


「アタシは……死なない。絶対に生きて、あの子たちのところに帰る」


 自分に言い聞かせるように、蒼火は拳を強く握りしめた。

 その言葉は、クロトの「すべてを灰にする」という死への渇望とは、対極にあるものだった。


 沈黙が落ちる。

 ペトロフは興味深そうに二人を観察していたが、やがてクロトがゆっくりと蒼火の方へ向き直った。


「……お前は、生きて帰るのか」


 クロトの声は、相変わらず抑揚のない、乾いたものだった。

 だが、その眼差しの奥に、ほんのわずかながら、先程までとは違う色が混じったように見えた。


「そうだ。……笑いたきゃ笑えよ。

 アンタみたいに、全部投げ捨てられたら、もっと楽に戦えるのかもしれないけどな」


 蒼火が自嘲気味に言うと、クロトは静かに首を横に振った。


「……いや。お前は、それでいい」


 予想外の言葉に、蒼火は目を丸くする。


「お前は、良い奴のようだ。……だから、生きろ」


 それは、復讐という業火に身を焦がし、自らを怪物へと作り変えようとしている男から発せられた、不器用で、けれど確かな『肯定』だった。


 守るべきものがあるからこそ、生に執着する。

 かつての自分が、ソフィと共に生きたいと願っていたように。

 もう自分には許されないその願いを、目の前の少女に重ねたのかもしれない。


「……ああ。アンタに言われるまでもないさ」


 蒼火は、少しだけ照れくさそうに鼻の頭を擦り、ニッと笑い返した。


「クロト君。感動的な別れを邪魔して悪いが……そろそろ『彼女』の接続テストを始めたいんだがね」


 ペトロフが、無機質な声で二人の間に入り込む。


「……わかっている」


 クロトは再び冷たい表情に戻り、腹部のえぐり取られたカーバンクルへと歩みを進めた。

 その背中を、蒼火は複雑な思いで見送る。


 生きて帰るための戦いと、すべてを終わらせるための戦い。

 決して交わることのない二つの星が、成層圏の虚空で、それぞれの軌道を描き始めていた。


 〜〜〜


「では、テストを始めようか」


 パチン───ッ


 ペトロフが指を鳴らす。

 すると、巨大な格納ドックの奥から、重々しい金属音と共に『それ』が姿を現した。


「……何だ、あれ」


 思わず息を呑む蒼火。

 運ばれてきたのは、戦闘機とも宇宙船ともつかない、異形の機体だった。


 細長い船体に突き出す、は多数の高出力スラスター。

 そして、左右には大型のレールガンと拡散粒子砲を懸架した、巨大なサブアームが折り畳まれている。


「専用のコア・バックパックだ」


 ペトロフは、まるで芸術作品を披露するかのように両腕を広げた。


「緊急時には、このバックパック自体が分離して独立した脱出艇としても機能する。

 もっとも、クロト君がそんな弱気な使い方を望んでいるとは思えないがね」


 クロトは無言のまま、バックパックの搭乗用ハッチへと向かった。

 ハッチが開き、複座式のコックピットが姿を見せる。

 前席はクロトが座る操縦席。

 そして、その後ろの席には───。


「……アイリス」


 クロトは、後部座席に固定されている少女を見つめた。

 雪のように真っ白な髪と、パイロットスーツ越しでもわかる豊かな胸。

 だが、その美しい肉体は、無機質な計器類と無数のケーブルによって、機体のシステムと直接繋ぎ合わされていた。


「クロト……さま……?」


 虚ろな瞳がクロトを捉える。

 その声は、かつて愛したソフィと寸分違わぬもの。

 だが、どこか機械的なノイズが混じっているように聞こえた。


「ああ。俺だ」


 クロトは、愛おしさと憎しみが入り混じった複雑な表情で、アイリスの白い頬にそっと触れた。

 ノヴァが作り出した、都合の良い人形。

 だが、その中には確かにソフィの残滓が眠っている。

 クロトは無意識に、そのことに気づいているのだ。


 だからこそ、クロトはアイリスを、文字通り機体の一部として自分と一つにすることを望んだ。

 もう二度と、自分から奪われないように。


「始めるぞ」


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