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セレーナの旅路

 窓の外では、白い吹雪が荒れ狂っていた。

 ここは大陸北部に位置する極寒の国、『ノルヴァルド』。


 分厚い石造りの城の一室には、暖炉の火が赤々と燃えている。それでも、凍てつくような冷気が足元を這い回っていた。


「……分かりました。

 我が国は引き続き、エリシオンへの支援を継続しましょう」


 長い議論の末、ノルヴァルドの政府高官が重々しく口を開いた。

 その言葉を聞いて、セレーナ・エクリプスは深く頭を下げる。


「ありがとうございます。

 皆様の信頼に、必ずや応えてみせます」


 空色の髪を揺らし、真摯に感謝を告げるセレーナ。

 顔を上げると、セレーナは周囲に悟られないよう、ふうっと小さく安堵の息を吐き出した。

 その後ろには、ネビュラが控える。


 ノヴァ・ドミニオンの侵攻が激化したことで、各国の経済は疲弊しきっている。

 エリシオンへ支払われる防衛分担金も激減しており、戦うための資金は底を突きかけていた。


 だからこそセレーナは同盟国を飛び回り、必死に支援を取り付けていたのだ。


「では、私はこれで失礼いたします」


 会談を終え、セレーナは立ち上がった。

 重厚な扉を開け、薄暗い廊下へと足を踏み出す。

 ネビュラも無言で一礼し、後に続く。


 しかし、そこでセレーナを待っていたのは、酷く冷たい空気だった。


「……」

「…………」


 廊下に等間隔で立つ、ノルヴァルドの警備兵たち。

 彼らがセレーナに向ける視線は、窓の外の吹雪よりも冷たく、そして鋭かった。


 あからさまな敵意ではない。

 だが、はっきりと不信感が混じっている。


 セレーナの胸が、チクリと痛んだ。


「無理もないこと、ではあります」

「ネビュラ……」


 ネビュラは小さくうなずき、続ける。


「ノヴァ・ドミニオンの総帥フレギアは、世界中に悪質なプロパガンダを流布しています」

「……」

「地上を焼き尽くし、一瞬にしてガラスの大地へと変えた禁断の兵器。

 あの惨劇を引き起こした大量破壊兵器は、エリシオンが使用したものだ、と」


 その卑劣な情報工作は、確実に人々の心に疑心暗鬼の種を植え付けていた。

 各国の首脳陣はデータと証拠で説き伏せることができても───


「どうしても……、末端の兵士や一般市民の心までは、すぐには拭い去れないわね」

「はい……」


 一時的にこの国を入国しただけのセレーナですら、その視線に息が詰まりそうになる。


((なら、現場で命を懸けている兵士たちはどうかしら……))


 烈火や兎歌、プロメテウス隊の仲間たち。

 彼らは血と泥に塗れながら、ノヴァの脅威から世界を守るために戦っている。

 それなのに、自分たちが守るべき人々から、こんな冷たい目を向けられているのかもしれない。


((現場のみんなは……もっと、辛い思いをしているはず))


 セレーナはキュッと唇を噛み締め、俯きそうになる顔をぐっと上げた。

 自分はエリシオンの代表だ。

 彼らが最前線で戦っているのなら、自分は政治という戦場で、彼らの居場所を守り抜かなければならないのだから。


「行きましょう。私たちが、彼らの支えになるのですから」

「はい。セレーナ様」


 〜〜〜


 数時間後。

 セレーナとネビュラは、ノルヴァルド近郊に設営されたエリシオンの前哨基地へと到着していた。

 冷え切った体を暖める間もなく、二人は通信室へと向かう。

 厳重なロックを解除し、本国との秘匿通信を立ち上げた。


 通信パネルの前に立つセレーナ。

 その斜め後ろには、護衛のネビュラが控えている。


 画面を覗き込める位置だが、セレーナは咎めない。

 ネビュラはすでに、通信相手の正体を知っている。

 エリシオンの最深部で起こった出来事を経た今、もはや彼女から隠す意味はなかった。


 ピィン───

 電子音が鳴り、モニターに一人の青年の姿が映し出される。


『やあ、代表。極寒の地での外交、ご苦労だったね』


 エリシオンの作戦参謀、ギン。

 その飄々とした態度は相変わらずだが、銀色の髪の奥にある瞳からは、感情が読み取れない。


 だが知っている。

 この男は、無数の未来から、エリシオンの未来を選び続けていることを。


「ええ。ノルヴァルドからの支援は、無事に継続されることになりました。

 防衛分担金の振り込みも確認できるはずです」


『ああ、確認できた。

 おかげで、なんとか資金が回っている』


 モニター越しのギンは、小さく肩をすくめて見せた。


『各国の疲弊具合からして、もっと早く干上がる未来もあった。

 オレが想定していたルートの中でも、今のところ資金枯渇のペースはかなり遅い方だ。

 見事な手腕だよ』


 不老不死の天才からの労いの言葉。

 セレーナは小さく息を吐いた。


「ですが……」


 脳裏に蘇るのは、ノルヴァルドの城の廊下に立っていた兵士たちの、冷たい視線だ。

 ノヴァ・ドミニオンの情報工作は、確実に世界を蝕んでいる。


「お金の問題はどうにかなっても、人々の心までは……ごまかしきれません。

 兵士たちの間にも、疑心暗鬼が広がっています」


『……だろうね』


 ギンの声のトーンが、少しだけ落ちた。


『金で装甲は直せても、心の消耗までは修理できない。

 現場の連中が疑心暗鬼になれば、それは致命的な隙になる』


 モニターの中のギンは、じっとセレーナを見つめてきた。

 そして、静かに、だがはっきりとした口調で告げる。


『だから、代表。キミに命令だ』

「……命令、ですか?」


 珍しい言葉の選び方に、セレーナは目を丸くした。


『ああ。今いる基地の兵士たちを、労ってやってほしい。一人でも多く。

 できることなら、君一人で全軍を、だ』

「……ッ!」


 それは、あまりにも途方もない要求だった。

 世界各国の前哨基地から本国まで、エリシオンの兵力は膨大だ。

 代表であるセレーナが一人ひとりに声をかけて回るなど、物理的に不可能に近い。


 仮にやったとしても、ノヴァの悪辣なプロパガンダを前にしては、焼け石に水かもしれない。

 効果は雀の涙だろう。


((それでも……))


 セレーナは、自身の胸に手を当てた。

 政治家の仕事は、戦うことではなくトモダチを増やすことだ。

 自分たちを信じて命を懸けている兵士たちを、孤独にさせてはいけない。


「……分かりました」


 セレーナは、真っ直ぐにモニターを見据えて頷いた。


「雀の涙ほどの効果しかないかもしれません。

 ですが、私が直接言葉を届けることで救われる心があるのなら……私は、何度でも歩き続けます」


『……頼んだよ。現場の心はキミに任せる。

 オレたちは、本国で盤面を立て直そう』


 〜〜〜


 通信パネルの光がすっと消え、地下庭園に静寂が戻った。

 水盆から溢れる水の音が、心地よく響く。

 仄暗い照明に照らされた、どこか旧時代の「日本」を思わせる和風の空間。


「……これでいい」


 ギンは、小さく呟いた。

 モニターの電源を落とし、深く椅子に背中を預ける。


 ノヴァ・ドミニオンの情報工作による、疑心暗鬼。

 その毒牙は、世界を回り続けるセレーナの心をも確実に蝕んでいた。


 真面目で責任感の強い彼女のことだ。

 ヒマを与えれば、冷たい視線の意味を考え、自分が本当に正しいのかとふさぎ込むだろう。


 だが、一兵卒からしたらどうだろうか。


 エリシオンの最高指導者が、わざわざ名もなきモブ兵士の元へやってきて、直接、労いの言葉をかけるのだ。

 過酷な任務の中、泥に塗れた自分たちの元へ、美しい空色の髪の少女が微笑みかけてくれる。


 誰もが歓喜に涙し、感謝と笑顔を返すはずだ。

 セレーナが懸命に戦場を駆け回る姿は、確実に現場の士気を引き上げる。


 そして何より、それはセレーナ自身に「世界を良くしている実感」と、「感謝されるというやりがい」を与える。

 政治の盤面で冷たい現実に直面し続ける彼女の心を救うには、現場の兵士たちの生の笑顔と感謝を、その目で直接見せることが一番の特効薬なのだ。


「……さて。彼女が現場の心を繋ぎ止めている間に、オレはオレの仕事を進めるか」


 ギンは、ゆっくりと体を起こした。

 そして次にやるべきは───。


 指先を動かし、新たな通信パネルを開く。

 暗号化された回線を通じて、地上にいるはずの人物へコールをかけた。


 計算通りなら、ちょうど出るはずだ。


『……こちらホークアイ』


 数回のコールの後、ノイズ混じりの低い声が響いた。

 マティアス・クロイツァーだ。


「やあ、マティアス。地上での調査任務、ご苦労様」


『……やあ、ギン。ちょうどいいタイミングでかけてくる。

 相変わらず、気味の悪い計算だ』


 通信の向こうで、マティアスが苦笑する気配が伝わってきた。


「褒め言葉として受け取っておくよ。

 ここでは、計算の狂いは許されないんだ」


 ギンもまた、皮肉っぽく笑い返す。

 宇宙での激戦の後、マティアスは『ストラウス』で地上へ降り、旧シグマ領のガラスの大地───その周りでの調査任務に就いていた。


『ああ。報告だが、予定通り「迷子」を保護したよ。

 ギゼラ、そしてヴァイスマンと無事に合流した』


 マティアスの落ち着いた声に、ギンは満足げに頷く。


「ご苦労。……さて、せっかくだから顔を見せてもらおうか。通信を繋ごう」


 ピッとパネルを操作すると、マティアスの機体から送られてくる映像が切り替わる。

 そこに映し出されたのは、薄暗い地下シェルターの一室だった。


『……ん? なんだ、ギンかい。

 随分と久しぶりじゃないか。生きて話ができてよかった』


 画面の端から顔を覗かせたのは、金髪の女パイロット───ギゼラ・シュトルム。

 少しやつれているものの、持ち前の豪胆な笑みを浮かべて、画面越しに軽く一礼する。


「ああ、よく生きていてくれた。

 キミがいてくれると、部隊が随分と賑やかになるからね」


 ギゼラの無事を改めて確認し、ギンは小さく微笑んだ。

 そして、画面の中央に映るもう一人の人物へと視線を移す。


『……まさか、直接通信を繋いでくるとはな。何十年ぶりだろうか』


 車椅子に座った老人が、深く刻まれた皺の奥から驚きの目を向けていた。


 ハンス・ヴァイスマン。

 かつてギンと契約を交わし、長年にわたってエリシオンへ「ネクスター」の素質を持つ孤児たちを送り込んできた、世界の裏側のパトロンだ。


「久しぶりだね、ヴァイスマン。随分と老けたみたいだ」


 ギンは、あえて軽い口調で挨拶を交わす。

 普段は機密保持のため、決して直接通信を行うことはない。

 彼がどれほど資金や人材を提供しようとも、エリシオンの最深部にいるギンの姿を見せることはなかったのだ。


『フン。おヌシがいつまでも若すぎるだけだ。

 カイ……いや、今はギンだったか』


 ヴァイスマンは、忌々しそうに、だがどこか懐かしむように鼻を鳴らした。


『この歳になれば、老いるのは当然だ。

 だが、お前さんの計画はまだ終わらんのだろう?』


「ああ、まだ終われない。……だが、今日だけはキミに感謝を告げさせてくれ」


 ギンはモニター越しのヴァイスマンを見据え、

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