ソフィの残滓
「どうした、アイリス。
挙動がおかしいぞ。
先ほどのメンテナンスで、大脳の調整でもミスしたか」
「……申し訳ありません。
ただ、胸の奥が、ざわざわとして……。
エラー、かもしれません」
アイリスは胸元をギュッと押さえ、困惑したように俯いた。
感情を持たないはずの人造人間が、敵国の捕虜に対して同情のような反応を示している。
「チッ」
((やはり、調整不足か。……ベインの野郎、サボりやがって))
クロトは忌々しげに舌打ちをした。
アイリスが時折見せる『ソフィのような仕草』は、所詮は生体パーツのノイズに過ぎない。
どこのパーツかは知らないが、処理くらいはしてほしい。
人形ですらないなら、存在意義がないだろうに。
クロトはそう自分に言い聞かせ、残りの酒をあおると、モニターの電源を乱暴に切った。
………
……
…
冷たい冷気が漂う、基地の最下層。
光の届かない地下牢の中で、菊花・メックロードは壁の金属リングに両手を拘束されていた。
「……っ、さっむ……」
菊花の身体には、一枚の布すら纏われていない。
身包みをすべて剥がされ、全裸のままコンクリートの床に膝をつかされているのだ。
古典的だが、捕虜から人間としての尊厳と抵抗の意志を奪い取るには、十分すぎるほど効果的な手段だった。
だが、震える唇の端を歪め、菊花は暗闇の中でニヤリと笑った。
「……ホンマ、アホやな。ノヴァの連中は」
身につけている物をすべて奪えば、何もできないとでも思っているのだろうか。
甘い。甘すぎる。
エリシオンの技術力と、メインメカニックの執念を舐めてもらっては困る。
((来とる、来とる……。 ウチの可愛い蜘蛛ちゃんが、しっかり仕事しとるわ))
菊花が目を閉じると、真っ暗な視界の裏側に、緑色のデータ列が滝のように流れ込んできた。
ダフネに搭載された『シンクロコア』。
パイロットの精神波を送信し、離れた場所にある機械を自身の身体のように動かす技術だ。
菊花はこれを極小サイズに改良し、衣服のボタンに偽装した小型ハッキングロボットに組み込んでいた。
敵が菊花の服を没収し、乱雑にロッカーへ投げ込んだ時点で、勝負はついていたのだ。
ロボットは勝手に服から抜け出し、基地のメインコンソールへと物理接続を果たしている。
「さて、と……。まずは脱出経路と、セキュリティの確認やな」
脳内に直接流れ込んでくるデータを、菊花の優秀な頭脳が瞬時に処理していく。
だが、すぐに余裕の笑みが消えた。
((……アカン。防壁が分厚すぎるわ))
基地の構造図、警備兵の巡回ルート、隔壁のパスワード。
見れば見るほど、絶望的な数字が並んでいた。
丸腰の状態でここを突破するなど、物理的に不可能だ。
((しゃーない。ウチの命は諦めるとして……せめて、仲間に送れる手土産を探さんと))
菊花は思考を切り替え、基地のデータベースの深層へと精神波を潜らせた。
新型機の設計図か、部隊の配置図か。
手当たり次第にアーカイブを漁っていたその時――。
ふと、不自然なほど厳重にロックされた隠しファイルに目が止まった。
『特秘:バイオロイド・キメラ製造記録』
((なんやこれ……?))
菊花は直感に従い、強引に暗号をクラッキングしてファイルを開く。
「ッ!?」
そこに記されていた文字を見て……
菊花の全身から、サァッと血の気が引いた。
【被検体名:ソフィ(レザイト国籍・死亡確認済)】
【処理内容:損傷部位の破棄。脳髄および主要臓器の摘出。クローン培養パーツの移植】
【処置:自我および過去記憶の完全凍結。対象『クロト・アスク』への絶対服従インプリント】
【個体呼称:アイリス】
「……嘘、やろ……?」
拘束された腕が、ガチャリと音を立てて震えた。
脳裏に、ジャンクショップで会った雪色の髪の少女の顔が浮かぶ。
『どうかしましたか、メックちゃん?』
あの時、無機質な微笑みの奥で、あの娘は確かにそう呼んだ。
それは、プログラムのバグなんかじゃない。
冷たい培養液に漬けられ、肉体と精神をバラバラに切り刻まれてもなお、消えずに残っていた『ソフィ』自身の魂の叫びだったのだ。
「あいつら……っ、死んだソフィの脳みそを、人形にぶち込んだって言うんか……!?」
菊花の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
寒さから来る震えではない。
ノヴァ・ドミニオンという国家の、人間の尊厳を塵芥ほどにも思わない純粋な『悪意』に対する、激しい怒りと恐怖の震え。
((クロトは……あのアホは、このこと知っとるんか!?))
いや、知っているはずがない。
もし知っていれば、あんな風にソフィの顔をした人形を隣に立たせて、平然としていられるわけがない。
ノヴァは、ソフィの死を利用して、復讐心で縛り付けている。
その上で、本物のソフィの脳を移植した人形を与え、飼い殺しにしているのだ。
「……許さん。絶対に、許さへんで……っ!」
全裸で鎖に繋がれた暗闇の中で。
菊花はギリッと奥歯を噛み締め、血が滲むほど強く唇を噛んだ。
「データ……とにかく、データや……」
さらに、菊花の脳内に流れ込んでくるデータの中に、音声ファイルのリアルタイムストリームが混じっていた。
先ほどアイリスのメンテナンスを行っていた、医療ブロックの環境マイク。
ずさんな研究員が、音声を拾いっぱなしにしているらしい。
ノイズ混じりの音声から、男のけだるげな声が聞こえてくる。
『あーあ、マジで面倒くせえ。そもそも、なんで死体なんか再利用しなきゃならねえんだよ。
ナノマシンを定着させるのにどれだけ神経使うか……一からクローン培養した方が、よっぽど楽だろうが』
『ベイン主任、文句を言わないの。セラピナ様直々のオーダーですよ?
クロト様の精神をコントロールするためには、彼の亡き恋人と“一寸の狂いもない完璧な造花”が必要不可欠なんです』
女性の助手がたしなめる声に、男――ベインは鼻を鳴らして答えた。
『わかってるよ。特定個体にそっくりなバイオロイドを、一から培養して顔立ちや体格を調整するのに、どれだけ莫大なコストと時間がかかるか。
その点、本人の死体を使い回せば、似ていて当然だからな。
顔も、声帯も、骨格も、ベースは本人そのものなんだ。究極のコストカットってわけだ』
『……言い方が悪趣味です』
『ウチじゃ、死体は立派なリサイクル資源だろ?
脳みその中身さえフォーマットして、都合のいい命令を上書きしてやりゃあ、文句も言わねえ、都合のいい極上の人形の出来上がりだ』
ゲラゲラと下品に笑う男の声。
「……っ、吐き気がするわ……!」
暗闇の牢獄で、菊花は胃液がせり上がってくるのを必死に堪えた。
命への冒涜。
人間の尊厳への蹂躙。
ソフィの遺体を切り刻み、脳を弄り回した理由が───
『その方が本物によく似るし、安上がりだから』だと?
それが、一人の人間の人生の結末だというのか。
((クロトは、この事実を知らんまま、ソフィの抜け殻を抱いとるんか……。あんなにも憎んどったゲイルと同じ、ノヴァの手のひらの上で踊らされとるピエロやないか!))
同情と、爆発しそうな怒り。
菊花はギリッと歯を食いしばり、意識を再びデータネットワークの深層へと向けた。
((こんな胸糞悪いトコ、一秒でも早く潰さなアカン……! エリシオンに、この情報を送るんや!))
菊花は、服に仕込んだ小型ロボットに指令を飛ばし、外部への通信回線を探し始めた。
だが、現実は残酷だった。
【外部接続……アクセス拒否】
【物理回線……遮断済み】
【軍事用ファイアウォール稼働中】
「……クソッ、やっぱりメインシステムから外には繋がらへんか」
ノヴァの前線基地だ。
機密保持の壁は厚く、外部への通信はすべて上位権限でロックされている。
ハッキングドローンのささやかな出力では、正面突破など絶対に不可能だった。
((焦るな。どっかに穴があるはずや。完璧なシステムなんぞ、この世に存在せえへん……!))
菊花は頭をフル回転させ、ローカルネットワーク内の接続機器を総ざらいしていく。
防衛システム、環境維持装置、研究ブロックの端末……どれもダメだ。
だが───
網の目を這い回るドローンのセンサーが、ふと『最下層の雑用エリア』で微弱な無線信号を捉えた。
((……これや!))
それは、基地のトイレや通路の清掃を担う、『自動清掃兼移動ビークル』の充電ステーション。
ビークルに刺された端末にアクセスしてみると、呆れるほどセキュリティが甘い。
それもそのはずだ。
清掃業務に従事しているのは、ノヴァの正規兵ではなく、捕虜として使役されている元シグマ帝国の兵士たち。
軍事機密にも触れられず、ただトイレ掃除とゴミ捨てをやらされているだけの、奴隷階級。
彼らが身につけている腰の業務報告用端末や、ビークルの充電器には、物々しい監視プログラムなど入っていなかった。
((ノヴァの連中は、下働きの人間を『機械以下』やと思っとる。 やから、便所掃除の機械なんかに強固なロックをかけへんのや!))
人間の傲慢さが生んだ、致命的なセキュリティホール。
菊花はそこに全精神波を集中させた。
小型ロボットの触手が、充電ステーションのデータポートに物理的に接触する。
ビークルの業務報告用ネットワークを乗っ取り、基地のゴミ処理施設の外部搬出口の通信アンテナへと、ルートを繋ぐ。
極細の糸のような、か細い通信経路だ。
大容量のデータ……アイリスの製造記録や基地の図面……を送るほどの帯域はない。
((しゃーない。送れるんは、最小限のテキストデータだけや……!))
菊花は意識を研ぎ澄まし、祈るように暗号コードを打ち込んだ。
【SOS。菊花・メックロード。現在地、座標データを添付】
宛先は、エリシオンの緊急暗号回線。
「頼む……! 気づけ、気づいてくれ……!」
全裸で拘束された冷たいコンクリートの上。
菊花は天井を見上げ、血が滲むほど強く唇を噛み締めた。
「烈火……兎歌……! ウチは、こんなトコで終わるつもりは、ないで……!」
カチカチ───ッ
地下牢の中で、送信完了を告げる電子の脈動が、菊花の脳内にだけ静かに響き渡った。
微弱な通信回線を繋ぎ、エリシオンへの暗号データを少しずつ、少しずつ送り出していく。
極度の集中を要する作業の中、菊花は不快な気配が近づいてくるのを感じていた。
「へへっ……いい体してんなぁ、おい」
鉄格子の向こうから、下卑た笑い声が響く。
見張りのノヴァ兵だ。
薄暗い牢の中にあっても、拘束された菊花の健康的な肌と、たわわに実った豊かな胸の膨らみは、男の劣情を煽るには十分すぎた。
「どうせこの後、強化兵士どもが山ほどやってきて、お前をオモチャにして壊しちまうんだ。
……その前に、俺に一発やらせろよ。
どうせ鎖で繋がれて、抵抗なんかできねえだろ?」
男は鉄格子に顔を押し付け、いやらしい視線で菊花の全身を舐め回すように見つめている。
だが、菊花はピクリとも動かなかった。
((あと少し……パーセンテージ、80、90……))
視線を伏せたまま、精神波のコントロールに全神経を注ぐ。
男の言葉など、耳の表面を滑り落ちていくだけだ。
答えて、何になる?
怯えて命乞いをするのも、怒りで喚き散らすのも、男の嗜虐心を満たすだけだ。
今の菊花にとって、一秒でも早く、一つでも多くの座標データを味方に届けること以外に、価値のある行動はない。




