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誘拐と、アイリスの秘密

「なっ……!?」


 思わず絶句する菊花。

 露わになった白く滑らかな肌の鎖骨の下。

 そこには、人間の皮膚にはあり得ない、無機質な黒い印字――ノヴァの生体管理コードが深く刻み込まれていた。


「……こいつは、ソフィじゃない。

 ノヴァが俺を飼い慣らすために造り出した、ただの精巧な人造人間だ」


「じ、人造人間……?」


「ああ。ソフィはあの日、俺の目の前で赤い機体に踏み潰されて死んだ。

 こいつは、ノヴァが与えてくれた、ただの『偽物』だ」


 クロトの言葉は、自らへ言い聞かせるように残酷だった。


 彼は知らない。

 あの日、瀕死のソフィが死んで、そして、どうなったのか。

 その真実を。


 だが、菊花にとっては、それ以上のイカれた光景が目の前に広がっていた。


 胸元を乱暴に開かれ、管理コードという『物』としての証拠を晒されても。

 アイリスは羞恥心も悲哀も見せず、ただ完璧で美しい微笑みを浮かべていたのだ。


「どうかしましたか、メックちゃん?」


 小首を傾げ、生前のソフィとまったく同じ声で、無邪気に笑うアイリス。

 その背筋が凍るような光景に、菊花は一歩、後ずさりした。


「……狂っとる。クロト、アンタも、ノヴァも……狂っとるわ……!」


「そうだな。……では、ご同行願おうか」


「え?」


 バチバチ───ッ

 菊花が驚くのと、青白い電撃が走るのは、同時だった。


 ………

 ……

 …


 場面は変わり、ノヴァ・ドミニオンの前線基地。

 無機質な白に統一された医療・研究ブロックの一室に、低い機械音が響き渡っていた。


 部屋の中央には、円筒形の透明なメンテナンスカプセルが鎮座している。

 薄緑色の特殊な培養液の中に浮かんでいるのは、雪色の髪を持つ少女――アイリスだ。


 無数のケーブルや生体プラグが華奢な体に接続され、定期的なシステムの最適化と、肉体の修復が行われている。


「あー……だるい。

 もう数値、安定してるだろ。

 俺、ちょっとタバコ吸ってくるわ」


 白衣をだらしなく着崩した男が、大きな欠伸をしてパイプ椅子から立ち上がった。

 主任研究員のベインだ。

 ボサボサの髪を掻きむしりながら、露骨にサボる気満々の態度を見せる。


「駄目です、ベイン主任!

 まだ脳波の深層領域のチェックが終わっていません!」


 すぐさま、助手の少女アーミアが食ってかかった。

 丸眼鏡の奥の目を吊り上げ、ホログラムタブレットを抱きしめるようにして男の前に立ち塞がる。

 生真面目で心配性なアーミアにとって、上司のサボり癖は頭痛の種だった。


「もし実戦でエラーが起きたらどうするんですか!

 セラピナ様が戦死されて、ただでさえ上層部はピリピリしているんですよ!?

 これ以上ミスが続いたら、私達まで処分されちゃいます!」


「はいはい、わかったよ。

 お前はホントに心配性だなあ……」


 ベインは鬱陶しそうに手をヒラヒラと振ると、渋々パイプ椅子に座り直した。

 コンソールを叩きながら、内心で毒づく。


((だいたい、わざわざ死体にナノマシンを突っ込んで人造人間を作れとか、ホント悪趣味にもほどがあるぜ))


 ベインはカプセルの中に浮かぶアイリスを、面倒くさそうに一瞥した。


 一からクローンやバイオロイドを培養した方が、よっぽどラクだし、手間もかからない。

 それなのに、セラピナが『クロトを復讐の狂犬として飼い慣らす』とか言うせいで、現場には多大な負担が強いられていた。


((損傷した肉体を繋ぎ合わせて、生体パーツとして機能させるだけでも一苦労だ。

 その上、元の人格を破壊して、クロトへの忠誠心だけを上書きする作業だって、どれだけ骨が折れたと思ってんだか……))


 手作業で脳の言語野や記憶領域を弄り回すのは、繊細で気の滅入る作業だった。

 そのせいで、こうして定期的にカプセルに入れ、精神状態のメンテナンスまでしてやらなければならない。


「主任、聞いてますか?

 大脳辺縁系に、ほんの微小ですがノイズがあります。

 先ほどの潜入任務で、何かイレギュラーな刺激を受けたのかも……」


「あー、大丈夫だろ。所詮は死体の残骸だ。

 エラーが出たら、また記憶領域をフォーマットして、上書きすりゃいいんだよ」


 ベインは鼻ほじりでもしそうな態度で、適当なコマンドを入力していく。


 カプセルの中のアイリスは、心地よさそうに目を閉じている。

 規則正しい寝息を立て、まるで穢れを知らない天使のように安らかな顔だった。


 研究者たちの吐き捨てるような言葉。

 自分が愛する男の恋人の『死体』を継ぎ接ぎして作られた、ただの偽物であるという残酷な真実。

 深い眠りの中にある彼女の耳に、そんな会話が届くはずもない。


 だが。

 完全に破壊され、封印されたはずの脳髄の奥底。

 そこにわずかに残された『ソフィ』の残滓になら――あるいは。


 培養液の中、アイリスの右手が一瞬だけ、クロトの手を求めるようにピクリと動いた。

 その微かな痙攣に、けだるげな男も、心配性の助手も、気づくことはなかった。



 カプセルの中でアイリスの指先が微かに動いたことなど、怠惰な研究者も、タブレットを睨みつける助手も、まったく気づいていなかった。


 そして、もう一つ。

 彼らが気づいていないことがあった。


 コンソールの裏側。

 配線の束がごちゃごちゃと這い回る暗がりに、普段は存在しないはずの『極細のケーブル』が、ひっそりと接続されていたのだ。


 ケーブルの先を辿ってみよう。

 そこには、壁の隙間に張り付くようにして、手のひらサイズの多脚型小型ロボットが潜んでいる。


 蜘蛛のようなフォルムをしたその機械は、音もなくコンソールのデータを吸い出し、基地の地下へと暗号通信を送り続けていた。


 隠密行動やエージェントを用いた諜報活動は、決してノヴァ・ドミニオンの特権ではない。

 この小型ロボットは、基地の地下牢に捕らえられているエリシオンのメインメカニック――菊花・メックロードが、衣服の裏に隠し持ち、密かに放ったお手製のハッキングドローンだった。


「よし、メンテナンス終了。液を抜け」


 ベインが面倒くさそうにエンターキーを叩くと、カプセルを満たしていた薄緑色の培養液がゴポゴポと音を立てて排出されていく。

 プシュー、という排気音と共に、ガラスの円筒が二つに割れて開いた。


「おはようございます」


 アイリスはゆっくりと目を開け、濡れた髪を滴らせながらカプセルから歩み出た。


 身にまとっているのは、水滴だけ。

 完全に全裸であるにもかかわらず、彼女の顔には羞恥心や戸惑いなど微塵も浮かんでいなかった。

 プログラムされていないのだ。


「いやぁ、相変わらずいい体してんなぁ。

 俺好みの絶妙な肉付きっていうか……」

「セクハラです、主任!!」


 スパーン!

 だらしなく鼻の下を伸ばすベインの頭を、アーミアが手元のバインダー(丸めてハリセン状にしたもの)で容赦なく叩き据えた。


「いっテーな! 見るくらい減るもんじゃねえだろ!」

「減ります! 私の労働意欲が!

 ほら、アイリスさん、早くこれを着て!」


 アーミアは顔を真っ赤にして怒りながら、バスタオルと替えの軍服をアイリスに押し付けた。

 アイリスは「ありがとうございます」と微笑み、淡々と身支度を整えていく。


 ちょうどアイリスが軍服のボタンを留め終えた頃、自動ドアが開き、軍靴の足音が研究室に響いた。


「メンテナンスは終わったか」

「クロト様」


 迎えにやって来たクロトの姿を認め、アイリスは深く頭を下げる。

 ベインは頭をさすりながら「ああ、異常なしだ。いつでも連れて行っていいぜ」と適当に手を振った。


 クロトは研究者たちには一瞥もくれず、ただ一言「行くぞ」とだけ告げて、踵を返した。


 〜〜〜


 二人きりの自室に戻るなり、クロトは苛立たしげに上着を脱ぎ捨て、ソファにドカッと腰を下ろした。


「……忌々しい。どいつもこいつもうるさく喚きやがって」


 舌打ちをして、悪態をつく。

 彼の脳裏には、数時間前、リープランドのジャンクショップでの光景が蘇っていた。


『ウソや! 何かの勘違いや!』

『狂っとる。クロト、アンタも、ノヴァも……狂っとるわ……!』


 涙目で自分を説得しようとした幼なじみの顔。

 だが、クロトはその言葉に耳を貸すどころか、その隙を突いて容赦なく気絶させ、捕縛したのだ。


 そして、アイリスと共に民間人の偽装を捨て、秘密裏に手配した輸送機で、菊花をこのノヴァの基地へと連れ帰ってきたのである。


「幼なじみだの何だのと。

 下らない情に訴えかければ、俺が寝返るとでも思ったか。

 ……甘すぎる」


 クロトは冷酷な瞳で、虚空を睨みつけた。

 エリシオンの機体を整備する、メインメカニックの班長。

 それが自らノヴァの懐に飛び込んできたのだ。これほどの幸運はない。


「もはや足で稼ぐ諜報など必要ない。

 あの女を拷問して、機密をすべて吐かせればいいだけのことだ」


 あの『赤い悪魔』――ブレイズの弱点。

 そして、隠密艦エピメテウスの現在位置や、プラズマリアクターの技術情報。

 菊花からすべてを聞き出せば、エリシオンを根絶やしにする決定打となる。


「俺の復讐のためだ。

 ……過去の顔見知りだろうが、知ったことか」


 クロトの声には、一片の躊躇いもなかった。

 復讐という名の狂気は、すでに彼の中から人間らしい感情を焼き尽くし、冷たい灰に変えてしまっている。


「クロト様のお心のままに。

 私がすべて、サポートいたします」


 傍らに立つアイリスが、主の狂気を肯定するように、完璧で優しい微笑みを浮かべる。

 それが、亡き恋人の死体から造られた人形とも知らず。

 クロトはただ、復讐の刃をさらに鋭く研ぎ澄ませていた。


「……そうか」


 無機質な自室のソファで、クロトはグラスに注がれた琥珀色の液体を静かに揺らしていた。

 思い描くのは、無機質な地下室にとらわれた、幼なじみのこと。


「エリシオンのメインメカニック……。

 持っている機密の価値は計り知れない。まずは自白剤で脳の防壁を溶かす」


 クロトは、まるで今日の天気でも語るかのように、淡々と恐ろしい計画を口にした。


「それでも吐かなければ、次は肉体と精神だ。

 あの女の尊厳を徹底的に剥ぎ取ってやる。

 強化処理を施されて理性を失った兵士たちを牢に放ち、囲んで犯して壊す。

 女としての恥辱と恐怖のどん底に叩き落とせば、どれほど強気な女でも必ず口を割る」


 氷のように冷たい声。

 かつての幼なじみに対して向けるものとは到底思えない、底知れぬ残虐さだった。


「……っ」


 その時、クロトのグラスに酒を注ごうとしていたアイリスの手が、微かに震えた。

 カチン、と瓶とグラスが触れ合う音が部屋に響く。


「……クロト、様。

 あの……メックちゃん、は……」


 アイリスは視線を泳がせ、ソワソワと落ち着かない様子で自身の指先を弄っていた。

 その顔には、隠し切れない動揺と、明らかな『悲哀』の色が浮かんでいる。


 クロトはピタリと動きを止め、冷ややかな視線をアイリスに向けた。


「どうした、アイリス。

 挙動がおかしいぞ。

 先ほどのメンテナンスで、大脳の調整でもミスしたか」


「……申し訳ありません。

 ただ、胸の奥が、ざわざわとして……。

 エラー、かもしれません」


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