クロトの幼なじみ
「はむっ……ん、美味しいです、クロト様!」
熱い魚を少しずつ口に運び、アイリスは嬉しそうに微笑んだ。
頬を緩め、目を細めるその仕草。
それはかつて、クロトの隣で笑っていたソフィと、あまりにも似ていた。
((やめろ。お前は、ソフィじゃない……))
胸の奥がチクリと痛む。
クロトは目を逸らし、味のしない魚の身を噛みちぎった。
これは潜入任務だ。周囲の警戒を解き、基地の近くで情報を集めるための、ただのカモフラージュに過ぎない。
決して、デートなどではないのだ。
「急ぐぞ。お遊びはここまでだ」
「はい、クロト様」
アイリスは素直に頷き、クロトの半歩後ろを歩き出す。
二人が向かっているのは、街の裏通りにある巨大なジャンクショップ。
戦場跡から回収されたコマンドスーツの残骸が持ち込まれる場所であり、軍人や傭兵、裏社会の人間が頻繁に出入りしているという。
エリシオンの残存部隊が動いているなら、機体の修理部品を求めて、この店に接触する可能性が高かった。
やがて、目的の場所に辿り着く。
「なんだ、ここは……ただのゴミ捨て場じゃないか」
クロトは思わず眉をひそめた。
そこは、広大な空き地をトタン屋根で覆っただけの、巨大なスクラップヤードだった。
むせ返るような機械油と、錆びた鉄の匂い。
敷地内には、壊れたコマンドスーツの残骸が山のように積まれている。
ひしゃげたリニアキャノンの砲身、装甲が剥がれた胸部フレーム、そして無造作に転がっている千切れた巨大な手足。
まるで、巨人の死骸を積み上げた墓場のようだった。
クロトが周囲を警戒しながら歩き出そうとした、その時だ。
「うおおおおっ!? これ、ホンマもんの東武連邦のパーツやんけ!!」
ジャンクの山の奥から、甲高い女性の声が響き渡った。
「な、なんやこれ! シェンチアンの初期型スキャナーやないか!
しかも、こっちはタイタンの増加装甲!?
なんでこんな辺境の店にシグマの純正パーツが転がってんねん!」
声の主は、オレンジ色の髪をお団子に結い上げ、頭にゴーグルを乗せた小柄な少女だった。
作業着を油だらけにしながら、残骸の山に張り付き、目をキラキラと輝かせている。
「あー、お客さん。あんまり奥の山には登らないでよ。
崩れてくるからさ……」
店番をしているらしい、少しスレた雰囲気の看板娘が、困惑顔でたしなめている。
「お姉さん、これ全部買うわ!
いや、買わせて! エピメテウスの修理にめっちゃ使えるんよ!
あ、でも予算が……しゃーない、ウチのヘソクリ崩すか……!」
「えっと、それ、ただの鉄屑なんだけど……」
一人で興奮し、早口でまくしたてる少女。
その独特の関西弁のような訛りと、どこか見覚えのある顔立ち。
クロトの足が、ピタリと止まった。
((……嘘だろ?))
クロトは息を呑み、その少女の顔を凝視する。
間違いない。
かつて、クロトの故郷であるレザイトで、いつも近所の機械をいじり回していたガキ大将。
「菊花……?」
クロトの口から、呆然とした呟きが漏れた。
故郷は、シグマ帝国に滅ぼされたはずだった。
生き残ったのは、自分とソフィだけだと思っていたのに。
その同郷の幼なじみが今、エリシオンの戦闘空母『エピメテウス』の名を口にしながら、目の前でジャンク漁りをしているのだ。
クロトは、思わず声をかけようとして――ハッと息を呑み、足を踏み止まった。
((エピメテウス……だと?))
その名には、聞き覚えがあった。
ノヴァ・ドミニオンの諜報部がマークしていた、エリシオンの隠密艦。
憎き『赤い悪魔』が所属する、エリシオン。その兵器。
((なぜ、菊花が、こんなところに……?))
故郷レザイトのガキ大将だった菊花。
それが、エリシオンの艦の修理部品を探しているのか?
警戒心がクロトの全身を駆け巡り、彼は帽子を深く被り直して踵を返そうとした。
被爆したエピメテウスの修復のため、菊花が各地をまわり、パーツを探して回っていることなど、クロトは知らないのだ。
((落ち着け、今の俺たちは、ただの民間人だ。敵対組織の人間と接触するのは危険すぎる))
だが、遅かった。
「……あれ?」
部品の山から顔を上げた菊花が、ふと入り口に立つ二人の姿に気づいた。
油だらけのゴーグルを額に押し上げ、目を丸くする。
「うそ……うそやん!? クロト!? それに……ソフィ!?」
菊花は手に持っていたジャンク部品を放り投げ、弾かれたように駆け寄ってきた。
油で汚れた作業着のまま、クロトの肩をバシバシと叩く。
「生きてたんか!
アンタら、あのレザイトから無事に逃げ延びてたんやな!
よかった……ホンマによかったわ!」
屈託のない笑顔で、心底からの安堵を口にする菊花。
その瞳には、うっすらと涙すら浮かんでいた。
菊花は疑っていない。
目の前にいる二人が、あの火の海となった故郷を共に生き抜いた、かつての幼なじみだと信じ切っている。
クロトは、奥歯が砕けそうなほど強く歯噛みした。
((違う。ソフィはもういない……!))
目の前で微笑んでいるこの雪色の髪の少女は、ソフィではない。
ノヴァ・ドミニオンが造り出した、ただの精巧な人造人間だ。
((だが、そんな真実をここで打ち明けるわけにはいかない))
今は民間人としてこの街に潜入しているのだ。
ノヴァの生体兵器を連れ歩いているなどと知られれば、即座にエリシオンとの戦闘に発展する。
「ああ……お前も、無事だったんだな、菊花」
クロトは無理やり表情筋を動かし、ぎこちない笑みを作った。
本当に、偶然、戦火を逃れた同郷の友と再会したかのように。
「そりゃもう! ウチはしぶといのが取り柄やからな!
……ソフィも、怪我とかしてへんか?
あの日、離れ離れになってもうて、ずっと気になってたんよ」
菊花は、クロトの背後に寄り添うアイリスに向かって、ホッとしたように笑いかけた。
「……!」
その瞬間、クロトの背筋に冷たい汗が流れた。
どうする。アイリスは『ソフィ』としての振る舞いなどインプットされていない。
ここで「敵対対象の認識」などと機械的な返答をすれば、菊花に怪しまれる。
クロトが誤魔化すために口を開きかけた、その時だった。
「ええ。大丈夫だよ……メックちゃん」
アイリスが、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて、そう答えたのだ。
ドクン、と。
クロトの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
((……なんだ、今の?))
メックちゃん。
それは、レザイトにいた頃、機械いじりばかりしていた菊花・メックロードをからかって、ソフィが呼んでいたあだ名だ。
ノヴァの人造人間であるアイリスが、そんな局地的なパーソナルデータを知っているはずがない。
ノヴァが潜入任務のために、そこまで精巧な『ソフィの過去』をプログラムしていたというのか?
いや、違う。
アイリスの今のトーンは、あまりにも自然すぎた。
串焼きの魚を食べて微笑んだ時のように。
まるで、アイリスの奥底に、本当のソフィが眠っているかのように――。
「メックちゃんて!
懐かしい呼び方すんなや、もう立派な大人やぞウチは!」
菊花は照れ隠しのように笑い、アイリスの手をぎゅっと握りしめた。
アイリスもまた、握り返しながら嬉しそうに目を細めている。
その光景を見つめながら、クロトは目眩にも似た悪寒を覚えていた。
狂っている。
この造り物の恋人は、一体何なのだ。
なぜ、失われたはずのソフィの記憶を持っているのか。
「……ところで、二人とも今は何してんの? この街に住んでるんか?」
ひとしきり再会を喜んだ後、菊花がふと首を傾げて尋ねてきた。
その無邪気な問いかけが、クロトを現実に引き戻す。
「ああ。色々と流れ着いて、今は裏町で細々と運送業の手伝いをしてる。
お前こそ、さっき物騒な船の名前を出していなかったか?」
クロトは努めて平静を装い、民間人の仮面を被ったまま、エリシオンの核心へと探りを入れた。
「エピメテウス? ああ、いやいや! ただの輸送船のパーツやて。
業者が変な符丁で呼んでただけやわ」
菊花はヘラッと笑い、大げさに手を振った。
しかし、その目は笑っていなかった。油まみれのゴーグルの奥で、クロトの全身を鋭く値踏みしている。
「それよりクロト、随分とガタイよくなったんとちゃうか?
昔はひょろひょろやったのに。運送業の荷運びだけで、そんな軍人みたいな筋肉つくもんか?」
「……荒っぽい街にも行くからな。
護身術くらいは身につけた。
お前のその手のマメも、ただのジャンク屋の店番にしては随分と分厚いじゃないか。
重機か、それとも大型兵器の整備でもしているのか?」
クロトは淡々と答えながら、菊花の腰のラインに視線を這わせた。
作業着の下、不自然な膨らみがある。
((恐らく、小型の携帯火器を隠し持っている。民間人の装備ではないな))
互いに素性を隠そうと、当たり障りのない笑みを浮かべながら言葉を交わす。
だが、そのやり取りはひどく不自然で、息が詰まるような緊張感を孕んでいた。
幼なじみだった頃の素直さは、もう互いに欠片も残っていない。
幾多の死線を潜り抜けてきた『プロ』の気配。
それは、安っぽい民間人の服では隠し切れないのだ。
「……なぁ」
しばらくの探り合いの後――耐えきれなくなったように、菊花は深い溜息をついた。
菊花は周囲を見回し、店番の看板娘が奥に引っ込んでいるのを確認すると、声のトーンをガクンと落とす。
「……なぁ、クロト。ホンマに運送業か?」
「お前こそ、本当にただのジャンク屋か」
真っ直ぐな菊花の視線に、クロトも冷たい眼差しで応じる。
仮面を被り続けるのは、もう、無意味だ。
「ウチはエリシオンの戦闘空母で、メカニックの班長をやっとる。
……アンタ、どこの軍に所属してんのや。
その身のこなし、普通の傭兵ともちゃうな」
「……ノヴァ・ドミニオンだ」
その名を聞いた瞬間、顔色が変わる菊花。
菊花は弾かれたように一歩前に出ると、クロトの胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで声を荒らげた。
「ノヴァにおるんか!?
アホか、今すぐ逃げや!
あそこがどんなトコか分かっとんのか!?」
「何が言いたい」
「あいつらは、人間の尊厳もクソもない外道や!
非道な人体実験でも、洗脳でも、勝つためなら平気でやりおる!
アンタみたいな、まともな人間がおってええ場所やないんやで!」
菊花の脳裏には、ノヴァの実験体として感情を壊された少女───リエンの痛々しい姿が浮かんでいた。
同郷の友が、あんな狂った国家の手先になっているなど、絶対に認めたくないのだ。
だが、クロトは菊花の切実な説得を、鼻で嗤った。
「外道は……お前たちエリシオンだろうが。
あの赤い悪魔……『ブレイス』が街を焼いた。
エリシオンのせいで、俺のすべては燃え尽きたんだ」
「やから、烈火は街を焼いたりせえへんて!
ウソや! 何かの勘違いや!」
「勘違い? 事故?
……そんな言葉で、ソフィは帰ってこない」
クロトの瞳の奥に、昏く冷たい憎悪の炎が揺れている。
菊花はハッと息を呑み、クロトの隣に立つ雪色の髪の少女を見た。
「何言うてんの。 ソフィなら、アンタの横に……」
「よく見ろ」
クロトは冷徹な声で遮ると、隣に立つアイリスの胸元に手を伸ばした。
そして、アイリスが着ていたブラウスの襟元を、無造作に大きく引き下げる。
「なっ……!?」
思わず絶句する菊花。
露わになった白く滑らかな肌の鎖骨の下。
そこには、人間の皮膚にはあり得ない、無機質な黒い印字――ノヴァの生体管理コードが深く刻み込まれていた。
「……こいつは、ソフィじゃない。
ノヴァが俺を飼い慣らすために造り出した、ただの精巧な人造人間だ」




