クロトとアイリス
軍事要塞『バグラザード』をめぐる攻防の、最終番。
灰色の装甲を持つコマンドスーツ――『カーバンクル』のコックピットで、クロト・アスクは静かに息を吐いた。
カーバンクルのカメラアイ越しに、はるか上空を見上げる。
一筋の光が、異常な速度で天頂へと急上昇していくのが見えた。
ガロ・ルージャンが操る機体、『シームルグ』だ。
((……合図か))
クロトは無表情のまま、首をコキリと鳴らした。
カーバンクルは背部のジェットパックを吹かし、戦域から急速に離脱していく。
『クロト様。シュガール戦闘空母への帰還ルート、設定完了しました』
通信パネルから響くのは、透き通るような少女の声。
クロトの専属サポーターであり、絶対の忠誠を誓う人造人間――アイリスの声だ。
「ああ、分かった。最大船速で急行しろ。……"太陽"が落ちてくるぞ」
ノヴァ・ドミニオンの部隊は、あらかじめ撤退の準備を済ませていた。
カーバンクルをはじめとするファランクスの部隊は、空域で待機していたシュガール戦闘空母へと次々に帰投していく。
一方、眼下に取り残されたエリシオンの部隊は、明確な混乱に陥っていた。
敵の急な撤退と、上空から迫る異常なエネルギー反応。
異変に気付いた彼らもまた、自軍の強襲揚陸艦『エピメテウス』へと急いで帰還しようとしている。
「愚かな」
クロトの唇から、冷たい嘲笑が漏れた。
手際が悪い。判断が遅い。
あんな鈍重な動きで、これから落ちてくる絶望から逃れられるはずがない。
上空の雲が、不自然なほど赤く染まり始めていた。
成層圏から放たれた指向性核融合砲───『ヘリオス』。
水爆のエネルギーを一筋の閃光に収束させた、悪魔の兵器だ。
((すべて消え去れ。 俺からソフィを奪った、忌まわしいエリシオンの犬どもめ))
クロトは昏い憎悪を瞳に宿し、モニターに映るエピメテウスを睨みつけた。
その時───
逃げ遅れたエピメテウスの前に、一機のコマンドスーツが飛び出した。
紅白に彩られた機体――ゲイル・タイガーの操る『ダフネ・ザ・フェニックス』!
『……あれは、シグマの裏切り者か。何をするつもりだ?』
クロトが眉をひそめた直後、
ダフネは眩いばかりの黄金の光に包まれた。
プラズマリアクターの限界を超えた、もう一つの姿。
パイロットの命を削る『覚醒』状態となり、強大な光の盾となってエピメテウスを庇おうとしているのだ。
「無駄な足掻きを……っ!」
さらに、紫色の機体――ギゼラの『ウェイバー』がダフネに並び立ち、とっさに巨大なシールドを展開したのが見えた。
だが、遅い。
音すらない、純白の閃光。
ヘリオスが地上に着弾した瞬間、世界の色が白一色に塗りつぶされた。
まばゆい光。
轟ろく音。
遅れて、衝撃。
シュガール戦闘空母の分厚い装甲越しでさえ、鼓膜が破れそうな轟音が響き、船体が激しく揺さぶられる。
クロトは座席に身体を固定しながら、メインモニターの映像に目を凝らした。
圧倒的な光と熱の奔流が、戦場だった渓谷をプラズマの海へと変えていく。
黄金の光でエピメテウスを守っていたダフネは、かろうじてその形を保っていたが、隣にいたウェイバーは違った。
『なっ……!?』
展開されたシールドごと、ウェイバーの巨体が紙屑のように吹き飛ばされていく。
熱波と爆風に巻き込まれ、瞬く間に光の海へと呑み込まれて消えた。
直後、カメラのセンサーが焼き切れ、モニターが砂嵐に覆われる。
「……終わったな」
クロトは操縦桿から手を離し、深くシートに背中を預けた。
大地はガラス化し、赤い硫酸の雲が立ち込める死の世界へと変わったはずだ。
ダフネに守られた母艦がどうなったかは分からないが、甚大な被害は免れないだろう。
((だが、足りない。あの赤い悪魔――『ブレイズ』を俺の手で引き裂くまでは))
クロトの脳裏に、戦火の下で息絶えた恋人、ソフィの姿がフラッシュバックする。
そして、ソフィの命を奪った忌まわしい赤い機体の咆哮が、耳の奥でこだましていた。
〜〜〜
圧倒的な光と熱から逃れ、シュガール級戦闘空母は飛び続けた。
眼下の景色は、赤い硫酸の雲に覆われ、もう何も見えない。
やがて空母は、戦域から遠く離れたノヴァ・ドミニオンの前線基地へと着陸態勢に入った。
そこは、かつてシグマ帝国が所有していた軍事要塞、だった場所。
だが、土気色をした無骨な石と鉄の建造物は、すでに過去のものだ。
すでに、ノヴァの圧倒的な科学力によって、基地は様変わりしている。
滑らかな白い装甲壁と、青白い光のライン。
幾何学的なデザインが並ぶ、近代化を通り越した未来都市のような光景が広がっていた。
ズズン───
重たい着地音が響き、空母がドックに収まる。
クロトはカーバンクルのコックピットを開け、外の空気を吸った。
「おいおい! また除染作業かよ! 今月に入って何回目だ!」
「文句言うな。ヘリオスがぶっ放されたんだ。
被爆したくなきゃ、とっとと吸着ジェルを撒け!」
眼下のデッキでは、メカニックたちが慌ただしく走り回っていた。
防護服を着込んだ男たちが、ホースを抱えて空母やカーバンクルに群がってくる。
無人ドローンが飛び交うハイテクな基地にあっても、最下層で汗を流すのは生身の人間だ。
「おい、クロト様の機体だぞ!
傷つけないように丁寧に洗えよ!」
「わかってるよ。
ったく、あんな化け物みたいな兵器の近くを飛ぶなんて、パイロットもイカレてるぜ」
ぼやきながらも、彼らは手際よく除染用フォームを吹き付けていく。
洗剤の匂いと、機械の焦げたような匂いが混ざり合う。
クロトはその泥臭いやり取りを、どこか冷めた目で見下ろしていた。
「クロト様。ご無事で何よりです」
背後から声をかけられ、クロトは肩をビクンと揺らした。
振り返ると、昇降リフトの前に一人の少女が立っていた。
美しい雪色の髪。人間離れした美貌。
そして、軍服の上からでもわかる、ずっしりとした胸の膨らみ。
「アイリス……」
クロトの唇から、掠れた声が漏れる。
ノヴァによって造られた、クロトに絶対の忠誠を誓う人造人間。
その顔立ちは、死んだ恋人のソフィと瓜二つだった。
「お疲れ様でした。お怪我はありませんか?」
アイリスは完璧な微笑みを浮かべ、タオルを差し出してくる。
その声のトーンも、ふとした仕草も、ソフィとまったく同じだ。
クロトはタオルを受け取ろうとして、アイリスの指先に触れた。
温かい。
生きている人間の体温だ。
((違う。こいつはソフィじゃない。……ただの精巧な人形だ))
頭ではわかっている。
ノヴァが自分のために用意した、都合の良い造花だと。
それでも、クロトは差し出された手を強く握りしめてしまった。
「クロト、様……?」
「……何でもない。部屋に戻るぞ」
アイリスを強引に引き寄せ、クロトは足早にドックを後にした。
心がぐちゃぐちゃだった。
憎悪と喪失感、そして目の前の『偽物』にすがってしまう自分への嫌悪感。
クロトの情緒は、すでに限界近くまで摩耗していた。
((……くそッ、くそッ、くそがッ!!))
自室に戻ると、備え付けの端末が緑色の光を点滅させていた。
ノヴァ上層部からの暗号通信だ。
クロトはアイリスを下がらせ、端末のロックを解除する。
画面に並んだ文字を目で追い、彼はピタリと動きを止めた。
『次期任務。リープランド自治領へ潜入し、エリシオン残存部隊の動向を探れ』
リープランド。
その地名を見た瞬間、クロトの脳内で何かが弾けた。
((リープランド……俺とソフィが、逃げ延びた街))
そして、あの『赤い悪魔』が、ソフィの命を奪った因縁の場所だ。
暴走した炎色の機体の咆哮。
崩れ落ちる瓦礫。
血まみれになったソフィの、冷たくなっていく手。
「ああ……っ、ああっ!」
クロトは頭を抱え、呻き声を上げた。
フラッシュバックする記憶が、その心臓を鷲掴みにする。
怒りが、悲しみが、とめどなく溢れ出してくる。
「クロト様、どうされましたか?」
異変に気付いたアイリスが、心配そうに駆け寄ってきた。
その顔を見るなり、クロトの中で張り詰めていた糸がプツリと切れた。
「ソフィ……!」
クロトはアイリスを押し倒し、荒々しく軍服を剥ぎ取った。
「クロト様……っ」
アイリスは抵抗しない。
絶対の忠誠をプログラムされたアイリスは、クロトのすべてを受け入れる。
クロトは、彼女の雪色の髪を鷲掴みにし、何度も唇を塞いだ。
愛情などではない。
これは八つ当たりだ。
やり場のない怒りと絶望を、目の前の『人形』にぶつけているだけ。
散々に彼女を犯し、体を重ね合わせる。
それでも、心の穴は少しも埋まらなかった。
「ソフィ……なんで、俺を置いていったんだ……」
事切れたようにベッドに倒れ伏し、クロトは嗚咽を漏らす。
アイリスは静かに身を起こし、傷ついたクロトの頭をそっと胸に抱き寄せた。
「私はここにおります。クロト様」
その言葉は、果たしてプログラムされたものなのか。
それとも、別の何かなのか。
クロトには、もう確かめる術はなかった。
アイリスの柔らかい胸に顔を埋めたまま、クロトは泥のような眠りへと落ちていった。
因縁の地、リープランドへと向かうことだけを、微かな意識の隅に留めながら。
〜〜〜
それから、一週間の時が流れた。
大陸西部に位置する小国家、リープランド自治領。
クロトとアイリスは、民間人の衣服に身を包み、市街地の大通りを歩いていた。
かつてのこの街は、素朴で温かみのある風景に満ちていた。
陽光に照らされた石畳に、窓辺に飾られた色とりどりの花。
だが、今のリープランドにその面影は薄い。
シグマ帝国とエリシオンの激戦、そして度重なる戦乱により、街は少し荒んでいた。
石畳はひび割れ、木造の家々には生々しい弾痕や焼け焦げた跡が残っている。
遠くの丘陵に見える風車も、羽の一部が欠けたまま、痛々しく回っていた。
「……ひどい有様だな」
クロトは目深に被った帽子の下で、忌々しげに呟いた。
人々は仮設のテントで商売を始め、たくましく生きようとしている。
だが、すれ違う人々の顔には、明らかな疲労が滲んでいた。
だが、クロトの胸を苛むのは街の惨状に対する同情ではない。
ここは、ソフィを失った因縁の地。
あの『赤い悪魔』が、理不尽な暴力で自分のすべてを奪い去った場所だ。
歩を進めるたびに、胃の腑から吐き気を催すほどの憎悪が込み上げてくる。
「クロト様。あちらの屋台、良い匂いがしますね」
隣を歩くアイリスが、ふと足を止めた。
視線の先には、仮設の市場がある。
ドラム缶を割った即席の網で、川魚の串焼きがパチパチと音を立てていた。香ばしい煙が、辺りに漂っている。
「……食べるか?」
「よろしいのですか?」
パッと顔を輝かせるアイリス。
その表情は、冷酷なノヴァの人造人間とは思えないほど、年相応の少女らしさに溢れていた。
クロトは無言のまま小銭を払い、焼きたての魚が刺さった串を二本受け取る。
一本をアイリスに手渡すと、彼女は両手で大切そうに串を受け取った。
「はむっ……ん、美味しいです、クロト様!」
熱い魚を少しずつ口に運び、アイリスは嬉しそうに微笑んだ。
頬を緩め、目を細めるその仕草。
それはかつて、クロトの隣で笑っていたソフィと、あまりにも似ていた。
((やめろ。お前は、ソフィじゃない……))




