トモダチに なろう
だが、運命は彼を許さなかった。
やがて世界は二つの巨大国家――東武連邦とシグマ帝国を生み出し、さらなる大戦へと突き進んでいくことになる。
「俺が再び表舞台に立ち、『エリシオン』という対抗組織を作り上げたのは……。
ただの、身勝手な欲求だ。
生き残るため、それだけさ」
「綺麗事を並べるつもりは、ない」
ギンは冷ややかに言い捨てた。
庭園の空間に、再び無数のデータが奔流となって駆け巡る。
それは人類の歴史を俯瞰する、恐ろしく巨大な計算結果の羅列だった。
「人類は、すでに種としての完成に近い。
科学を飛躍させ、資源枯渇を回避し、同族以外の脅威が存在しない『優良種』だ。
これほどまでに環境適応能力が高く、自ら限界を突破し続ける種は珍しい」
銀髪の少年は、淡々とした口調で続ける。
彼が提供した『リアクター』と『リパルサーリフト』。
その二つの発明は、かつての地球が抱えていた大気汚染やエネルギー問題という重石を、いとも簡単に取り払った。
「だが、それでも足りない。
種として完璧に近づくほど、彼らは『自分たちを傷つける術』をより高度に発達させた。
国境、思想、利権……そんな些細な差異が、巨大な衝突の引き金になる」
ギンにとって、人類の未来を信じるだの、可能性を期待するだのといった感傷は、演算対象にすらならない。
ただ、この『優良種』が早々に滅び去るのは───
銀鮫 カイという一人の存在にとっての損失であり、管理すべき箱庭の崩壊を意味するに過ぎなかった。
「オレが守りたかったのは、この地下庭園だけだ。
だが、この庭園を維持し、ミイの命を繋ぐためには、世界全体という広大な檻が必要だった」
ホログラムが映し出すのは、半世紀に及ぶギンの暗躍。
各国の主要施設へのハッキング。
政治家たちの弱みを握り、国策を誘導する。
エリシオンという名の「小国家連合」を、まるで盤上の駒のように配置し、ノヴァ・ドミニオンという絶対的な敵対勢力を常に意識させることで、世界を制御し続ける。
「100年だ。
オレは一世紀を費やして、エリシオンという防御壁を構築した。
兵器を開発し、国々を懐柔し、情報を統制し……彼らが互いに殺し合う速度を調整した」
セレーナは、そのあまりの規模の大きさに言葉を失う。
この少年の手の上で、自分たちの国も、命も、戦争の火種さえもが踊らされていたのだ。
「結論は一つしかなかった。
この庭園を守るためには、世界ごと戦争の火中に投げ込むしかない。
さもなくば、緩やかな腐敗によって世界は崩れ、オレたちもろとも消滅するだけだ」
ギンはティーカップを置き、静かにセレーナを見つめた。
そこに、かつて研究室でフレギアと笑い合っていた青年の面影はない。
「これがエリシオンの正体だ。
理想も、正義も、希望も存在しない。
あるのは、この庭園という檻を死守するための、冷徹な生存戦略だけだ」
庭園の木々が、風もないのに揺れた。
それは、一人の不老不死が100年の果てに辿り着いた、あまりに巨大で残酷な「庭の手入れ」の全貌であった。
「さて、代表。
すべてを知ったキミが、次に選ぶのはどちらだ?
オレを排除してこの庭園を潰すか、それともこのまま駒として、世界を燃やし続けるか」
ギンは尋ねた。
その瞳には、セレーナがどのような答えを出そうとも、それが既定のプロセスとして処理されるだけであるという───
虚無に近い冷徹さだけが宿っていた。
「もし、私が貴方を……この国の最大のガンとして、排除すると言ったら?」
セレーナの問いかけは、静かで、しかし確かな敵意を帯びていた。
その瞬間、隣に座っていたミイが立ち上がった。
赤い瞳が、猛禽類のように細められる。
普段の気さくな態度は消え失せ、冷酷な殺気がセレーナを包み込んだ。
「……そん時は、わたしが相手をするよ。
セレーナちゃんでも、誰でも。
カイの邪魔をするヤツは、わたしが全部、殺す」
ミイの背後に、圧倒的な暴力の気配が膨れ上がる。
冗談ではない。
この猫耳の少女は、本気でエリシオンの代表を、ここで血祭りにあげるつもりだ。
だが、ギンは片手でミイを制した。
「戦ってやるさ」
ギンは平然と言い放った。
「キミがオレを敵と見なすなら、エリシオン全軍を敵に回してでも、オレはこの地下庭園を死守する。
……だが、それは『最悪の悪手』だ。
キミにとっても、オレにとってもな」
ギンの指が再び宙を舞う。
ホログラムの映像が乱れ、無数の小さなウィンドウが空間を埋め尽くした。
それは、気が遠くなるほどの数の『シミュレーション結果』だった。
((……なに、これ))
セレーナは、息を呑んで映像を見つめた。
そこに映っていたのは、少しずつ異なる過去と未来の断片。
そして、そのほとんどの映像の中心には、燃えるような赤毛の若者――烈火・シュナイダーの姿があった。
「オレは、数万、数億の未来を予測し、その中からただ一つ、この庭園が生き残るルートだけを綱渡りで歩いてきた」
ギンが指差した一つのウィンドウが拡大される。
そこに映っていたのは、ヴァイスマンが孤児院を建てなかった世界線の烈火だ。
『邪魔するヤツは、全部ブッ殺す』
映像の中の烈火は、エリシオンの軍服を着ていない。
全身に返り血を浴び、裏社会の王として暗黒街に君臨する、冷酷なマフィアの姿だった。
「ヴァイスマンがいなければ、あの超人はエリシオンの戦力にならず、裏社会の覇王として牙を剥く。
だから、孤児院を作って恩を売り、軍に引き入れた」
別の映像が浮かび上がる。
ノヴァの実験体、リエン・ニャンパ。
彼女を危険因子として『殺せ』と命じたルートの映像だ。
『ふざけんな。こいつは、俺が守るって決めたんだ!』
映像の中の烈火はブレイズを駆り、味方であるはずのエリシオン軍を次々と破壊していく。
そして、兎歌とリエンを連れて、どこかへと姿を消してしまう。
「あの男から『守るべきもの』を無理に奪えば、強烈な庇護欲はオレたちへの牙に変わる」
さらに別の映像。
リエンを強引に拘束し、さらなる実験体として扱ったルート。
そこには、絶望の中で死にゆく兎歌の姿と、完全に心が壊れ、廃人のようになった烈火の姿があった。
「兎歌・ハーニッシュが死ねば、烈火の心は砕け散る。
ただの肉の塊になり、戦場には二度と戻らない」
そして、また別の映像。
制御不能な烈火に対し、エリシオンの兵士が銃口を向けたルート。
烈火は一切の躊躇なく、その兵士を素手で殴り殺していた。
結果として烈火は危険分子として兎歌と引き離され、別々の戦線に送られる。
そして、互いを失った二人のうち、どちらかが必ず戦死する結末が映し出されていた。
「これらはすべて、オレが演算した『失敗のルート』だ」
ギンは、無数に浮かぶ絶望的な未来の映像を、冷徹な目で見渡した。
「烈火に銃口を向ければ、殺される。
無理に従わせようとすれば、離反される。
……どの一手を取り間違えても、ゲイル・タイガーもリエン・ニャンパもエリシオンには与しない。
そして、トップエースを揃えられなかったこの国は、ノヴァの圧倒的な戦力の前に確実に滅びる」
映像の中で、エリシオン本国が火の海に沈んでいく。
東武連邦に蹂躙され、あるいはノヴァの閃光に焼かれ、地下庭園もろとも消滅する未来。
セレーナは、めまいすら覚えるほどの情報量に圧倒されていた。
烈火・シュナイダー。
あの一見ただの粗暴な若者が、どれほど世界を左右する巨大な特異点であるか。
そして、この目の前にいる作戦参謀が、どれほど薄氷を踏むような思いで、現在という奇跡のバランスを維持してきたのか。
「オレは、一番マシな未来を選ぶために、選択に選択を重ねてきた。
ひたすらに演算し、未来から逆算を続けた」
ギンはホログラムをすべて消し去る。
地下庭園に再び静寂が戻った。
無数の絶望的な未来。
そして、一人の不老不死が背負ってきた、あまりにも巨大で冷徹な計算の果て。
ギンは、セレーナが恐怖に震え、あるいは絶望して自分を糾弾する言葉を待っていた。
だが。
「……分かりました」
セレーナの声は、驚くほど澄んでいた。
足元に捨てた護身用の拳銃には、もう見向きもしない。
セレーナは深呼吸を一つすると、凛とした足取りでギンに向かって歩み寄った。
「ですが、それらの情報は、今の私には重要ではありません」
「……なんだと?」
予想外の言葉に、ギンの眉が微かに動く。
「貴方が不老不死の怪物であろうと、冷徹な計算で人々を盤上の駒として扱っていようと……そんなことは、些末な問題です」
セレーナは、ギンの透き通るような青い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「私にとって重要なのは、貴方が今、このエリシオンの地に住む『国民』であるという事実だけです。
そして……私は、エリシオンの代表です」
セレーナの瞳に宿る、揺るぎない覚悟の光。
「代表である以上、私にはすべての国民を守る義務があります。
貴方も、ミイさんも。
そして……貴方が100年をかけて守り抜こうとしている、この美しい庭園も含めて」
その言葉に、今にも飛び掛かろうと殺気を放っていたミイが、ぽかんと口を開けた。
「えっ……? わたしも、守ってくれるの?」
「ええ、当然です」
セレーナはミイに向かって柔らかく微笑み、再びギンへと向き直った。
「政治家にとって一番重要な仕事は、力で誰かを排除し、戦うことではありません」
セレーナは、スッと右手を前に差し出した。
「対話し、手を結び……『トモダチ』を増やすことです。
そうでしょう?」
差し出された小さな手。
それは、ただの傀儡であることをやめ、真の指導者として共に国を背負おうとする───
セレーナからの『同盟』の証だった。
セレーナの胸の奥には、熱いものが込み上げていた。
今まで、自分はただ飾られただけの存在だと卑下し、見えない不安に怯えてばかりいた。
ギンの冷徹なやり方が理解できないと、どこかで突き放していた。
だが、それは違ったのだ。
((私が理解できなかったのは、私がこれまで、本気でエリシオンを守ろうとしていなかったからだわ……))
ギンは、自分の庭園のためとはいえ、100年間も本気で世界と戦い、この国を守り続けてきた。
その血の滲むような執念の重さを知ろうともせず、ただ「恐ろしい」と切り捨てようとした自分が。
今はたまらなく恥ずかしかった。
「……オレと、手を結ぶと言うのか。
人類をモルモットのように扱う、このオレと」
「はい。 貴方のその知恵も、冷酷さも、すべて私がエリシオンのために使わせていただきます。
代表として」
迷いのないセレーナの宣言に、ギンはしばらくの間、目を丸くして立ち尽くしていた。
演算を続けてきた。
何回も、何回も。
演算結果は、セレーナを代表にするのが最適解だと出ていた。
だが、なぜその結果が出たのかまでは、分析していなかった。
分析するべきことは無限にあり、重要でないことは、演算結果を鵜呑みにするしかないのだ。
そして今、その演算の理由を知った。




