ノヴァ・ドミニオンの正体
『カイ! 見て、これ! 最終フェーズのシミュレーション、完璧だったわ!』
映像の中の少女は、弾むような声で叫んだ。
橙色の髪を揺らし、好奇心に満ちた瞳を輝かせるその姿は、年相応の無邪気な少女そのもので。
「……ん?」
しかし、セレーナはその顔立ちに見覚えがあった。
「この方は……まさか、ノヴァの……フレギア総帥?」
現在、ノヴァ・ドミニオンを統べる冷徹な魔女。
歴史の教科書にも載っている、人類史上初、宇宙国家をつくった女!
その若き日の姿が、そこにあった。
『テロメアの修復プロセス、細胞の自壊プログラムのキャンセル……全部、理論通りよ!』
少女――若き日のフレギアは、端末のデータをカイに突きつけながら、興奮気味にまくし立てる。
『これで証明されたわ。
人類は、寿命という名の「病」を克服できるって!』
『……ああ。素晴らしい成果だ、フレギア。
キミの理論は正しかったよ』
若き日のカイが、穏やかに微笑んで頷く。
その言葉を聞いた瞬間。
フレギアの表情が、誇らしげなものから、どこか安堵したような、愛おしげなものへと変わった。
『ふふっ。これでやっと、カイに追いつけたわ』
少女は白衣のポケットから、小さな試験管を取り出し、愛おしそうに見つめた。
中には、虹色に輝く液体が揺らめいている。
『貴方が「不老不死」の体を手に入れてから、ずっと怖かったの。
貴方だけが永遠の時間を生きて、私だけが老いて置いていかれるのが……
本当に、怖かった』
フレギアは潤んだ瞳でカイを見つめ、はにかむように笑った。
『でも、もう大丈夫。
これを使えば、私も貴方と同じ場所に行ける。
……ねえ、カイ。これで私たちは、ずっと一緒に「人間の可能性」を探求し続けられるのね』
『ああ。オレたちの時間は、これから無限に続くんだ』
カイもまた、優しく微笑み返していた。
窓から差し込む陽光の中、二人は手を取り合い、希望に満ちた未来を語り合っていた。
そこには、狂気も、対立も、戦争の陰りすらもない。
ただ純粋に、科学の力で人類を次のステージへと導こうとする、二人の天才の幸福な時間だけが流れていた。
「……ッ」
ホログラムを見つめるセレーナは、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
映像の中のフレギアは、あまりにも純粋で。
そしてカイのことを、心から信頼しているように見えたから。
「……オレたちは、間違いなく『同志』だった」
現在のギンが、独白のように呟いた。
「だが、永遠の命を手に入れたことが……オレたちの運命を、決定的に狂わせることになったんだ」
「不老……不死……」
「そうだ。 オレが不老不死の研究に没頭したのは、人類のためでも、自分のためでもなかった」
ギンの指先が動くと、ホログラムの映像が切り替わった。
映し出されたのは、無機質な隔離病室のような場所。
ベッドの上には、一人の幼い少女が座っている。
頭には猫のような耳があり、肌の一部は鱗のように硬質化していた。
それは、不幸な遺伝子の変異によって「怪物」として生まれてしまった、幼き日のミイの姿だった。
「ミイは、孤独だった。
その特異な肉体は、成長するたびに自らを傷つけ、短命を運命づけられていた」
映像の中の若いカイが、少女の手を握りしめ、何かを懸命に語りかけている。
「オレはミイを救いたかった。
ただ、それだけだったんだ。
……数えきれないほどの実験と失敗を繰り返し、倫理を踏み越え、ようやくミイの細胞を安定させることに成功した。
その副産物が、テロメアを修復し続ける『不老不死』の肉体だったんだ」
セレーナの視線が、机に突っ伏して眠るミイへと向く。
あの底抜けに明るい少女が、かつては死の淵にいた孤独な「怪物」だったとは。
「そして、そんなオレの研究に、誰よりも早く追いついてきた天才がいた」
再び、映像は明るい研究室へと戻る。
フレギアだ。
フレギアはカイの一番弟子であり、類まれなる才能を持っていた。
彼女もまた、カイの理論を吸収し、自らの体に施術を行うことで、若くして永遠の命を手に入れていた。
『カイ! 計算結果が出たわ!』
映像の中のフレギアが、分厚いレポートをデスクに広げる。
しかし、その表情は明るくはなかった。
『……やっぱり、駄目ね。 コストが掛かりすぎるわ』
二人が直面した壁。
それは、「不老不死の技術は、一般化できない」という現実だった。
『後天的に遺伝子を書き換え、細胞を安定化させるには、天文学的な費用と設備、そして長い時間が必要になる。
それに……人間の個体差が大きすぎるのよ』
悔しげに唇を噛むフレギア。
適合する遺伝子を持つ者は、数万人に一人。
それ以外の者に施術を行えば、拒絶反応で肉体が崩壊してしまう。
カイとフレギア、そしてミイ。
彼らは、選ばれた特異点に過ぎなかったのだ。
『これじゃあ、人類を救うことなんてできない。
一部の特権階級だけが生き残るなんて、私の望む未来じゃないわ!』
フレギアは机を叩いた。
当時の少女は、誰よりも純粋に、全人類の救済を願っていたのだ。
カイは沈痛な面持ちで腕を組む。
そしてフレギアは猛然とホワイトボードに向かい、数式を書きなぐり始めた。
何日も、何日も。寝食を惜しんで。
そして、ある日のことだ。
『……見つけた。見つけたわ、カイ!!』
狂喜の声と共に、フレギアはカイの手を引いた。
フレギアが指差したモニターには、複雑怪奇な神経パルスの波形と、それが機械とリンクするシミュレーション映像が映し出されていた。
『肉体が脆弱で、個体差があるのが問題なら……「器」を変えてしまえばいいのよ!』
フレギアの瞳が、希望に満ちて輝いていた。
『人間の脳神経と機械を、ダイレクトに接続する理論……名付けて「アニムス・リンク」。
これを使えば、肉の体を捨てて、鋼鉄の肉体を手に入れることができる!』
それは、のちに『アニムスキャナー』と呼ばれ、コマンドスーツの制御系として、世界を塗り替えることになる技術。
その、産声だった。
『見て、この反応速度!
思考するだけで機械の手足が動くわ!
これなら、老いも病気も関係ない。人類は、頑強な「鉄の体」を手に入れるわ。
過酷な環境でも、生き延びられるようになる!』
フレギアはカイの手を両手で包み込み、満面の笑みで言った。
『ねえ、カイ。
これで人類の未来は明るいわ!
誰も死なない、誰も苦しまない世界が作れるのよ!』
『ああ……凄いな、フレギア。
キミは本当に天才だ』
映像の中の二人は、心からの笑顔で見つめ合い、手を取り合っていた。
そこには、一点の曇りもない希望があった。
この技術が、やがて巨大な人型兵器を生み出し、世界中を戦火で包むことになるなどとは───
この時の二人は、知る由もなかったのだ。
ただ、純粋に。
人類の幸福な未来を信じて、二人の天才は笑い合っていた。
「……しかし、希望の光は、やがて世界を焼き尽くす炎へと変わった」
ギンの静かな声と共に、ホログラムの映像がノイズに包まれ、急速に暗転した。
次に映し出されたのは、桜の舞う穏やかな研究室ではなく───
泥と血に塗れた戦場だった。
『目標、捕捉! 歩兵部隊を制圧しろ!』
通信機越しの怒号と共に、土煙の中からぬっと姿を現す無骨な機械の腕。
それは、アニムスキャナーの初期型を搭載した、黎明期のパワードスーツだった。
人間の思考をダイレクトに反映するその兵器は、従来の戦車よりはるかに小さく、速く、生身の歩兵を虫けらのように蹂躙していく。
まだコマンドスーツと呼ばれる前の、小さくも凶悪な鋼鉄の猟犬たち。
「フレギアの生み出した『アニムス・リンク』は、望んだ医療や義体技術としてではなく……
瞬く間に、効率的な人殺しの道具として、世界中に広まっていった」
映像の中で、パワードスーツの機銃が火を吹き、街が瓦礫の山へと変わっていく。
それは、作中で語られる『大戦』よりもさらに前、アニムスキャナーが初めて実戦投入された、凄惨な戦争の記録だった。
「……どうして」
セレーナが、震える声で呟いた。
「どうして、あんなに純粋だった技術が、兵器に……?」
「単純なことだ。
フレギアの理想には、致命的な欠陥があったんだよ」
ギンは皮肉げに笑う。
「『鉄の肉体』を手に入れても、脳が老化すれば意味がない。
かといって全身をサイボーグ化するには、やはり莫大なコストと設備が必要になる。
結局、一部の富裕層や軍の特務部隊にしか普及しなかった」
「……」
「そして、大半の人間は……病や老いから逃れることよりも、目先の利益や領土のために、その技術を『外付けの鎧』として使う道を選んだんだ。
それが、今のコマンドスーツの原型だ」
ホログラムが再び切り替わる。
焼け野原となった街を見下ろす、高台の研究施設。
そこに、フレギアとカイが立っていた。
しかし、かつてのように笑い合う二人の姿はない。
『……愚かね』
映像の中のフレギアは、冷たい瞳で燃える街を見下ろしていた。
その顔から、あの無邪気な笑顔は完全に消え失せていた。
『私がどれだけ完璧な器を与えても、中身がこれほどまでに愚かでは、救いようがないわ』
その声には、絶望すら通り越した、氷のような冷酷さが宿っていた。
『カイ。 人間は、今のままでは絶対に駄目よ。
欲望にまみれ、限られた資源を奪い合い、自らの首を絞めるだけの……欠陥品だわ』
『フレギア、早まるな。
人類は順当に進歩しているはずだろ。
待った方がいい』
『いつまで? あと百年? 二百年? その前に、この星が死ぬわ』
フレギアは、カイの制止を冷たく遮った。
『私は見限ったわ。
この、愚かな人類を。
……そして、この腐りきった地球を』
振り返り、真っ直ぐにカイを見据えるフレギア。
その瞳には、かつての恩師へ向ける敬意ではなく、異なる道を往く者への決別が浮かんでいた。
『私は、新しい人類を作る。
肉体の脆弱さも、地球という環境への依存も、すべてを克服した……完璧な「新人類」を。
倫理や感情なんていう不純物は、すべて切り捨ててね』
『……フレギア。 それはもう、人間とは呼べないものになるよ』
『ええ。 それで構わないわ。
生き残ること、ただそれだけが至上命題よ』
それが、二人の天才が交わした、最後の会話だった。
「あの子は、己の理想を現実にするため、全ての倫理を捨てた。
……そうして生まれたのが、太平洋上に浮かぶ人工の独立国家、ノヴァ・ドミニオンだ」
ホログラムの映像がフッと消え、地下庭園に再び静寂が戻った。
「ノヴァ・ドミニオン……」
セレーナは、呆然とその名を反芻した。
リエン・ニャンパのような子供を実験体として使い捨てにし、人間の感情を奪い、兵器として扱う非道な国家。
その成り立ちは、あまりにも悲しく、そして狂気に満ちていた。
「オレは、フレギアを止めることができなかった。
……いや、止める資格がなかったのかもしれない」
ギンは自嘲気味に呟き、手元のティーカップを見つめた。
「俺は銀鮫 カイという名を捨て、ギンと名乗り、南国の辺境へと逃げ込んだ。
フレギアの計画を遠くから眺めながら、ただミイと共に、ひっそりと永遠の時間を消化するつもりだったんだ」
だが、運命は彼を許さなかった。




