ギンの正体
一方、エリシオン本国の地下深く。
一切の光が届かない、冷たいコンクリートの通路。
そこを、一つの影が音もなく進んでいた。
漆黒の髪を束ねた女、ネビュラだ。
エリシオンの代表であるセレーナ・エクリプスの専属護衛である。
ネビュラは、情報屋から得た断片的な暗号データを頼りに、通常は誰も立ち入ることのない『封印区域』へと足を踏み入れていた。
((……セキュリティの規格が、明らかに古すぎる))
手元の小型端末で分厚い隔壁の電子ロックを解除しながら、ネビュラは淡々と分析する。
現在、エリシオンで使用されている量子暗号とは全く異なる、数十年前の旧式アルゴリズム。
情報屋が「エリシオンの歴史の特異点」と呼んだこの場所。
ここには、作戦参謀ギンの正体に繋がる『何か』が、確実に眠っているはずだった。
ゴゥウーン……
重々しい音を立てて隔壁が開き、カビと古い紙の匂いが鼻を突く。
ネビュラはペンライトの細い光を頼りに、部屋の中へと滑り込んだ。
そこは、無数のスチール製キャビネットが立ち並ぶ、旧時代のアーカイブルームだった。
データ化されていない、物理的な書類の山。
ネビュラは合理的な思考で、目的のキャビネットを即座に特定し、引き出しを開ける。
中から取り出したのは、埃に塗れた一冊のファイルだった。
「……これは」
ネビュラは物静かな声を、微かに震わせた。
ペンライトの光が照らし出したのは、色褪せた古い写真と、そこに添えられた記録用紙。
写真に写っているのは、銀色の髪をした、透き通るような青い目を持つ十代の少年。
現在、エリシオンの作戦参謀として地下庭園に引きこもっている『ギン』、その人だった。
だが、ネビュラの目を釘付けにしたのは、その横に記された文字だ。
『銀鮫 カイ』
それが、写真の少年の名前として記録されていた。
そして何よりネビュラの論理的思考をショートさせたのは、その書類に記された日付だった。
今から100年も前の日付。
大戦が起こるよりも前、エリシオンという組織が存在するよりも遥か昔の記録だ。
((100年前の時点で、今のギンと同じ姿……? クローン技術か、あるいは……))
あり得ない仮説が脳裏をよぎった
その刹那───
「あーあ。埃っぽいのによくやるよねー。見られちゃったかぁ」
背後から、ひどく気さくで、場違いなほど明るい声が響いた。
「───ッ!!??」
ゾワリ、とネビュラの背筋に悪寒が走る。
まったく気配を感じなかった。
護衛として鍛え上げられたネビュラの感覚圏内に、ソイツはいつの間にか侵入していたのだ。
ネビュラは振り向きざまに、無駄のない動きで腰のコンバットナイフを抜き放ち───
暗闇の中の『声の主』へと斬りかかった。
だが。
「おっと。物騒だにゃー」
暗闇の中で、ナイフを握るネビュラの手首が、あっさりと掴み止められた。
まるで、万力で固定されたかのようにピクリとも動かない。
「なっ……!」
ペンライトの光が床に落ち、侵入者の姿を仄かに照らし出す。
そこに立っていたのは、一人の少女。
猫耳のついた、奇妙な帽子を被った少女だ。
闇の中で不気味に輝く、赤い瞳。
輝くような金髪が肩に掛かり、タイトな服をはち切れんばかりに押し上げる豊かな胸。
そんな姿が、ペンライトの逆光に浮かび上がっている。
「君、セレーナちゃんちの護衛の子だよね? カイの秘密を探る悪い子には、お仕置きが必要かなー」
金髪の少女は、ニコニコと笑っていた。
その口から出た『カイ』という名前に、ネビュラは即座に状況を理解する。
((この女……ギンの関係者……!))
ネビュラは掴まれた手を囮に、空いた足で相手の膝関節を正確に蹴り抜こうとした。
合理的な、完全な殺しの一撃。
しかし、金髪の少女の動きは、人間のそれを遥かに超越していた。
「えいっ」
蹴りが届くよりも早く、少女の手刀がネビュラの首筋に吸い込まれる。
常識外れの速度と、規格外の筋力。
烈火やシャオのような『超人』にしか出せない、理不尽なまでの力だった。
「あ……」
ゴッ、という鈍い衝撃。
ネビュラの視界が、ぐにゃりと歪む。
鍛え抜かれた身体が、たった一撃で制御を失い、崩れ落ちていく。
「いや、ねー。カイのことは、わたしが守らなきゃいけないから、さ。少しの間、大人しくしててね」
床に倒れ伏すネビュラの薄れゆく意識の中。
猫耳の帽子を被った少女――ミイが、気さくに笑う声だけが響いていた。
暗闇の中、ネビュラの意識は深い底へと沈んでいった。
………
……
…
エリシオン本国、最深部。
専用エレベーターが音もなく下降を続け、やがてチン、という軽やかな音と共に停止した。
重厚な扉が左右に開く。
そこに広がっていたのは、無機質な地下要塞には似つかわしくない、溢れんばかりの緑と、風情ある石灯籠が並ぶ、人工の楽園。
───『地下庭園』だ。
「ふぅー……っ」
セレーナ・エクリプスは、震える足を踏み出した。
いつも纏っている白いローブの裾を、ギュッと握りしめる。
その右手には、護身用の小型拳銃が握られていた。
カツン、カツン。
石畳の通路を歩く音が、静寂な庭園に響く。
庭園の中央。
小さな庵の下で、銀髪の少年が優雅に紅茶を啜っていた。
エリシオンの頭脳にして、最大の謎。
作戦参謀、ギン。
「やあ、珍しい客だね。姫様」
ギンはカップを置き、柔らかく微笑んだ。
その態度は、まるで孫娘の訪問を喜ぶ祖父のように穏やかで、そしてどこまでも不敬だった。
「……ネビュラは、どこですか」
セレーナの声は強張っていた。
恐怖と緊張で喉が干上がりそうだ。だが、セレーナは視線を逸らさなかった。
「おや。オレは見てないよ?」
「嘘を言わないで!!」
セレーナの悲痛な叫びが、花々を揺らした。
右手の拳銃を両手で握りしめる。
だが、その銃口は決してギンには向けられず、頑なに地面を向いていた。
撃つためではない。
これは、自身の弱い心を支えるための「楔」だ。
「ネビュラとの定期通信が途絶えて、もう三時間が経ちます。
あの子は、任務を放棄するような人ではありません」
「……」
「ネビュラは、貴方のことを調べていました。
……貴方が何者なのか。
この国が、本当は誰の手によって動かされているのか」
ギンは表情を変えず、静かにセレーナを見つめ返した。
その瞳の奥には、十代の少年の容姿とはあまりに不釣り合いな、深淵のような時間が横たわっている。
「……それで? キミは銃を持って、オレを脅しに来たのかな」
「違います!」
セレーナは首を振った。
そして、毅然と顔を上げた。
「私は……私は、エリシオンの代表、セレーナ・エクリプスです」
それは、これまで「飾り物の皇女」として生きてきたセレーナが、初めて自分の意志で発した言葉だった。
「代表として、私には知る権利があります。
私の大切な護衛の安否を。
そして……私の国民である、貴方の素性を!」
凛とした声。
震えてはいても、そこには確かな「王」としての覚悟があった。
ギンは目を細めた。
その口元に、微かな、しかし満足げな笑みが浮かぶ。
「……ふっ。いつの間にか、立派になったね。……悪くない」
その時だった。
庭園の奥、茂みがガサガサと揺れた。
「あーあ。カイったら、女の子を泣かせちゃ駄目だぞー?」
現れたのは、奇妙な猫耳の帽子を被った、金髪の少女───。
ミイ。
ミイは小柄な体躯に見合わぬ怪力で、何かを米俵のように肩に担いでいる。
「……っ! ネビュラ!?」
セレーナが息を呑む。
ミイに担がれていたのは、後ろ手に縛られ、猿轡を噛まされた状態で気絶している……ネビュラ。
ミイは「よっこらせ」と軽い調子で、ネビュラを庵の横のベンチに転がした。
「安心して、セレーナちゃん。
この子はちょっと寝てるだけ。
カイの秘密を見ちゃったから、少しお仕置きしただけだよー」
ミイは赤い瞳を細めてニシシと笑い。
それからギンの隣に座って、テーブルのクッキーを勝手に摘み始めた。
「……ミイ。手荒な真似は控えるように言ったんだけどー?」
「えー? これでも手加減したよ?
この子、結構強かったし」
親しげに会話する二人。
カシャン───
セレーナは、地面に向けた銃を捨て、ネビュラに駆け寄って脈を確認した。
((……生きて、る))
ただ、眠っているだけだ。
安堵の息を漏らしたセレーナは、再びギンへと向き直った。
「ギン……いえ、銀鮫 カイ」
「……!」
セレーナがその名を口にした瞬間、庭園の空気が凍りついたように静まり返った。
ギンはカップの紅茶を飲み干し、ゆっくりと立ち上がる。
「……そこまで知ってしまったなら、もう誤魔化しは効かないな」
少年の姿をした老人は、どこか憑き物が落ちたような顔で、セレーナを見下ろした。
「いいだろう、セレーナ。座りなさい。
……そして、聞くがいい。
この偽りの楽園がどうやって生まれ、オレが……
いや、オレたち『不老不死の化け物』が、何を背負ってきたのかを」
「……ギン」
「……少し、長くなるぞ」
ギンが指を鳴らすと、地下庭園の空気が一変した。
空間に無数の光の粒子が舞い、それらが結合して青白いホログラム映像を形成していく。
映し出されたのは、現在の荒廃した地球ではない。
青い海と、緑豊かな大地。
国境線がまだ複雑に入り組んでいた頃の、旧世界地図だった。
「これは……大戦前の……」
息を呑むセレーナ。
地図が急速に拡大され、大陸の東に浮かぶ、弓なりの島国へと焦点が絞られた。
「かつて『日本』と呼ばれた国だ。
……オレの故郷であり、すべての始まりの場所でもある」
ギンの静かな語りとともに、映像は真っ白な研究室へと切り替わった。
窓の外には、薄紅色の花びらが舞っている。桜だ。
柔らかな春の日差しが差し込む部屋に、二人の人影があった。
一人は、白衣を纏った銀髪の青年。
今、目の前にいるギンと瓜二つの姿だ。
そしてもう一人。
青年のデスクに身を乗り出し、満面の笑みを浮かべている少女がいた。
『カイ! 見て、これ! 最終フェーズのシミュレーション、完璧だったわ!』
映像の中の少女は、弾むような声で叫んだ。
橙色の髪を揺らし、好奇心に満ちた瞳を輝かせるその姿は、年相応の無邪気な少女そのもので。
「……ん?」
しかし、セレーナはその顔立ちに見覚えがあった。




