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ハンス・ヴァイスマン

 チクタク、チクタク。

 規則的な音が、鼓膜を微かに叩いている。


「うぐ……あ……?」


 ギゼラ・シュトルムは、重い瞼をゆっくりと開けた。

 

 視界はぼやけ、焦点が定まらない。

 全身を鉛で押し潰されたような、酷い倦怠感。

 そして、骨の髄から湧き上がってくるような激痛と吐き気が、ギゼラの意識を無理やり覚醒させた。


「ぐっ……、うぁ……」


 掠れた声が漏れる。

 体を動かそうとしたが、指先ひとつまともに動かない。


 チクタク、チクタク。


 音の正体は、壁に掛けられた古めかしいアナログ時計だった。

 薄暗い部屋。

 無機質なコンクリートの壁。

 視線の先にある木馬には、埃を被ったテディベアがポツンと置かれている。


((ここは……どこだ……?))


 混乱する頭で、ギゼラは直前の記憶を掘り起こす。


 そうだ。シグマ領の渓谷地帯だ。

 ガロ・ルージャンとの死闘。

 ゲイルと連携して、巨大な蜘蛛の機動要塞を叩き斬った。


 そこまではよかった。

 勝ったはずだった。


 だが、その直後。

 空から、悪魔のような閃光が降り注いだ。


『警告。超高エネルギー反応。熱源、回避不能――』


 愛機であるウェイバー・ザ・スカイホエールの、無機質なアラート音声が蘇る。

 視界を埋め尽くすほどの、絶対的な死の光。

 ゲイルがダフネを金色のオーラで輝かせ、爆風を防ごうとしていた姿。

 そして、ウェイバーのシステムが完全に沈黙し、暗闇の中へと真っ逆さまに落下していく感覚……。


「ウェイバー……」


 ギゼラは自身の半身とも言える機体の名前を呟く。

 だが、通信機からの応答はない。

 完全に繋がりが絶たれている。


 ギィィ……。


 扉が開く音がして、部屋に光が差し込んだ。

 足音を忍ばせて入ってきたのは、見知らぬ少女だった。


「あ……、気がついたのですね」


 抹茶色の髪を短く切り揃えた少女。

 簡素な衣服の上からでも分かる、豊かな胸。

 歩くたびにそれが大きく揺れている。


 ぽよん。ぽよん。


((……烈火や兎歌が見たら、間違いなく何かしらの反応を示しそうだねぇ))


「水、飲めますか?」


 少女はコップを差し出し、ギゼラの背中をそっと支え起こす。

 ギゼラは激痛に顔を顰めながらも、なんとか喉を潤した。


「……あんたは……? ここは、どこだ……?」

「エマ といいます。

 無理をしては駄目ですよ。

 あなたは今、軽い放射線障害の症状が出ています。

 お薬が効くまで、安静にしてください」


 エマと名乗る少女は、慣れた手つきでギゼラの額の汗を拭う。

 その落ち着いた態度は、戦場を知らない民間人のものじゃない。


((かといって、エリシオンの正規兵って感じでもないねぇ))


 ウィィィン……。


 続いて、モーターの駆動音が部屋に響いた。

 扉の向こうから現れたのは、電動の車椅子に乗った老人。


「目が覚めたようじゃな。エリシオンの戦士よ」


 しわがれた、しかし芯のある低い声。

 老人は深いシワの刻まれた顔に、右目だけを覆う片眼鏡をつけていた。

 真っ白な髪と髭が、厳しい年月を生き抜いてきたことを物語っている。


「……じいさん、あんたは?」


 ギゼラが鋭い視線を向けると、老人は車椅子を進め、ベッドの傍らで止まった。


「わしはハンス・ヴァイスマン。 ただの隠居した老人じゃよ」


「ハンス・ヴァイスマン……?」


 その名前に、ギゼラはハッとして目を見開いた。 

 聞き覚えがある。


((そうだ。プロメテウス隊のメンバーのプロフィールに、何度も登場していた名前じゃんか))


「ってこたぁ……アンタが、烈火や兎歌、シャオが育った孤児院の……?」

「いかにも。 あの悪ガキどもの元 保護者じゃ」


 ヴァイスマンは、どこか懐かしむように目を細めた。


「エマも、わしの施設で育った最後の子でな。

 今はこうして、わしの世話をしてくれとる」


 紹介されたエマが、ペコリと丁寧に頭を下げる。


「そうか……。助けてくれたのは、あんたたちなんだな。感謝するよ」

「うむ」


 ギゼラは警戒を少しだけ解き、痛む体をベッドに預け直した。


「……だけど、なんでこんなところにいるんだ?」


 ギゼラは部屋を見回す。

 アナログ時計にテディベア。

 コンクリートの壁。

 どう見ても、普通の民家や軍の基地じゃなさそうだ。


「ここは、旧時代に作られた地下シェルターの一つじゃよ」


 ヴァイスマンは静かに答えた。


「世界各地の地下深くには、こうした施設がいくつも眠っとる。

 わしは色々と縁があってな。

 今はここで、世捨て人のような暮らしをしておるのじゃ」


 老人の言葉には、何か重大な秘密を隠しているような響きがあった。

 あの悪魔のような閃光から、どうやってこの地下までギゼラを回収したのか。

 そして、ヴァイスマンとエリシオンとの真の繋がりとは。


 ギゼラはズキズキと痛む頭を抱えながら、老人の次の言葉を待とうとして。

 一つの違和感に気づいた。


「ん? ちょっと待て……。薬、だって?」


 ギゼラはふと、エマの言葉に強烈な違和感を覚えた。

 ぼやけた頭が、急速に冷えていく。


((放射線障害を治す『薬』なんて、この世にあるわけがない))


 どれほど医学が発達しようとも。

 放射線で破壊された細胞を、普通の薬で治せるはずがない。


 それが可能だとすれば、東武連邦が躍起になって開発していたような、超高度な医療用ナノマシンくらいだ。


((エリシオン本国の最新医療設備ならまだしも、こんな辺境の地下シェルターにある代物じゃないだろ……))


「じいさん……あんた、アタシに何を打った? まさか、ナノマシンか……?」


 ギゼラが鋭く睨みつけると、ヴァイスマンは隠す様子もなく、静かに頷いた。


「ご名答じゃ。

 おヌシの体内には今、放射性異常を除去し、細胞の損傷を修復する医療用ナノマシンが投与されておる」


「なっ……!?」


「驚くのも無理はない。

 じゃが、そうでもしなければ、おヌシは確実に死んでおった」


 ヴァイスマンは車椅子の肘掛けに手を置き、重々しい口調で語り始めた。

 あの閃光の直後、何が起きたのかを。


「……仲間たちは、どうなった? エピメテウスや、ゲイルたちは無事なのか!」


 痛む体を無理やり起こそうとするギゼラ。

 エマが慌ててその肩を押さえる。


「駄目です、動かないで!」

「落ち着け、ギゼラ・シュトルム。

 仲間たちの安否は、わしにも分からん」


 ヴァイスマンの言葉に、ギゼラは息を呑んだ。


「あの悪魔の光が落とされた直後から、強烈なEMPと磁気嵐が吹き荒れておってな。

 外部との通信は、完全に途絶しておるのじゃ」


「そんな……」


「おヌシの愛機であったウェイバーも、ここから少し離れた渓谷に墜落した。

 じゃが、一帯は強烈な放射能汚染に晒されておってな。

 今は近づくことすらできん」


「じゃあ、どうやってアタシは……?」


「わしの施設を卒業した子供の一人が、危険地帯用の無人機を使ってな。

 間一髪で、おヌシだけをコックピットから引きずり出したのじゃ」


 ギゼラは呆然とした。

 ウェイバーは完全に沈黙し、近づくこともできない死の領域に取り残されている。

 そして、自分は名も知らぬ若者に命を救われたのだ。


((……クソッ。情けないねぇ……))


 ギリッと奥歯を噛み締める。

 しかし、同時に湧き上がってくるのは、底知れぬ疑問だった。


「……おかしいじゃないかい。

 いくらなんでも、設備が整いすぎてる」


 ギゼラは周囲をもう一度見渡した。

 旧時代の遺物のような見た目とは裏腹に、ここには最新鋭のナノマシンがあり、放射能汚染地帯で活動できる無人機がある。

 ただの『隠居した老人』が持てるような代物ではない。


「なんで、こんな辺境の渓谷に、そんな大層な地下シェルターがあるんだ? 

 まるで、ここで大規模な軍事衝突が起きるのを、最初から知っていたみたいじゃないか」


 ギゼラの鋭い追及に、ヴァイスマンは右目の片眼鏡の奥で、鋭い光を放った。


「……その通りじゃよ。 ここは、ただの防空壕ではない」


 車椅子のモーター音が、わずかに唸る。


「いざという時に、絶対に死なせてはならない『重要人物』を生き延びさせるため……。

 その目的だけで作られた、特別なシェルターなのじゃ」


「重要人物……?」


「そうじゃ。 そして、こうしたシェルターは、世界各地で軍事衝突が予測される地点に合わせて、今この瞬間も作られ続けておる」


 信じられない話だった。

 世界中で戦争が起きる場所を予測し、そこに先回りしてシェルターを作る。

 そんなことができる組織など、世界に一つしかない。


「地下を掘り進め、空間を拡張し続ける自動ロボット。

 そして、ナノマシンや無人機などの最新設備……。

 これらはすべて、エリシオンの中枢から提供されたものじゃ」


 ヴァイスマンはため息をつくように、言葉を紡ぐ。


「このシェルターの地上部分は、のどかな農場や小さな売店に偽装されておる。

 そこで働いておるのは、エマのような、わしの孤児院を卒業した子供たちじゃ。

 彼らは何も知らぬまま、この施設を維持するための隠れ蓑になっておるのじゃよ」


 穏やかな老人の顔に、深い苦悩と罪悪感の影が落ちていた。

 子供たちを守るために施設を作りながら、結局は子供たちを戦争の最前線に配置し、システムの歯車として利用している。

 その矛盾に、ヴァイスマン自身が一番傷ついているようだった。


「……あんた、いったいエリシオンの何者と繋がっているんだ?」


 ギゼラが低い声で尋ねる。

 ヴァイスマンはしばらく沈黙した後、ゆっくりと首を横に振った。


「……その名を、ここで口にするわけにはいかん。

 エリシオンの根幹に関わる、トップシークレットじゃからな」



「……その名を口にするわけにはいかん、だって?」


 ギゼラは、自嘲気味に鼻で笑った。

 そんな真似ができる人間なんて、この世に一人しかいない。


 未来を予知したかのように戦場を予測し、世界の裏側で莫大な資金と技術を動かす。

 ナノマシンや自律型ロボットなど、他国を何世代も出し抜くオーパーツじみた代物を、平然と用意できる頭脳。


((エリシオン本国の地下庭園に引きこもってる、あの銀髪のガキしかいないじゃないか))


 その存在は、エリシオンの中でも指揮官クラスや一部のエースパイロットしか知らない、最高レベルの機密だ。


「じいさん……あんた、アイツと繋がってるのか」


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