クロトの望み、破滅の意思
───場面は変わり、ノヴァ・ドミニオンの一室。
薄暗い私室のベッドに腰を下ろし、クロト・アスクは一つのペンダントを強く握りしめていた。
指先が白くなるほどの力で、銀色のロケットを見つめる。
その中には、小さな写真が収められていた。
透き通るような雪の肌を持つ、美しい女。
最愛の恋人、ソフィ。
もうこの世にはいない、永遠に失われた温もりだ。
ふと、視界の端に白い影が落ちた。
そこには、写真の女が立っていた。
幽霊ではない。
雪のような肌に、雪色の髪。
かつてのソフィと瓜二つの容姿を持ちながら───
決定的な違いが一つだけある。
その美しい頬が、痛々しく赤黒く腫れ上がっていることだ。
「……アイリス」
クロトは顔を上げた。
ノヴァの科学技術が生み出した人造人間、アイリス。
主の視線に気づくと、アイリスは恭しくお辞儀をした。
その唇には、慈愛に満ちた聖女のような微笑が浮かんでいる。
「……ッ!」
その作り物の笑顔が、クロトの神経を逆なでした。
亡き恋人を冒涜されているような衝動に駆られ、右の拳が反射的に跳ね上がる。
だが、その拳はアイリスの顔面を捉える寸前で、ピタリと止まった。
クロトは苦しげに顔を歪め、力なく首を横に振る。
行き場を失った拳を、ゆっくりと下ろした。
「……すまない。昨日のことは、謝る」
頬の傷は、昨日クロト自身がつけたものだ。
それでもなお、向けられる無垢な微笑みが、クロトの心を容赦なくえぐり続けていた。
「……いいえ」
アイリスは、静かに首を横に振った。
その唇には、相変わらず無機質な、しかし聖女のような微笑が張り付いている。
痛みを感じていないわけではない。
恐怖がないわけでもない。
ただ、自分自身が、死者の代用品として作られた存在であることを理解しているのだ。
憎い。
人の心を弄ぶ、ノヴァ・ドミニオンの悪辣な所業が、吐き気がするほどに憎い。
衝動に任せて殴った拳の痛みは、まだ残っている。
これほど歪んだ関係はないと、クロト自身が一番よく分かっていた。
だが、その顔を、その声を、拒絶できない。
ソフィと同じ声で囁かれれば、どんなに偽物だと分かっていても、心が揺らぐ。
完全に、ノヴァの仕掛けた蜘蛛の巣に絡めとられている。
その自覚は、痛いほどにあった。
だからこそ、やるべきことは明白だ。
((……ガロ・ルージャンを支援する))
クロトはペンダントを強く握りしめた。
あの男は、勝利のためなら手段を選ばない。倫理も、情も、すべてをドブに捨てて勝利をもぎ取るだろう。
それでいい。
ソフィの仇を討ち、すべてを滅ぼしたい今の自分には、あの男の狂気が好都合だ。
クロトはアイリスに背を向け、冷たい瞳で虚空を睨みつけた。
あの赤い機体を葬り去るためなら、悪魔の手先になることすら厭わない。
アイリスは、震える指先で、クロトの強張った背中にそっと触れた。
その心――脳改造によって構築された疑似人格――は、クロトを愛するようにプログラムされている。
遺伝子レベルで刻まれた、絶対的な忠誠と愛情。
だが、それがなんだと言うのだろう?
プログラムだろうと、偽物だろうと、この胸を焦がす熱は本物だ。
彼が愛おしい。彼のためなら死ねる。
もし叶うなら、ソフィの代わりになりたい。彼の悲しみを埋めたい。
役に立ちたい。抱きしめて欲しい。頭を撫でて欲しい。
「クロト……さま……」
けれど、アイリスは知っている。
その願いが、永遠に叶わないことを。
クロトが見ているのは私ではない。私の顔をした、死んだ女だ。
決して愛されることはない。私は、彼の古傷を抉るための道具でしかないのだから。
その時だった。
ウゥゥゥゥゥ――ッ!!
鼓膜を劈くような警報音が、湿っぽい空気を切り裂いた。
敵襲。
エリシオンが、攻めてきたのだ。
~~~
警報が鳴り響く通路を、クロトは疾走した。
たどり着いた作戦室では、すでにウリエン・ノヴァがいた。
腕を組み、苛立ちを隠そうともせずにモニターを睨んでいる。
遅れて、ガロ・ルージャンが入室してきた。
((……遅いな))
クロトは横目で野心家の男を一瞥する。
先ほどまでの位置関係を考えれば、ガロの方が早く到着してもおかしくないはずだ。
だが、クロトは口を閉ざした。
この男のことだ。 きっと、ろくでもないことをしていたに違いない。
そしてそれは、復讐を望むクロトにとって、間違いなく都合のいい『仕込み』であるはずだからだ……。
「状況を説明する」
ウリエンが指を鳴らすと、中央の大机にホログラムの戦況図が浮かび上がった。
そこには、不穏な赤い輝点が一つ、点滅している。
「先ほどの偵察部隊との接触から、まだ数時間……。レーダーが、エリシオンの戦闘空母を捉えた」
ウリエンの指が、地図上のルートをなぞる。
「奴らの進路は西。リープランド方面だ。
同盟国に合流し、国境沿いの我々の戦線を背後から急襲するつもりだろう。
放置はできん」
ウリエンは冷ややかな瞳をクロトに向けた。
「幸い、この要塞にはファランクス一個大隊と、機動要塞『アラクネ』が用意してある。
一部を貸し出そう」
蜘蛛のような多脚戦車のシルエットが、地図上に展開される。
「クロト。
貴様にファランクス一個中隊を預ける。
先行し、敵戦闘空母を撃滅しろ」
「……了解した」
クロトは短く答え、敬礼する。
迷いはない。
エリシオンの船。 そこには、憎き『赤いアイツ』がいるかもしれないのだから。
踵を返し、灰色のパイロットは格納庫へと足を向けた。
〜〜〜
場所は、シュガール級戦闘空母の格納庫。
ノヴァ・ドミニオンが開発した、本格的な戦闘艦だ。
単にファランクスを前線へ運ぶだけのバハムート級輸送艦とは、設計思想からして異なる。
航空支援から部隊運用まで、全てを単艦で完結させる空の要塞。
そのカタログスペックは、エリシオンのプロメテウス級にも引けを取らない。
整備員たちが慌ただしく走り回る中、クロトは愛機『カーバンクル』へと歩く。
歩きながら、脳内で戦場の地図を組み立てていた。
((……前線では、今もドンパチやっているはずだ))
敵は、エリシオン加盟国の混成部隊。
主力は量産機の『イノセント』と、中古で買い叩かれた旧式の『シェンチアン』だ。
対するこちらは、最新鋭の重量級コマンドスーツ、ファランクスを展開している。
機体性能だけで言えば、ノヴァの圧勝。
だが、戦線は膠着していると聞く。
一部のエースパイロットたちが、性能差を技量でひっくり返し、しぶとく食い下がっているからだ。
これまでは要塞バグラザードを直接攻められるリスクを恐れ、ウリエンは戦力を出し惜しみしていた。
だが、エリシオンの戦闘空母が出てきたことで、こちらも動かざるを得なくなった。
((こうして、虎の子の戦力が派遣されることになったわけ、か))
「……くだらん」
クロトは吐き捨てるように呟いた。
戦況の優劣も、司令部の思惑も、どうでもいいことだ。
ただ、その先に『標的』がいるかどうか。
それだけが、灰色のパイロットを動かす燃料だった。
………
……
…
視点は、クロトたちが向かう眼下の戦場へと移る。
荒涼とした、リープランド国境沿いの大地。
そこは、無数の爆煙とレーザーの閃光に包まれていた。
耳をつんざく轟音が絶え間なく響く混戦。
その中で、一機のイノセントが獅子奮迅の活躍を見せている。
両肩に描かれているのは、白いソケイの花のエンブレム。
リープランド防衛軍のトップエース、ジャスミンの駆る機体だ。
『押し込まれるな! この防衛線は絶対に死守する!』
通信機越しに、ジャスミンの凛とした声が味方を鼓舞する。
対するは、ノヴァ・ドミニオンの重量級コマンドスーツ『ファランクス』三機。
後方から、リープランド軍の旧式機『シェンチアン』部隊が一斉に援護射撃を放つ。
だが、火力が足りない。
リニアキャノンの徹甲弾は、ファランクスが構える分厚い大盾に呆気なく弾き返されてしまう。
((装甲が硬すぎる……! なら、懐に潜り込むまで!))
ジャスミンはアニムスキャナーを通じて機体に意志を伝達。 スラスターを全開にした。
土煙を切り裂き、猛然とファランクスの死角へと間合いを詰める。
ガギィィィンッ!
甲高い金属音が戦場に響き渡る。
迎撃に振るわれたファランクスの実体剣と、ジャスミン機の青白いE粒子ブレードが真正面から激突!
激しく火花を散らした。
重量差で力任せに押し潰そうとするファランクス。
だが、ジャスミンは機体の関節を巧みに使い、その圧倒的なパワーを滑らせるようにいなして切り結ぶ。
『ジャスミン隊長! 右から来ます!』
味方の悲痛な警告が飛ぶ。
鍔迫り合いをする二機の真横から、別のファランクスが巨大な荷電粒子砲の銃口を向けて割り込もうとしていた。
だが、その砲口が青白い光を帯びるより早く。
ズガンッ!
鋭い破裂音と共に、割り込もうとしたファランクスの右肩の関節部が粉々に砕け散った。
バランスを崩し、荷電粒子砲の射線が大きく上空へと逸れる。
『死角だらけだぜ、ノヴァのデカブツ!』
通信回線に響く、不敵な笑い声。
遥か後方の岩山で、大型のスナイパーライフルを構えているイノセントの姿があった。
リープランド軍が誇る凄腕の狙撃手、グレンの機体だ。
次世代型アニムスキャナーの応答性を極限まで活かした、針の穴を通すような精密狙撃である。
しかし、ノヴァの戦力はこれだけではない。
『うわぁぁぁッ!』
断末魔の叫びと共に、三機目のファランクスが放った極太の荷電粒子砲が、味方のシェンチアンを一瞬にして吹き飛ばす。
分厚い装甲ごとドロドロに融解し、原型をとどめない鉄屑と化す味方機。
((くっ……! これ以上、やらせない!))
ジャスミンは仲間の死の痛みを怒りに変え、目の前のファランクスに猛攻を仕掛けた。
ブレードを巧みに滑らせて敵の実体剣を弾き飛ばし、そのまま機体を鋭く反転させる。
斬───ッ!!
青白い光の軌跡が弧を描く。
ファランクスの太い右腕は、根元からスッパリと切り落とされていた。
火花を吹き上げながら、巨体がたたらを踏んで後退する。
一進一退の激しい攻防。
機体の出力や装甲の分厚さでは、圧倒的にノヴァが有利なはずの戦場。
しかし、ジャスミンやグレンといったエースパイロットたちの驚異的な技量と執念により、戦況はかろうじて互角の天秤を保っていた。
だが、そこへ現れる増援!
見よ、上空より来る影!
シュガール級戦闘空母のカタパルトから、灰色の機体が虚空へと射出された。
クロト・アスクの駆る『カーバンクル』だ。




