シグマ帝国レジスタンスとの接触
エリシオン本国、地下深く。
緑豊かな木々が生い茂る地下庭園は、今日も人工太陽の穏やかな光に包まれていた。
作戦参謀のギンは、銀髪のポニーテールを揺らしながら、ホログラムパネルの前に座っていた。
柔らかな笑顔を浮かべるその姿は、どこにでもいる穏やかな青年にしか見えない。
だが、この青年こそがエリシオンの頭脳であり、数多の戦局を裏から操る存在なのだ。
『――以上が、小惑星基地の制圧に関する一次報告です』
通信パネルの向こうには、銅色の髪を持つ作戦指揮官、カルコス。
丁寧な口調で、報告を締めくくる。
「ご苦労様。これで、宇宙における防衛線はひとまず確保できたね」
ギンは労いの言葉をかけつつ、手元のデータをスワイプした。
だが、通信越しのカルコスの表情は、どこか硬い。
『基地の制圧自体は、プロメテウス隊の多大な貢献によるものです。しかし……』
「パイロットたちの行動について、言いたいことがあるみたいだね」
ギンが先回りして尋ねると、カルコスは重々しく頷いた。
『はい。特に、リエン・ニャンパと烈火・シュナイダーについてです。
報告によれば、基地から脱出を試みたノヴァ・ドミニオンの非戦闘員……研究者たちを乗せた輸送艇を、リエンが撃墜しました』
「正確には、エルフィンのサブアームで握り潰した、だけどね。
烈火はそれを止めなかった」
ギンは平然と事実を補足する。
『倫理的な問題は言い訳がききます。
ですが、ノヴァの研究者を生け捕りにできれば、敵の技術体系や新型機に関する重要な情報が手に入ったはずです。
パイロットの個人的な感情で、有益な捕虜を無残に殺害するなど……軍の規律として見過ごせません』
カルコスの言うことは、軍人として、そして指揮官として全く正しい。
敵の頭脳を生け捕りにするメリットは計り知れない。
カルコスの言葉には、規律を乱す烈火たちへの明確な非難が含まれていた。
しかし、ギンはフッと小さく笑い声を漏らした。
「カルコス、君の言い分はもっともだ。でもね、オレはそれでよかったと思っているよ」
『……本気ですか? これ以上の技術的格差を埋める、絶好の機会だったのですよ』
不満げに眉をひそめるカルコス。
ギンは笑顔を崩さないまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「考えてもみてよ。今のプロメテウス隊は、まさに歩く火薬庫だ。
元シグマ帝国のトップエースに、ノヴァから逃げてきた不安定な実験体の少女。
さらには、感情の赴くままに機体を覚醒させる問題児の暴れん坊……」
ゲイル、リエン、烈火。
強大な力を持つパイロットたちは、同時にいつ暴発してもおかしくない爆弾でもある。
「そんな爆弾だらけの状況で、自分たちを非道な実験体として扱った研究者なんかを生かしておいたらどうなる?
リエンの精神状態は確実に悪化するし、烈火だって黙っていない。
パイロットたちを罰して信頼を失うリスクの方が、手に入る情報よりもずっと大きいんだ」
ギンの言葉に、カルコスは押し黙る。
「それに、ノヴァの研究者を基地に迎え入れるなんて、内側から毒を飲み込むようなものさ。
どんな罠が仕掛けられているか分かったもんじゃない。
これ以上の不確定要素は、今のエリシオンには抱えきれないんだよ」
((オレは、最良の未来を掴み取りたいだけなんだ))
脳内で数万通りの未来を予測するギンにとっては。
あの場で研究者たちが排除されたことは、むしろ不要なリスクが消えたということに過ぎない。
一応……、ログでも白旗は確認出来ないので、命令違反ではないと言えなくもない。
『……参謀がそう判断されるのであれば、これ以上は申し上げません』
カルコスは深く一礼し、通信を切った。
パネルが消え、地下庭園に再び静寂が訪れる。
ギンはホッと息を吐き、視線を上へと向けた。
分厚い岩盤の向こう側、はるか遠くの戦場を思い描く。
「さて……」
倫理的な問題など、山積みだ。
客観的に見れば、今のエリシオンがやっていることは極めて悪辣である。
ノヴァ・ドミニオンに非人道的な人体実験を行わせ、その結果生まれた強化兵士やデータ……さらにはリエンという戦力だけをかすめ取っているに過ぎない。
((子供を兵器にして戦わせている時点で、同じ穴の狢だけどね))
ギンは自嘲気味に笑う。
他人に手を汚させて、利益だけを享受するエリシオンのやり方。
真正面から悪事を働くノヴァより、こちらの方がよっぽど邪悪かもしれない。
だが、そんな善悪の基準など、今はどうでもいい問題だ。
ギンの脳裏を占めているのは、ただ一つ。
地上部隊の壊滅という、最悪の事実だった。
「……ギゼラ、ゲイル、シャオ。あの三機がいても、通信途絶……か」
呟く声には、微かな苛立ちが混じっていた。
ウェイバー、ダフネ、ルナ。
いずれも一騎当千のプラズマリアクター搭載機だ。
それが、同時に敗北した。
通信の途絶。
突如として発生したシグナルロスト。
その直前に観測された、規格外の高エネルギー反応。
残された情報は、あまりにも少ない。
だが、ギンの並外れた頭脳は、すでに一つの答えを弾き出していた。
((ついに始まったんだ。身も蓋もない、何でもありの殺し合いが))
戦争のルールなど、所詮は弱者が己を守るために掲げた建前に過ぎない。
圧倒的な力を持つ者が本性を剥き出しにしたなら、そんなものは完全に無意味となる。
ノヴァ・ドミニオンは、出し惜しみをやめたのだ。
エリシオンを完全にすり潰すため、持てる手札を全て切ってきたに違いない。
それでも。
ギンの脳裏に浮かぶ予測図は、この絶望的な状況すらも『予定調和なルート』だと告げていた。
「さて。あの三人は、どう動いたのかな……」
静寂に包まれた地下庭園で、ギンは誰にともなく呟いた。
視線は、はるか遠くの地上を向いている。
――そして、場面は要塞攻略戦の前日まで、遡る。
………
……
…
荒涼とした赤茶けた岩肌が続く、元シグマ帝国領の渓谷地帯。
一見するとただの岩山にしか見えないその場所に、巧妙に隠された秘密基地があった。
薄暗い巨大な格納庫の中には、見慣れた機体がずらりと並んでいる。
土色の重厚な装甲を持つ量産型コマンドスーツ『タイタン』。
そして、それより一回りスマートな新型機『ジャガノート』。
シグマ帝国が滅びた今もなお、ノヴァ・ドミニオンに抗い続けるレジスタンスの貴重な戦力だ。
その格納庫に、エリシオンからの増援として、二人のパイロットが足を踏み入れた。
陽気な金髪の姉御、ギゼラ・シュトルム。
そして、かつてシグマ帝国最強と謳われた男、ゲイル・タイガー。
「ようこそ、エリシオンの皆様。お待ちしておりました」
二人を出迎えたのは、レジスタンスを率いる老兵、ドラッツェ。
顔に刻まれた大きな傷を歪め、白髪交じりの頭を下げて深々とお辞儀をする。
「救援に感謝いたします。我々だけでは、ノヴァの化け物どもに対抗しきれず……」
ドラッツェは顔を上げると、歩み寄ったギゼラと固い握手を交わした。
「気にすんなって! 困った時はお互い様だろ? アタシの『ウェイバー』が来たからには、大船に乗ったつもりでいな!」
ギゼラは豪快に笑い、ドラッツェの肩をバンバンと叩く。
その頼もしい姿に、周囲の兵士たちの顔にも安堵の色が浮かんだ。
一方、そのすぐ隣では、全く別の感情が爆発していた。
「ゲイル様……! ああ、本当にゲイル様なんですね……っ!」
元シグマ帝国技術開発部の少女、キュロンである。
橙色のポニーテールを揺らし、メガネの奥の瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
((生きて……生きていらしたなんて……!))
キュロンは感極まったように声を震わせると、そのままゲイルの胸に勢いよく抱き着いた。
軍服を押し上げるほどの見事な巨乳が、ゲイルの身体にむぎゅっと押し付けられる。
「おい、キュロン。鼻水が服につくぞ。離れろ」
ゲイルは呆れたようにため息をついた。
冷徹な振る舞いは相変わらずだが、その手でキュロンを無理やり引き剥がそうとはしない。
祖国に裏切られ、すべてを失ったゲイルにとって。
かつて軍事要塞で新型機を調整してくれた技術者との再会は、決して悪いものではなかったのだ。
「うわぁぁん! だって、だって! 核ミサイルで死んだって聞いてたのに……っ!」
「フッ。シグマの首魁どもは、俺を殺し損ねたからな。……今はエリシオンの厄介になっている」
ゲイルの言葉に、キュロンはしゃくり上げながら何度も頷く。
絶望的な戦況の中にあって、かつての英雄の帰還は、レジスタンスたちにとって何よりの希望の光となっていた。
「すげぇ……本物だ」
「お、おれ、初めて見る!」
「私も……。生きてたんだ……」
周囲からは、ざわめきと、抑えきれないむせび泣く声が聞こえてくる。
集まってきた兵士たちの中には、ゲイルが見知った顔もいくつかあった。
誰もが、すがるような熱を帯びた瞳でこちらを見つめている。
((……やはり、劇薬だったか))
ゲイルは密かに息を吐いた。
出撃前、エリシオンの作戦参謀であるギンは、柔らかな笑みを浮かべて言っていた。
『故郷へ帰りたいのなら、止めることはできないよ』
その言葉の真意が、今なら痛いほどよくわかる。
かつて最強と謳われた『三本槍』のリーダーの生還。
それは、絶望の淵にいたレジスタンスの意志を、一瞬にして捻じ曲げてしまったのだ。
「ゲイル様、どうか我々のリーダーになってください! あなたさえ帰ってきてくだされば……!」
「そうです! あなたを旗印に帝国軍の残存戦力を結集すれば、偉大なるシグマ大帝の野望すら、再び……!」
キュロンとドラッツェの言葉が、格納庫に響き渡る。
その熱を帯びた懇願には、『祖国復興』という名に隠された、かつての覇権主義がはっきりと透けて見えた。
((痛ましいほどの忠誠心だな……))
だが、その根底にあるものは、かつて世界を戦火に巻き込んだ思想と何ら変わっていない。
腕を組んだまま、チラリとこちらへ目配せをするギゼラ。
((自分で決めな))
金色の瞳が、そう語りかけている。
無理にエリシオンへ連れ帰るつもりはない。
ゲイル自身の意志を尊重するという、ギゼラなりの気遣いだった。
「……」
ゲイルは、静かに首を振った。
すがるようなドラッツェたちの視線を、冷徹な瞳で真っ向から受け止める。
((この者たちは、何も変わっていない))
祖国に裏切られ、理不尽な核の炎で部下を失ったあの日の絶望。
ゲイルの心に焼き付いた虚無感を、目の前の同胞たちは理解していない。
理解できないのだ。
だが、ノヴァ・ドミニオンという巨大な脅威が迫る今、このレジスタンスたちを見捨てるわけにはいかなかった。
同胞たちが他国への侵略行動を起こさない限り、エリシオンもまた、戦力としてこの残党を受け入れざるを得ないという現実がある。
「ゲイル・タイガーに!」
「バンザイ!」
「握手してくれぇ!」
格納庫の熱気は、最高潮に達している。
だが、ゲイルは冷ややかな視線を向け、静かに口を開いた。
「───勘違いするな」




