烈火の強さ:その秘密 / 二人はともだち
「はいはい、ゲームは一旦お休み。お茶にしましょうか」
ふわりと甘い香りを漂わせて、リビングのドアが開いた。
エプロン姿の兎歌が、お盆を手に微笑んでいる。
「わあ、ウサギお姉ちゃん! おやつだ!」
ユナがぱぁっと顔を輝かせ、コントローラーを放り出す。
リエンも兎歌の姿を見ると、嬉しそうに目を細めた。
ローテーブルの上に並べられたのは、たっぷりのミルクティーと、焼きたてのクッキーだ。
「……あまい。いい匂い、する」
「たくさん焼いたから、いっぱい食べてね、リエンちゃん。ユナちゃんも」
兎歌が頭を撫でると、リエンはコクンと頷き、両手でクッキーを受け取った。
サクッ、と良い音が響く。
「んーっ! ウサギお姉ちゃんのお菓子、世界一美味しい!」
「ふふっ、大げさだなあ」
兎歌は嬉しそうに笑い、烈火の隣に腰を下ろした。
四人で囲む、和やかなティータイム。
開け放たれた窓からは、海からの心地よい風が吹き込んでくる。
ユナはミルクティーを飲みながら、横目で烈火を見た。
((……普通のお兄ちゃんなんだよな、ほんと))
クッキーを頬張りながら、兎歌と穏やかに言葉を交わす横顔。
そこには、戦いの気配も、血の匂いもない。
どこにでもいる、優しい普通の青年だ。
けれど、ユナは知っている。
烈火がいざ機体に乗れば、圧倒的な存在になることを。
どんな絶望的な状況でも、覆してしまうほどのヒーロー。
あのギゼラでさえも、「坊や」と呼びながら一目置いているのだ。
そして、先日の病室での出来事。
リエンの強すぎる力には、命を削るという代償があった。
なら、この人の強さには?
気づけば、ユナは口を開いていた。
「……ねえ、烈火お兄ちゃん」
「ん? どうした、ユナ」
烈火がカップを置き、真っ直ぐにユナを見る。
その優しい眼差しに、一瞬だけ言葉が詰まった。
聞いてはいけないことのような気がした。だけど、どうしても知っておきたかった。
「……お兄ちゃんってさ、どうしてそんなに強いの?」
ピタリ、と。
リビングの空気が、ほんの少しだけ止まったような気がした。
「エピメテウス隊の特訓の時も、シミュレーターでも……。
なんか、次元が違うっていうか。
……どうやって、そんなに強くなったの?」
隣に座っていたリエンも、お菓子を食べる手を止め、静かに烈火を見つめている。
兎歌は何も言わず、ただ心配そうに烈火の横顔を見上げた。
「……」
烈火はすぐには答えなかった。
表情から笑みが消え、どこか遠くを見るような、静かな瞳になる。
彼はゆっくりと立ち上がり、開け放たれた窓のそばへと歩み寄った。
吹き込む海風が、彼の黒い前髪を揺らす。
窓枠に手をかけ、南国の青く高い空を見上げた。
「……どうして、か」
ぽつりとこぼれた声は、ひどく掠れていた。
その広い背中が、急に遠く感じられて、ユナは胸の奥がギュッと締め付けられるような錯覚を覚えた。
青い空の向こう側に、彼だけが見ている何かがある。
彼が背負っているもの。
強くなるために、切り捨ててきたもの。
あるいは、失ってきたもの。
何も語らないその背中が、ユナの不安を静かに肯定しているようだった。
((やっぱり……お兄ちゃんも……))
代償を、払っている。
リエンの削られた命と同じように、彼もまた、何か取り返しのつかないものを。
窓の外では、白い鳥が空高く舞い上がっていく。
烈火はずっと、その空を見上げたまま、静寂の中に立ち尽くしていた。
「……お兄ちゃん」
吹き込む海風が、烈火の黒い前髪を静かに揺らしていた。
窓枠に手をつき、南国の高い空を見上げていた彼は、やがてぽつりと口を開いた。
「……俺の故郷は、昔、空襲で焼けて無くなったんだ」
静かな、けれど重い響きを持った声だった。
「家族も、友達も、住んでいた家も。
全部、一晩で灰になった。
……文字通り、何もかも失ったよ」
ユナは息を呑んだ。
隣に座るリエンも、身を固くして烈火の背中を見つめている。
様子を見守る兎歌の表情には、深い悲しみと慈愛が浮かんでいた。
「一人きりになって、スラム街に転がり込んでさ。
そこからはもう、生きるためなら何でもやった」
烈火は窓から視線を外し、自分の両手を見下ろした。
数え切れないほどの戦いをくぐり抜けてきた、分厚く、傷だらけの手。
「残飯を漁り、盗みを働き、大人から隠れて、奪って……時には、殺した。
マフィアの下っ端に拾われて、鉄砲玉みたいな真似をしてた時期もある」
淡々と語られる過去は、あまりにも凄惨だった。
平和な日常などどこにもない。
明日の命すら保証されない、血と暴力だけの世界。
「毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
そうやって泥水を啜って、地べたを這いずり回って生きてきたから……。
嫌でも、戦うことに慣れちまったんだろうな」
烈火は自嘲気味に笑い、ゆっくりと振り返った。
「あとは、ほんの少しの『才能』があった。
俺の中に眠っていた、人を殺すための力……というか素質がな。
それがなきゃ、とうの昔に路地裏で野垂れ死んでたさ」
((そんな……))
ユナは、胸の奥を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚に陥った。
烈火の強さの理由。
それは、厳しい訓練の成果でも、誰かを守りたいという綺麗な決意だけでもなかった。
奪い、殺し、生き汚く足掻き続けた果てに身についた、純粋な『生存本能』と『殺意』。
彼が支払った代償は、「真っ当な人間としての人生」そのものだったのだ。
それを考えれば、彼の強さが常軌を逸している理由も納得できてしまう。
「あ……」
ユナは、自分の軽はずみな質問を激しく後悔した。
憧れの人の、決して触れてはいけない古傷を、無理やり抉ってしまったのだ。
「あの、あたし……」
震える声で紡ごうとした謝罪の言葉は───
頭に置かれた大きな手によって、遮られた。
「勘違いするなよ、ユナ。
俺は自分の強さを誇ったことなんて、一度もない」
いつの間にか歩み寄っていた烈火が、ユナの赤い髪をくしゃりと撫でた。
その瞳は、いつもの優しい『お兄ちゃん』のものに戻っている。
「お前は、俺やリエンみたいになる必要はない。
こんな血生臭い強さなんて、知るべきじゃないし、手に入れるべきでもないんだ」
烈火の言葉に、リエンも小さく頷いた。
リエンもまた、地獄を知る者として、烈火の言葉の意味を誰よりも理解しているのだろう。
「お前は、お前のままでいい。
自分のペースで、一歩ずつ前を向いて強くなればいいさ。
……本当に大切なものを、守れるようにな」
「烈火お兄、ちゃん……」
温かい手のひらの感触と、優しすぎる言葉に、ユナの瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「ごめん、なさい……。
あたし、何も知らないで……バカみたいなこと、聞いて……」
しゃくり上げながら謝るユナを、烈火は困ったように笑って慰めた。
「謝るな。俺が勝手に昔話をしただけだろ」
「でもぉ……!」
泣きじゃくるユナの背中を、今度はリエンがそっと撫でていた。
その光景を見て、兎歌がふんわりと微笑みながら近づいてくる。
「はいはい、お説教はそこまで。
せっかくのミルクティーが冷めちゃうよ?」
兎歌はユナに真新しいハンカチを手渡し、空になったカップに温かい紅茶を注ぎ足した。
甘い香りが、リビングに漂っていた重い空気を少しずつ溶かしていく。
「ほら、クッキーもまだいっぱいあるからね。
いっぱい食べて、元気出そ?」
「……う、うん。ありがと、ウサギお姉ちゃん……」
鼻をすすりながらクッキーを齧るユナの姿に、烈火も小さく息をついて座り直した。
((……あたしは、恵まれてるんだ))
甘いミルクティーを飲み込みながら、ユナは心の中でそっと呟いた。
親に捨てられたと思っていたけれど、帰る場所がある。
一緒にバカをやれる先輩たちがいる。
不器用だけど、寄り添ってくれる友達ができた。
そして、こうして甘えさせてくれる『家族』のような人たちがいる。
悲惨な過去を背負いながらも、今を笑って生きる烈火やリエン。
彼らの背中を追いかけるには、自分はまだまだ子供すぎる。
((でも、いつか絶対……))
一歩ずつ。自分のペースで。
誰かを守れるような、真っ当な強さを手に入れてみせる。
南国の明るい日差しの中で、赤毛の少女は静かに、けれど力強く誓うのだった。
………
……
…
日が傾き始めた夕暮れ時。
リビングを抜け出し、ユナは海が見えるウッドデッキの手すりに寄りかかっていた。
潮風に吹かれながら、烈火の言葉を反芻していると、背後からかすかな足音が近づいてきた。
「……ユナ」
振り返ると、そこにはマグカップを両手で持ったリエンが立っていた。
ミルクティーのおかわりを、兎歌に淹れてもらったのだろう。
「あ、リエン。もう熱、平気なの?」
ユナが気遣うと、リエンはコクンと頷き、ユナの隣に並んでデッキの手すりにもたれた。
長い前髪の奥の瞳が、オレンジ色に染まる海を見つめている。
「……あのね」
ふいに、リエンが小さな口を開いた。
「この前、ゲームセンターでたおれた日……」
「あぁ、あれね。ギゼラさんが運んでくれたんだよ。びっくりしたんだから」
「……ううん。それより、前に」
リエンは手すりから身体を離し、ユナの方をまっすぐに向いた。
いつも伏せがちな彼女の視線が、しっかりとユナの目を捉えている。
「あのとき、お掃除ロボットがきて……わたし、こわくて。
『サーペント』に乗っていたときの……悪いわたしに、なりそうだった」
ユナは息を呑んだ。
やはり、リエンはあの路地裏で「自分がかつてユナの機体を切り刻んだ敵」だという事実が、お互いに露見したことを理解していたのだ。
「でも、ユナは……にげなかった」
リエンは、少しだけ震える声で言葉を紡ぐ。
「わたしを……抱きしめて、くれた。
『こわくない』って、言ってくれた」
その言葉に、ユナの胸の奥がキュッと締め付けられる。
「……ユナも、こわかったはずなのに。
わたしが……ユナを、殺そうとしたのに……」
そこまで言って、リエンはポロリと一筋の涙をこぼした。
感情を奪われたはずの少女が流す、明確な「悔恨」と「感謝」の涙。
「ちょ、ちょっと! 泣かないでよ!」
慌てるユナに対し、リエンは首を横に振った。
そして、マグカップを片手に持ち替え、空いたもう片方の手を───
おずおずと、ユナに向けて伸ばしてきたのだ。
いつもユナのジャージの裾を掴んでいた、その小さな手が。
自分から、他者へ触れようと手を伸ばしている。
「わたし……ノヴァにいたとき、ずっと『部品』だったから。
『ともだち』のつくりかた、わからない」
リエンは涙を拭おうともせず、真っ赤な目でユナを見つめた。
「でも……ユナのとなり、あったかい。
れっかたちみたいに、わたしを……おなじ人間だって、言ってくれたから」
震える指先が、ユナの右手を探り当てる。
「……ユナ。わたしと……『ともだち』に、なってくれますか……?」
そのひたむきで、不器用すぎる願いに。
ユナは、たまらず吹き出してしまった。
「ぷっ……あはははっ!」
「……え?」
戸惑うリエンの手を、ユナは自分の両手でガシッと強く握りしめた。
「何言ってんのさ、今更!
一緒に内緒で基地を抜け出して、ゲーセンで遊んで、ジュース奢った仲でしょ!
そんなの、とっくに『ともだち』に決まってんじゃん!」
ニシシと、いつもの生意気な笑顔を向けるユナ。
その力強い手の温もりに、リエンは目を丸くして───
やがて、花が綻ぶように、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「……うん」
沈みゆく夕日が、繋がれた二つの小さな手を赤く染め上げている。
大人たちに命を弄ばれ、戦場の冷たい海で殺し合わされた二人の少女。
けれど今、彼女たちは確かに、お互いの温もりで救い合っていた。
「よーし! ともだちの証に、明日もまた抜け出してゲーセンでリベンジマッチだ!
次こそあたしが勝つからね!」
「……ふふ。ユナはよわいから、わたし、ハンデあげる」
「なにおぅ!? 元天才エリートなめんなよー!」
夕暮れの空に、少女たちの笑い声が溶けていく。
過酷な運命も、短すぎる寿命も。
烈火たちが背負う、途方もない代償も。
まだ全てを解決できたわけではない。
けれど、この繋いだ手の温もりだけは、絶対に嘘じゃない。
((あたしが、守ってみせる))
ユナは、リエンの白い手を強く握り返す。
親に見捨てられた厄介者の少女が、初めて自分から「守りたい」と思える、大切なともだちを。
オレンジ色の海風に吹かれながら、ユナ・ヴォルタは、自分の進むべき道を確かに見据えていた。




