病気ではない高熱
((あたしだって、プロメテウス隊のシミュレーターで鍛えられてんだからね!))
意気揚々と対戦をスタートさせたユナだったが───結果は、悲惨なものだった。
「えっ……? うそっ、速っ……!?」
画面越しのリエンの機体は、まるで物理法則を無視したかのような変態的な機動を見せた。
ユナがロックオンするより早く、死角から回り込まれ、一方的に蜂の巣にされる。
一試合目、開始十秒で撃墜。
二試合目、障害物に隠れたところを、正確に狙い撃ちされ撃墜。
三試合目、接近戦に持ち込もうとした瞬間に、カウンターを合わせられ撃墜。
勝負にすらならない、完全な圧勝劇だった。
「……あーっ! もう! なんでそんな動きできんのさ!」
ハッチを開け、ユナは頭を抱えて叫んだ。
隣の筐体から出てきたリエンは、どこかポカンとした顔をしている。
「……これ、かんたん。本物より、ずっと遅いから」
「うぐ……」
悪気ゼロの感想に、ユナはぐうの音も出ない。
ノヴァの非人道的な実験によって極限まで引き上げられたリエンの反射神経にとって、市販のシミュレーターの処理速度など、止まって見えるようなものなのだ。
「……ゲーム、おもしろい」
リエンが小さく呟き、満足そうに目を細めた。
その言葉に、ユナは悔しさを飲み込み、ふっと笑い声を漏らす。
「そっか。よかったじゃん。
あーあ、アタシがかっこいいとこ見せるはずだったのになー」
ユナが背伸びをして屈伸運動をした、その時だった。
「……あ、れ……?」
リエンの声が、不自然に震えていた。
「ん? どうした……って、リエン!?」
振り返ったユナの目に飛び込んできたのは───
力なくその場に崩れ落ちる、リエンの姿だった。
ドサッ、
鈍い音がして、リエンは床に倒れ伏す。
ユナは慌てて駆け寄り、その身体を抱き起した。
「うぅ……」
「リエン!? しっかりして! て、熱ッ!?」
触れた肌が、尋常ではない熱を持っていた。
まるで火のついた炭に触れているようだ。
リエンの顔は真っ赤に染まり、荒い息を吐きながら苦しそうに顔を歪めている。
「はぁっ……はぁっ……」
焦点の合わない瞳。
急激な環境の変化か、それともノヴァの実験による後遺症なのか。
どちらにせよ、ただの風邪ではないことは明白だった。
「やばい、熱すごいじゃん! 早く病院に戻らないと……!」
ユナはリエンの腕を肩に回し、立ち上がろうとした。
だが、リエンはユナとほぼ同じ体格だ。
おまけに、意識を失いかけている人間の身体は、恐ろしいほど重い。
「くっ……重っ……! 動け、あたしの足……!」
力を振り絞るが、ユナの細い腕と足では、リエンを引きずることさえやっとだった。
軍人とはいえ、14歳の少女。さすがに筋力が厳しい。
数歩進んだだけでバランスを崩し、二人もろとも床に倒れ込んでしまう。
((どうしよう……このままじゃ、リエンが……!))
どうしたらいい。
店員を呼ぶ? 誰かに助けを求める?
そもそも、機密の塊のようなこの子は、誰かに話していいのか?
焦燥感で目の前が真っ暗になりかけた、その時だった。
「───おいおい。 こんな薄暗い所で、お昼寝の時間かい?」
頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。
振り返ると、そこには大きな影。
先ほど路地裏で別れたはずの、ギゼラだった。
心配になって様子を見に来たのか、たまたま通りかかったのかは分からない。
「ギゼラさん……! リエンが、急に熱を出して……!」
泣きそうになりながら訴えるユナを見て、ギゼラは瞬時に状況を察した。
その目つきが、陽気な酔っ払いから、歴戦の兵士のものへと鋭く変わる。
「どきな、チビ」
ギゼラはユナを軽く制止すると、屈み込み、リエンの身体を軽々と抱き上げた。
まるで羽毛でも扱うかのような、力強くて優しい抱擁。
「ひどい熱だ。……アンタたち、ちょっと無茶しすぎたね」
ギゼラはリエンの額に手を当て、短く息を吐いた。
「あたしの……あたしのせいで……!」
「自分を責めるのは後回しだ。 今は急ぐよ!」
ユナの言葉を遮り、ギゼラは力強く駆け出した。
ユナも必死に立ち上がり、その後を追う。
大人の背中を追いかけながら、ユナは祈るように唇を噛んだ。
((どうか、助かって……!))
まだ、あの子に何も教えてあげられてないんだから。
………
……
…
ピッ、ピッ、ピッ……
規則的な電子音だけが、静かな病室に響いていた。
真っ白なシーツに包まれたベッドの上で、リエンは静かな寝息を立てている。
あんなに赤かった顔の熱はすっかり引き、今は穏やかな表情を取り戻していた。
呼吸するたびに酸素マスクが曇ってて。
それだけが、微かな命を現していた。
「……ごめんね、リエン」
ベッドの傍らに座り、ユナはギュッと拳を握りしめた。
俯いた赤毛の頭を、大きな手がポンポンと優しく叩く。
「だから、自分を責めるなって言っただろ。アンタのせいじゃないさ」
壁に寄りかかっていたギゼラが、静かに口を開いた。
その顔に、いつもの陽気な酔っ払いの面影はない。
戦場で数多の生と死を見届けてきた、大人の戦士の顔だった。
「でも、あたしが無理に連れ回したから……!」
「違うね。 アンタが連れ出さなくても、あの子はいずれ熱を出して倒れていたよ」
ユナが顔を上げると、ギゼラは悲しそうに目を伏せた。
「……あの子の寿命は、もう残り少ないんだ」
「え……?」
思いもよらない言葉に、ユナは息を呑んだ。
「ノヴァの連中が、あの子の身体に何をしたのか……詳しいデータを見たわけじゃない。
だけど、過剰なネクスター能力を引き出すために、肉体と神経を限界まで焼き切った痕跡がある」
ギゼラの声が、静かな病室に重く響く。
「ずっとこの無菌室に閉じ込めて、一日中点滴に繋いでおいたって同じことさ。
熱は出るし、発作も起きる。
過去に受けた無茶な実験の事実が、無かったことになるわけじゃない」
「そんな……」
「だからさ、チビ。
アンタがあの子を外に連れ出してやったのは、間違いじゃない」
ギゼラは歩み寄り、ユナの肩にそっと手を置いた。
「どうせベッドの上で苦しむだけなら、さ。
綺麗な景色を見たり、美味しいものを食べたり、友達と笑い合ったりした方がいいに決まってるだろ?
……あの子、アンタといる時、すごくいい顔してたぜ」
「ギゼラ……さん……うぅッ」
その言葉に、ユナの瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。
路地裏で猫を撫でた時の、柔らかな表情。
シミュレーターで圧勝した時の、少し得意げな声。
それらは全て、リエンが初めて手にした『子供らしい時間』だったのだ。
「……泣きなさんな。
アンタが泣いたら、あの子が起きちゃうだろ」
ギゼラはユナの涙を親指で拭うと、「アタシはそろそろ行くよ」と背を向けた。
「今日は特別に、付き添いを許可してやる。
あの子は感染症でも病気でもないからな。
隣で寝てやりな」
「……うん。ありがとう、ギゼラさん」
病室のドアが閉まり、再び部屋は静寂に包まれた。
ユナは簡易ソファに腰掛け、毛布をすっぽりと被った。
天井には、人工天蓋に映し出された偽物の星空が広がっている。
((……寿命が、少ない))
ギゼラの言葉が、頭の中で何度もリフレインしていた。
シミュレーターで見せた、あの圧倒的な強さ。
大人たちでさえ手も足も出ないような、過剰すぎる力。
その代償が、リエン自身の命を削ることだなんて。
((力が欲しくて、あの子は実験されたんじゃない。 大人が勝手に、あの子の命をすり減らして……化け物を作ったんだ))
ユナは毛布をギュッと握りしめた。
理不尽だ。あまりにも救いがない。
だけど、ふと、ある疑問が脳裏をよぎった。
((代償……。過剰な力には、代償がある?))
だとしたら。
あの人はどうなのだろうか。
エピメテウス隊の恩人であり、兄のように慕っている青年――烈火。
彼は強い。強すぎる。
シミュレーターでの特訓でも、実戦でも、その力は常軌を逸していた。
どんな絶望的な状況でも、決して折れることなく、化け物じみた敵を次々と打ち倒していく。
((烈火お兄ちゃんは……どうしてあんなに強いの?))
ただの才能? それとも、過酷な訓練の成果?
いや、それだけであそこまでの力に手が届くとは思えない。
((もし、あの強さにも……リエンみたいに、何か恐ろしい代償があるんだとしたら?))
何を支払えば、あんなに強くなれるのだろう。
烈火は、何を犠牲にして、笑って自分たちを守ってくれているのだろうか。
考えれば考えるほど、背筋が冷たくなっていく。
「……お兄、ちゃん……」
暗い病室で、ユナは誰にともなく呟いた。
隣のベッドでは、リエンが静かに息をしている。
そのかすかな寝息を聞きながら、ユナは底知れぬ不安を抱えたまま、ゆっくりと目を閉じた。
過酷な運命に翻弄される少女たちの夜は、静かに更けていくのだった。
………
……
…
数日後。
南国の陽光が降り注ぐ丘の上に、烈火と兎歌が暮らす、小さな家があった。
白い壁に赤い瓦屋根。
窓辺には色とりどりの花が咲き誇る。
簡素だが温かみのある住まいだ。
眼下には、見渡す限りの青い海が広がっている。
「烈火お兄ちゃん、そこ! 右から来てるってば!」
「わかってる。……っと、あぶねえ」
「……れっか、うしろ」
リビングのホログラムモニターの前で、三つの影が身を乗り出していた。
ユナとリエン、そして烈火だ。
今日は非番のユナが、退院したばかりのリエンを連れて、烈火の家に遊びに来ていたのだ。
三人は横一列に並んで床に座り込み、協力プレイのシューティングゲームに熱中している。
右からユナがギャーギャーと騒ぎ、左からはリエンがそっと烈火の袖を引っぱって指示を出す。
両手でコントローラーを握る烈火は、二人の勢いにタジタジだ。
「おらおらおらーっ! あたしの援護射撃、完璧っしょ!」
「……ユナ、すごい。でも、れっかは……ちょっと、へた」
「うっ……。ゲームのコントローラーは、どうも勝手が違うんだよな」
苦笑いする烈火の肩に、リエンがこてんと頭を乗せた。
ユナも負けじと、反対側の腕にギュッと抱きつく。
「ちょっとお兄ちゃん、足引っ張んないでよね! ほら、リエンも集中!」
「……うん。れっか、がんばって」
完全に二人の妹に挟まれ、おもちゃにされている烈火。
普段の戦場で見せる鬼神のような強さは微塵もなく、ただの人の良いお兄ちゃんになり下がっていた。
「はいはい、ゲームは一旦お休み。お茶にしましょうか」
ふわりと甘い香りを漂わせて、リビングのドアが開いた。




