紳士の手品
「攻撃を緩めるな! 弾幕を張り続けなさい!」
セラピナは冷酷に命じた。
必ず、限界が来る。その一瞬の綻びを突けばいい。
計算結果を信じ、バジリスクは雨のようなミサイルと粒子弾を乱れ撃つ。
そして、その「好機」は、唐突に訪れた。
「……あっ」
エルフィンのコックピット。
リエンの視界が、急激に暗転した。
目の前が、暗い。
全身の筋肉が激しく痙攣し、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
口からツーッと赤い血が流れ落ちた。
限界だった。
オーバードライブ状態で酷使され続けた幼い肉体が、ついに悲鳴を上げ、完全に機能を停止したのだ。
ピタリ、と。
水色の巨人が、宇宙空間で糸の切れた操り人形のように動きを止めた。
「……ふふっ、見つけたわよ。壊れた人形の末路をね」
モニター越しにその姿を捉え、セラピナの唇が残忍な弧を描く。
勝利を確信した王女の操作に応え、バジリスクの艦首が大きく開かれた。
巨大な口を開けるように、その奥で、トドメとなる大型荷電粒子砲の青白い光が、禍々しく収束していく。
機動要塞バジリスク。
ノヴァ・ドミニオンの粋を集め、莫大な予算をつぎ込んで改修された白亜の城塞。
心臓部には大型プラズマリアクターを据え、圧倒的な機体出力を誇る。
粒子偏光装甲という無敵の盾を持ち、無数の砲塔群と高度な火器管制システムを備えたその姿は、まさに難攻不落だった。
((……ええ、この機体に死角はないわ))
セラピナは司令座で優雅に微笑む。
しかし。
バジリスクには、たった一つだけ構造上の弱点が存在していた。
それは、主砲を放つために開かれる『艦首の口の中』だ。
装甲で覆われていないその部分は、プラズマリアクターへと直結している。
だが、通常であれば、そこが弱点になることなどあり得ない。
口が開いているということは、すなわち極太の荷電粒子砲が放たれる瞬間だ。
そんな真正面に、わざわざ飛び出してくる馬鹿はいない。
仮に攻撃されたとしても、発射直前の圧倒的なエネルギーの渦が、飛来する実弾やビームをすべて飲み込み、吸収してしまうからだ。
「消し炭になれ。出来損ない」
セラピナの指が、無慈悲に発射ボタンへと触れた。
───もしも。
そのエネルギーの渦すらも強引に突破できるほどの、プラズマリアクター由来の超出力があったら。
───もしも。
遠く離れた暗闇から、コンマ数秒の隙をピンポイントで撃ち抜ける、神業のような狙撃の技量があったら。
その二つが揃った時のみ、バジリスクの『無敵』は崩れ去る。
カッッッ―――!
バジリスクの巨大な口の中で、青白い閃光が臨界点に達しようとした、その刹那。
ズドン
宇宙の深淵から放たれた、一条の極太の光。
それは、限界を超えて機能停止したエルフィンの背後、漆黒のデブリの影から飛来した。
「……え?」
セラピナが間抜けな声を漏らす。
放たれた超高出力の粒子弾は、バジリスクが放とうとしていた荷電粒子の渦を真っ向から貫通した。
そして、無防備に開かれた『口』の奥深く、プラズマリアクターの中枢部へと、正確無比に吸い込まれたのだ。
ズォォォォォォォォンッ!!
宇宙空間が、音なき悲鳴を上げた。
バジリスクの口の奥深くに吸い込まれた粒子弾が、プラズマリアクターの中枢を直撃したのだ。
「な、何が起きたの……ッ!?」
セラピナは司令座にすがりつきながら、恐怖に顔を引きつらせて絶叫した。
放たれるはずだった莫大なエネルギーの渦が、要塞の内部で行き場を失い、逆流を起こす。
圧縮されていた荷電粒子が限界を超え、巨大な光の玉となって膨張!
そして次の瞬間、大爆発と共に凄まじい爆縮現象を引き起こしたのだ!
光の玉は、すべてを吸い込むブラックホールのように収縮する。
バジリスクの巨大な前半分が、音もなくその光に飲み込まれ、跡形もなく消滅してしまった。
『……チェックメイトだ、女王様』
ノイズに塗れた通信回線に、死んだはずの男の冷静な声が響き渡る。
限界を迎え、宇宙空間に漂う水色のエルフィン。
その後方、暗黒のデブリの影で、空間がゆらりと歪んだ。
スッと光学迷彩が解除され、姿を現した機影。
マティアス・クロイツァーの愛機、ストラウス・ザ・ホークアイだ。
「撃墜されたはず……!? ちがう、生きていたというの!?」
セラピナの美しい顔が、驚愕に歪む。
ストラウスは撃墜などされていなかった。
圧倒的なプラズマリアクターの出力があれば、シールドに全エネルギーを回すことで、バジリスクの一撃を防ぐこと自体は可能だったのだ。
直撃を受けた、あの刹那。
マティアスは、ストラウスが纏う光学迷彩マントに『大破して沈んでいく自身の姿』の映像を投影した。
そして、デッドシグナルを偽装しながら本体をデブリの影へ滑り込ませ、さりげなく敵の視界から消え去っていたのである。
((敵を完全に油断させ、最大の隙である「砲口が開く瞬間」を待つ。……これしか方法はなかった))
マティアスは、コックピットの中で静かに息を吐き出した。
ストラウスが構える超長距離用ライフルは、安全装置のリミッターを完全に解除されている。
限界突破の一撃を放った銃身からは、バチバチと赤い火花が散り、白く眩い放熱の蒸気が宇宙空間へと広がっていた。
「……見事な手品だっただろう?」
マティアスは低く呟き、スコープ越しに標的を見据えた。
一方のバジリスク。
大爆縮の後、白い巨体はビクンビクンと断末魔のように痙攣している。
前半分を綺麗にえぐり取られた要塞は、動力線を断たれ、
もはや動く巨大な棺桶と化していた。
爆縮によって前半分を抉り取られたバジリスクは、無惨な姿で宇宙空間を漂っていた。
装甲を剥がされ、真空に晒された管制室。
その防弾ガラス一枚を隔てた目の前に、水色の死神――エルフィンが音もなく迫っていた。
エルフィンの背部から伸びる12本のサブアームが、生き物のようにうねり、機体の前方で一つに束ねられる。
その中心で、ストラウスのプラズマリアクターから汲み上げられた、膨大なエネルギーが、臨界の輝きを放ち始めていた。
「くっ、うぅ……ッ! 来ないで、来ないでよッ!」
セラピナは髪を振り乱し、必死の形相でコンソールを操作した。
頭脳をフル回転させる。
洗脳や精神操作は魔法ではない。
脳に焼き付けた恐怖とシステムによる刷り込み。
そう簡単に消えたりはしないはずだ。
セラピナは震える指でコマンドを打ち込み、エルフィンへの強制通信回線をこじ開けた。
『LL68! 聞こえているのでしょう! ただちに活動を停止しなさい! 帰投せよ!』
王女としての威厳と、管理者としての命令権。
その声には、かつてリエンを支配していた絶対的な響きが含まれていたはずだ。
セラピナの脳裏に、サディスティックな愉悦の記憶が蘇る。
リエンの調教は、彼女の趣味もあり、とりわけ残忍な男たちに任せていた。
暖房のない極寒の独房。
皮膚を裂くムチの痛み。
思考を奪う高圧電流。
そして、自我を濁らせる薬物の投与。
逆らえるはずがない。
あの恐怖を思い出せ。
身体の芯に刻まれたトラウマに震え、膝をつくがいい。
『私の言うことを聞きなさい! お前は私の人形なのよッ!』
セラピナの絶叫が通信機に響く。
だが、モニターに映ったリエンの瞳は、どこまでも澄んでいた。
そこには恐怖も、動揺も、そしてセラピナへの執着すらもなかった。
『……やだ』
リエンの返答は、短く、そして凍えるほどに冷たかった。
「なッ――」
セラピナが息を呑んだ、その瞬間。
カッッッ―――!!
束ねられた12本のサブアームから、極大の粒子ビームが解き放たれた。
防弾ガラスが瞬時に蒸発する。
絶対零度の宇宙空間に放り出されたセラピナの身体を、圧倒的な熱量が包み込んだ。
「あ……」
あんなにも冷酷で、他者を踏みにじり続けてきた氷の女王。
その最期を優しく包み込み、暖めてくれたのは、セラピナがゴミのように蔑んだ「人形」の放つ、死の光だった。
巨大な閃光がバジリスクの残骸を飲み込み、ノヴァ・ドミニオンの野望と共に、宇宙の塵へと変えていった。
バジリスクの爆炎が、宇宙の闇にゆっくりと溶けていく。
その光を見つめながら、リエンはコックピットの中で、ぼんやりと考えを巡らせていた。
リエンをこんな目に遭わせ、不幸にしたのは、誰だったのだろう。
甘い言葉でリエンを連れ去った、あのエージェントか。
無機質な目で実験を繰り返し、データを取っていた研究者たちか。
金のために、リエンをあっさりと売り飛ばした両親か。
あるいは、命令を下していたセラピナか。
うすら笑いを浮かべながら、毎日のようにムチを振るっていた下卑た男か。
それとも、かつて敵としてリエンを殺そうとした、烈火か。
世界はあまりに複雑で。
リエンの小さな頭では、恨むべき相手が誰なのか、よく分からなかった。
でも、確かなことが一つある。
リエンは今、自分の意志で、その中の一人を殺した。
「……どんな、きぶん?」
リエンは自分の胸に手を当ててみる。
スカッとするような高揚感もなければ、罪悪感で押しつぶされそうな重圧もない。
ただ、胸の奥にあった冷たい鉛のような塊が、少しだけ軽くなったような、不思議な虚無感。
そんなリエンの迷いを断ち切るように、通信機から低い声が届いた。
『……よくやった、リエン』
マティアスだ。
光学迷彩を解いたストラウスが、傷ついたエルフィンの肩にそっと手を置いた。
『お前が何を感じているか、私には分からない。
だが……お前があの引き金を引いたおかげで、私は生きている。
ドレンたちの犠牲も、無駄にならなかった』
マティアスは、少女が犯した殺人を褒め称えたりはしなかった。
ただ、事実だけを告げた。
『お前は、仲間を守ったんだ。……それだけで十分だ』
「……うん」
リエンは小さく頷いた。
その肯定だけが、今のリエンをこの世界に繋ぎ止めてくれる唯一の楔だった。
………
……
…
セラピナの死とバジリスクの消滅。
そして、蒼火の駆るリリエル・ブルーの撃破。
ノヴァ・ドミニオン側の主力が相次いで消え去ったことで、戦場の空気は劇的に変わった。
絶対的な指揮官と、戦線を支えていたプラズマリアクター搭載機を失ったノヴァ艦隊は、動揺を隠せない。
ファランクスの火力と要塞の巨体で維持されていた均衡は崩れ去り……
戦況の天秤は、ガタンと音を立ててエリシオン側へと傾いた。
『全艦、突撃! 敵の足並みが乱れている今が好機だ!』
『右翼、押し込め! 一気に制圧するぞ!』
勢いづくエリシオン艦隊の砲撃が、逃げ惑うノヴァの艦船を次々と捉える。
その混乱の中、プロメテウス級四番艦『パンドラ』が、猛スピードで戦場を駆け抜けていた。
『パンドラ、目標ポイントへ到達!』
『よし! アンカー射出! 強制接舷する!』
ガルス艦長の号令と共に、パンドラから巨大なアンカーが打ち出される。
ズドォォンッ!
アンカーは、ノヴァの前線基地となっていた小惑星の岩肌に深々と突き刺さった。
そのままワイヤーを巻き上げ、パンドラの船体が小惑星へと強引にとりつく。
ついに、敵の本拠地への「道」が繋がったのだ。




