蒼火・セブンス
暗黒の宇宙空間に、不気味なほど巨大なシルエットが浮かんでいた。
資源衛星群の奥深くに隠された、通称『悲劇の小惑星』。
かつて開発計画が頓挫し、ただの岩塊として漂っていたその星は今、おぞましくも雄大な姿へと変貌を遂げつつあった。
ゴツゴツとした岩肌の至る所に、金属製の巨大な居住ブロックが強引にねじ込まれている。
まるで岩石に寄生した機械の腫瘍のように、工業プラントやドックが増設され、それらが重力制御のためにゆっくりと回転を続けていた。
その周囲を行き交うのは、無数の作業用コマンドスーツと、警備にあたる量産機『オービター』の群れ。
溶接の光が星の表面でチカチカと瞬き、建設資材を運ぶ輸送船がひっきりなしに出入りしている。
それはもはや、ただの小惑星ではない。
ノヴァ・ドミニオンが地球圏へと、その牙を剥くための、巨大な前線基地だった。
その威容を誇るドックの中に、一際巨大な戦闘艦が停泊している。
全長300メートル級。
鋭利な刃物を思わせる攻撃的なフォルムを持つ、最新鋭戦闘空母『ワイバーン』だ。
その装甲は艶やかな漆黒で塗られ、艦橋付近にはノヴァの紋章が誇らしげに輝いている。
場所は、そのワイバーン艦内。
軍艦とは思えないほど豪華な調度品で飾られた、天蓋付きの個室。
「……それで? ずいぶんと賑やかな散歩だったようね」
優雅に紅茶のカップを傾けながら、少女が問う。
セラピナ・ノヴァ。
ノヴァ・ドミニオン総帥フレギアの実子であり、この艦隊を指揮する提督でもある。
ふわりとした橙色の髪が、低重力を感じさせないよう丁寧に整えられ、その愛らしい顔立ちとは裏腹に、瞳には冷酷な理性の光が宿っていた。
机を挟んで向かい側のソファには、先刻帰還したばかりのパイロット───『蒼火・セブンス』が、退屈そうに身体を沈めていた。
「まあね。ちょっと挨拶してくるつもりが、随分と噛みつかれちゃったよ」
蒼火は、テーブルに置かれたクッキーを無造作に放り込み、ガリガリと噛み砕いた。
「エリシオンの偵察部隊……『イノセント』が三機。それに、後から『ダフネ』も出てきた。
あーあ、せっかくの新型だったのに、塗装が焦げちゃったよ」
「ダフネ……。あの『シグマの裏切り者』も一緒だったというわけね」
セラピナは不快そうに目を細めた。
ゲイル・タイガー。かつてシグマ帝国最強と謳われた男が、今はエリシオンの犬として尻尾を振っている。
ノヴァの選民思想を持つ彼女にとって、それは唾棄すべき事実に他ならなかった。
「で、ガジュウはどうしたの? 貴女と一緒に出たはずだけれど」
「ああ、おじさん? 死んだよ」
蒼火はあっけらかんと言い放った。
まるで、壊れた玩具の話でもするかのように。
「あいつら、見た目よりやるんだよね。
特に連携がすごくてさ。おじさん、囲まれてボコボコにされちゃった。
ま、私のリリエルの足止めくらいにはなったかな」
「……そう。ご苦労様」
セラピナの反応は淡白だった。
長年仕えてきた腹心の死に対して、一片の悲しみも、同情すらもない。
セラピナにとって、ガジュウを含めた部下たちは、自らの野望を叶えるための「駒」に過ぎないのだ。
「それで、敵の動きは?」
セラピナがカップをソーサーに戻し、本題に入る。
「───来るよ。間違いなく」
蒼火の瞳が、肉食獣のように鋭く細められた。
「あいつら、ただの偵察じゃない。
本気でここを潰しに来てる。
プラズマリアクター搭載機を含む、主力部隊がこっちに向かってるはずだ。
……あの『赤い獣』も、ね」
蒼火には分かる。
ネクスター能力による精神波の受信だけではない。
もっと根源的な、野生のカンとでも言うべき力。
「へぇ……」
烈火の駆るブレイズ。そして、プロメテウス隊の精鋭たち。
普通ならば恐怖に震えるような報告を前にして、セラピナは小さく、鈴が転がるように笑った。
「ふふっ、素晴らしいわ。 自ら火の中に飛び込んで来てくれるなんて」
セラピナは立ち上がり、巨大な窓の外に広がる小惑星基地を見下ろした。
圧倒的な物量。
そして、完成しつつある無敵の要塞。
「ガジュウを失ったのは計算外だけれど、所詮は旧世代のパイロットよ。代わりはいくらでもいるわ」
セラピナは窓ガラスに映る自分の顔を見つめ、口角を吊り上げた。
「それに、今回は条件が違う。……こちらには、完成した『リリエル・ブルー』がある。そして、この私が率いる無敵の艦隊もね」
エリシオンが誇る技術、プラズマリアクター。
かつては彼らだけの専売特許だったその力も、今やノヴァの手にある。
ペトロフ博士の解析と、イノセント・オリジンの強奪によって得られたデータ。
それは、確実にノヴァの軍事力を次世代へと押し上げていた。
「迎え撃つわよ、蒼火。この宇宙の支配者が誰なのか、あの猿たちに教育してあげなさい」
「了解。……次は逃がさないよ。全部あたしが食ってやる」
蒼火もまた、獰猛な笑みを浮かべて立ち上がる。
巨大な小惑星の影で、二つの悪意が静かに、しかし確実に牙を研ぐ。
エリシオンとの決戦の時は、刻一刻と迫っていた。
〜〜〜
セラピナの部屋を後にした蒼火は、長い廊下を歩き、艦内居住区にある私室へと戻った。
無機質な電子ロックを解除し、中へと足を踏み入れる。
そこは、先ほどまでの豪華絢爛なセラピナの部屋とは対照的に、殺風景なほど実用性だけで構成された空間だった。
部屋の隅には、飾り気のないスチールパイプのベッド。
中央には、軍の備品カタログから適当に選んだような頑丈なデスクと椅子。
そして、壁際には不釣り合いなほど本格的なバーベルやダンベルといった筋トレ器具が所狭しと並べられている。
そんな無骨な部屋の中で、唯一、温かみを感じさせる場所があった。
デスクの横の壁だ。
そこには、色とりどりの毛糸で編まれた、少し不格好なマフラーが大切に飾られている。
その下には、十数人の子供たちが、屈託のない笑顔で並んでいる写真が貼られていた。
「ふぅ……。肩凝ったなぁ」
蒼火はデスクの前の椅子にドカリと座り込むと、首をコキコキと鳴らした。
着ていたパイロットスーツの胸元に手をかけ、ジッパーを一気に引き下ろす。
ジッ……
分厚い耐Gスーツが左右に開いた。
中から現れたのは、ボーイッシュな青いショートヘアとはアンバランスなほどに発育した、豊かな肢体。
窮屈な布地から解放された二つの巨大な膨らみが露わになる。
「はぁー……」
蒼火は大きく息を吐き出した。
「……ガジュウのおじさんも、死んじゃったね」
脱ぎ捨てたグローブを見つめながら、蒼火はボソリと独りごちた。
ガジュウ。
ノヴァの古参であり、セラピナの腹心だった男。
彼は口やかましいが、決して悪い人間ではなかった。
少なくとも、スラム街のドブネズミだった自分を、出自で差別することはなかった。
『強ければいい』。
そんな徹底した実力主義で、新入りの自分にも対等に接してくれた、数少ない理解者だったかもしれない。
だが、それでも。
蒼火の胸に去来するのは、深い悲しみや喪失感ではなかった。
ただ、事実として『いなくなった』という、冷めた認識だけ。
「……ま、しょうがないか」
スラムでは、仲間が死ぬなんて日常茶飯事で。
昨日まで一緒に笑ってパンの欠片を分け合っていた友達が、翌朝には冷たくなっている。
そんな光景を、蒼火は嫌というほど見てきた。
命は軽く、脆い。
だからこそ、今生きていることだけが全てだ。
蒼火はデスクの上の写真を指で撫でた。
写真の中で笑う子供たち。
かつて自分と一緒に、ゴミ山の中で身を寄せ合って生きていた孤児たちだ。
((もし、あの時……セラピナ様に拾われてなかったら))
今頃、自分も、この子たちも、全員野垂れ死んでいただろう。
セラピナ・ノヴァというお姫様の気まぐれが、アタシたちに「生きる場所」と「役割」を与えてくれた。
あの人が選民思想の持ち主だろうが、冷酷な指揮官だろうが、そんなことはどうでもいい。
「あの子たちが幸せなら……スラムに戻らなくて済むなら、アタシはなんだってやるよ」
暖かいベッド。
毎日食べられる食事。
清潔な服。
それを守るためなら、悪魔にだってなるし、何度でも人殺しになってやる。
「待っててね、みんな。……アタシが、全部の敵を片付けてくるから」
蒼火は写真に向かって短く誓うと、再びパイロットスーツのジッパーを引き上げた。
その瞳には、獲物を狙う猛獣のような、獰猛で純粋な闘志が宿っていた。
〜〜〜
正義だの善悪だの、そんな高尚なことはアタシには分からない。
この世界はいつだってシンプルだ。
食うか、食われるか。
奪うか、奪われるか。
それだけの話。
スラムのゴミ山で、腐ったパンの耳を巡って野良犬と殺し合いをしたあの日から、アタシのルールは変わっちゃいない。
ただ、一つだけ違うことがあるとすれば。
今の自分には、背中を預けられる「群れ」があるということだ。
セラピナ様がくれた、温かい居場所。
そして、コロニー暮らしのあの子たち。




