第二十六話「繰り上がり、入り込み」
椅子に腰掛け、ゆっくりと吐息を漏らす。サバイバルナイフの万全な状態に安心し、義手にしまう。少しの間でも寝てしまおうかとも考えるが、そういう気分でもない。部屋を見回すと、机に置かれた数冊の本に気付いた。本を見てみると、小説や絵本に紛れて一冊の日記がある事に気付いた。
「あら、誰の日記かしら」
考え事よりも目の前にある物に興味を惹かれ、後回しにする。日記の装丁はぼろぼろで、年季が入っているようだ。慎重に本を開き、ページを捲る。紙は黄ばんでしまったが、ページまで駄目になっているはいなかった。
文字の癖が強く、解読に頭を抱えてしまいそうだ。けれども、読めない事はないだろう。それに、約束の時間まで四時間もある。私は日記と睨めっこするような形で意識を集中し、日記の世界へと入り込んだ。
どれほど時間が経過したかは解らないが、部屋の扉をノックする音により、意識を日記から引き戻した。気付けば、半分ほどまで解読出来ていたようだ。再度扉を叩く音が聞こえ、扉の向こうにいるであろう人物に問いかけた。
「なにかしら?」
「執事です。予定の時間を繰り上げるようですよ」
「わかったわ。すぐ行くわ」
執事の声に返答し、日記を閉じる。この日記の持ち主は、都心部が徐々に発展していくのを喜ぶ反面、見慣れた景色がなくなっていく事に、どこか寂しさを覚えていたようだ。
やるべき事が済んだら、また続きを読もう。日記とはいえ、こんなに続きが気になるのは久しい。本を持っていきたい衝動を抑え、部屋から出る。一階へと降りると、ちゆり以外の全員が支度を終えて待っていた。
「それじゃ、行くとしますかねぇ。認証カードは持ったかい?」
「あるわ。けれどこれが本物なら、本人は駐屯地に入れないんじゃないかしら」
「いいや、これは本物のはずだ。お偉いさんの部屋から直接盗った物だからな。仮に偽物だとしても、やる事が少し早まるだけさ」
ニカッと笑うファントムに何か言おうと思ったが、彼の言い分も最もだと納得した。
「あまり気にしてはいけないようです」
「そうらしいわね……まぁいいわ。ところでちゆりは?」
「彼女なら先ほど貴方と入れ違いで出て行きましたよ」
だから私達も直ぐ行きましょうと、執事は促す。ファントムと執事が出て行くのを追いかけようとする際に、部屋の片隅から何かに見られている事に気付いた。そちらへ首を向ければ、チロとナッツがいる。どうやら今回は留守番のようだ。軽く手を振り、家から出る。
ファントムが戸締まりをする間に、周囲をゆっくりと探ろう。日が落ち、暗闇が包み込んだ時間となっては人の気配を感じられない。聞こえて来るのは冷たい風の音だけだ。
「行くとしますか。少し距離があるから走るけど、大丈夫かねぇ」
「ええ、私も白狼も問題ないです。ちゆりが先に行動してしまっている分、遅れを取り戻さなければなりませんからね」
淡々と語る執事は、とある方角をひたすら見つめている。おそらくそちらに駐屯地があるのだろう。後ろからファントムが私と執事の肩を叩く。
「という訳だから、がんばって追いかけてくれよ? お二人さん」
それだけ言うと、いの一番でファントムは走りだした。慌てて彼を追いかけるが、その速度は予想以上に速く、中々距離を詰めることができない。私より少し前を走る執事ですら、彼に追いつけないようだ。
「なんて速さなのよ……!」
「少しは加減というものを覚えてくれると、こちらも助かるんですが。困ったものです」
飄々と喋る執事に若干苛立ちつつも、ファントムの後ろ姿を射殺さんばかりに睨み続ける。街灯がなければ、この暗さではすぐに見失ってしまうからだ。互いに速度を少しずつあげ、彼との距離を少しずつ詰めた。
ひたすらに大通りを走り抜けて、追いつくまであと少しという所で目的地が見えてきたようだ。速度を落としたファントムが両手を広げて、立ち止まるジェスチャーをする。彼にぶつかる前になんとか立ち止まれた私達は、目の前にあるそれに気付く。
黒い門が私達を見下ろしていたのだ。鉄格子のフェンスは左右に伸びており、目前の門には見張りがいない。
「……で、どうやって開けるのよ」
「ちょっと貸してくれないか」
ファントムにそう促され、ポケットから認証カードを差し出す。受け取った彼は、門とフェンスの境目辺りに向かって何かすると、そこで小さな扉が開く。
「そこが開くのね。なら、この大きい門は飾りなの?」
「いや、これは昔の名残でそのままにしているらしい。見た目の通り頑丈だからな。ほら、返すよ」
問いかけに答えた彼は、カードを返してくれた。素早くしまい、慎重に一人ずつ小さな扉を通り抜ける。無駄な事は避けて先に進まねば。
「白狼、こっちだ。はぐれるなよ」
「行きましょう」
二人の声に引っ張られ、慎重かつ迅速に動く。探し続けていた兄さんに会える。その気持ちだけが先走ってしまわないように、心を抑えながら。
そうでもしないとユルトを助け出す事も忘れて、一人で兄さんを探しまわってしまいそうだ。




