9 男主人公に助けられました
エレニアの作り出した火は、瞬く間に森に広がっていく。
彼女は床にへたり込んだまま、動けなくなっていた。
「ど、どうしよう……!」
力をほとんど使えなかったエレニアがこんな巨大な火を出すなんて、彼女自身も信じられなかった。
しばらく呆然と森を見上げていた彼女は、我に返って立ち上がった。
火がすぐそこまで迫っていた。
「と、とにかくどうにかして火を消さないと……!」
エレニアは近くに池を見つけ、汲んだ水を火に向かって放った。
しかし、広範囲に広がってしまっている火事に、少量の水など効果がない。
火は小さくなるどころか、どんどん燃え広がっていく。
火の一族キルパトリック公爵家のエレニアであれば、火の中でも耐えられる可能性はあるが、他の人は違う。
もし、誰かがこの森に入ってきたとしたら……想像するだけでも恐ろしかった。
犠牲者がエレニアであれば自業自得で済ませられるが、無関係な他人を傷付けるわけにはいかない。
エレニアは必死の思いで消火しようと試みた。近くの水を汲んで火を消そうとするしか、彼女にできることはなかった。
燃え盛る炎の中、エレニアは祈った。
「お願い……」
彼女の目から、一粒の涙が零れ落ちた。
どうしようもないことなどわかってはいるが、誰かに助けを求めずにはいられなかった。
―――その瞬間、彼女の願いが届いたのか、突然森林が凍り付いた。
「え……」
巨大な炎が一瞬にして消え、エレニアは呆気に取られた。
燃えていた木も、潜んでいた魔物も、彼女が水を汲んでいた池も、全てが氷に覆われた。そのおかげで、暗かった視界が真っ白になった。
こんなことができる人間は、この世で一人しかいない。
「―――遠くで火事が起きてると思って来てみたら……」
カツン――と背後から革靴の音が聞こえた。
おおかた予想はつくものの、エレニアはゆっくりと振り返った。
「お前、何やってんだ?」
「パ、パーシヴァル公爵様……」
一体いつ来ていたのか。
予想通り、彼女を助けたのはレイモンドだった。
作中ではエレニアを処刑する死神であるはずの彼が、なぜか今は救世主のように見える。
「こ、公爵様ぁ~!」
「お、おい……泣いているのか?」
エレニアは涙を流しながらレイモンドに抱き着いた。
彼はそんな彼女を、優しく受け止めた。
***
「……それで、練習をしようと思ったら暴走しちゃったってわけか」
「はい……助けてくださってありがとうございました、公爵様」
反省しています―――とエレニアはガックリ項垂れた。
彼女は救世主である彼に、事の経緯を説明していた。彼は呆れたような目でエレニアを見下ろした。
(男主人公に呆れられるとか、何とも悪役令嬢らしいわね……)
そんな彼女に、レイモンドは珍しく励ますように声をかけた。
肩に置かれた手が、冷たい。
「……まぁ、そんなに落ち込まないでいい。魔力暴走くらい誰だってあることだから」
「誰でも……?公爵様もですか……?」
レイモンドは黙ったままコクッと頷いた。
気のせいか、彼の青色の瞳が暗く影を落とした。
「そうだ、俺の場合は子供の頃だけどな―――二人死んださ、父と兄の二人がな」
「……!」
レイモンドはニヤッと口角を上げた。
(そうだ……どうして忘れていたんだろう……)
レイモンドは幼少期に魔力を暴走させる事件を起こしている。
そしてそのときに彼を止めようとして亡くなったのが、彼の父親と兄だった。母親が既に亡くなっていたこともあり、彼は十歳にして天涯孤独となってしまったのである。
事件のことは隠ぺいされたものの、噂はあっという間に広がった。
『ねぇ、あの子……全く喋らないし、気味が悪いわ……』
『噂だと、先代公爵様と小公爵様はあの子供のせいでお亡くなりになられたとか』
『嫌だわ……あんな子が次のパーシヴァル家の当主だなんて、あの青い瞳も不気味で……』
人々は口をそろえて言った。
『―――あの子は処刑するべきよ、この国の未来のためにも』
レイモンドが心を閉ざし、他人との間に壁を作るようになったのはまさにその事件がきっかけだった。
事件が原因で、彼は多くの人々から蔑みの視線を向けられたのだから、当然かもしれない。
「―――俺が恐ろしいか?」
「公爵様……?」
顔を上げると、レイモンドと視線がぶつかった。
少し不安そうに見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
エレニアは彼を安心させるようにニッコリと微笑んだ。
「いえ……そんなことはありません。ただ、少し驚いていただけですよ」
「そうか……」
彼女の笑顔と優しい言葉に、レイモンドの表情が穏やかになった。
今のは小説でヒロインにだけ見せる笑顔では?男主人公の柔らかい笑みに、エレニアの胸が高鳴った。
(ダ、ダメダメ!いつかヒロインが全部かっさらっていくんだから!)
しっかりしないとと、彼女は気を取り直した。
そんなエレニアの額を、レイモンドは人差し指でコツンッとつついた。
「―――能力に関しては要練習だな」
「は、はい……もっと努力します……」
エレニアはレイモンドに助けられたおかげで、一番大事なことを忘れていた。
今は力をコントロールすることと、処刑エンドを回避すること。その二つが他の何よりも大事である。
そのとき、レイモンドがエレニアを手招きした。
「令嬢、こっちに来い」
「……公爵様?」
エレニアは言われるがまま、彼に近づいた。
すると、彼が両手を広げてエレニアを抱きしめた。
彼女は一瞬で、彼の大きな身体に包まれた。
「こ、公爵様……?」
「何はともあれ、お前が無事でよかった」
レイモンドはエレニアの金髪を手で撫でた。
エレニアは抵抗することもできず、ただじっと彼に抱きしめられていた。
(ど、どうしてこんなことを……)
彼の大きな身体に抱かれ、彼女の心臓は今にも破裂しそうだった。
***
「お嬢様、ネルソン侯爵令息から手紙が届いておりますよ」
「ま、まぁ、クラークから!?」
「クラーク……?名前で呼び捨てするほど仲がよろしいのですか……?」
驚く侍女をよそに、エレニアはクラークからの手紙を奪うように受け取った。
真っ白な封筒には、ネルソン侯爵家の剣の紋章が刻まれている。
エレニア・キルパトリック様―――という丁寧な文字で手紙は始まった。
「クラークが私にまた会いたいと言っているわ……」
「何と……お嬢様、クラーク様からの求婚ですか!?」
「求婚だなんて、私みたいな悪役令嬢がおこがましいわよ!」
悪役令嬢……?と侍女は首をかしげた。
しかし、クラークからの手紙を貰って有頂天になっているエレニアは失言したことになど気付いていなかった。
彼女はクラークから手紙を貰ったことで、レイモンドとのハグを頭からかき消そうとしていた。
当然、手紙くらいではそう簡単には消えないが、エレニアは必死で気にしないフリをした。
「エレニアお嬢様の結婚相手がクラーク様であれば、私たちも安心してお嬢様をお見送りすることができます」
「クラークと結婚?そうねぇ……そんな未来があればいいけどね……」
推しと結婚など、夢のまた夢である。
クラークはもちろん、レイモンドとも結ばれたいなんて考えたことはない。
彼らが愛するのはヒロインであり、悪役令嬢ではないのだから。
(処刑エンドを回避するためにも、今は能力をコントロールできるようにならないと……)
もし暴走した魔力がヒロインを襲いでもすれば、エレニアは一瞬で処刑だ。
暗い表情で考え込むエレニアを心配したのか、侍女の一人が声をかけた。
「―――エレニアお嬢様、私たちキルパトリック公爵家の者たちはお嬢様の幸せを心から願っております」
「……みんな」
小説内のエレニアは我儘さゆえに、公爵邸でも孤立していた。
しかし、今は違う。優しい使用人たちが、彼女のすぐ傍にいる。
「お嬢様には……幸せになれる道を選んでほしいと思っています」
「……ありがとう、そう言ってもらえてとっても嬉しいわ」
エレニアは使用人たちの優しさを感じ、胸が温かくなった。
未来は確実に変わっている。このままいけば処刑エンドも回避できるのでは……?とエレニアは思い始めていた。
しかし、ある人物の登場により、そんな彼女の考えは儚く散っていった―――
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