10 ヒロインが現れました
「―――初めまして、アイリーンといいます。今日からキルパトリック公爵家で過ごすことになりました。よろしくお願いします……お姉様」
「……」
エレニアは父の執務室に呼び出されて呆然としていた。
いつものように小言を言われるのを覚悟で執務室へ行くと、一人の少女が立っていた。
軽くウェーブのかかった黒い髪に、赤い瞳。陶磁器のような真っ白で透き通った肌。
小柄で華奢な身体に、幼い顔立ちをしている。エレニアが大人っぽい美人系だとすれば、彼女は童顔で可愛い系と言ったところだろうか。
エレニアはアイリーンと名乗った少女のことをよく知っていた。
何度も表紙やキャラクター紹介、挿絵の部分で見たからだ。
(こんなにも早くお目にかかるとはね……てっきりもう少し後だと思っていたけれど……)
父はエレニアには一度も見せたことのない優しい笑顔で、アイリーンの肩を抱いた。
「エレニア、お前の妹のアイリーンだ。今日から公爵家で引き取ることになった」
アイリーンは父と視線を合わせると、照れたように微笑んだ。
「お姉様に会えて嬉しいです。私は兄弟がいないから……」
「意地悪な姉だがな、仲良くしてやってくれ。苛められたらすぐ私に言うんだぞ」
(なんかムカつく。意地悪だなんて、一言余計よ)
好き勝手言う父に、エレニアは心の中で毒を吐いた。
そう、アイリーンはまさに小説の中のヒロインで、将来レイモンドと結ばれる女性である。
近い将来、悪役令嬢のエレニアが敵対することになる女主人公。
予想以上に早いヒロイン・アイリーンの登場に、エレニアはあ然としていた。
***
その日の夜、エレニアは父とアイリーンと三人で夕食を共にすることとなった。
普段父と夕食を摂ることはほとんどないが、アイリーンがいるとなれば話は別だ。
新しくできた異母妹のために、父は超豪華なフレンチ料理を並べた。前に王族が公爵家を訪れたときのように、華やかなコース料理がテーブルに敷き詰められていた。
そこまでするほどに、もう一人の娘が大切なようだ。
父はフォークとナイフを机に置き、アイリーンにかつて愛した恋人の話を聞かせていた。
「お前の母親とは身分の違いから一緒になることはできなかったが……私は心から彼女のことを愛していた……」
アイリーンの母親とは、エレニアの母と結婚する前に付き合っていた女性のことである。
貴族でよくある政略結婚ではなく、心から愛して交際した女性。今でも父の胸には、彼女の存在が残っていた。
父がアイリーンを溺愛しているのも、最愛の女が産んだ子だからだろう。
母の話に、アイリーンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「まぁ、お父様はお母様のことを本当に愛していたんですね」
「当然だろう、お前の母親は誰よりも穏やかで優しい人間だった。今のお前にそっくりでな……」
父は昔を懐かしむように、アイリーンを見ながら目を細めた。
その瞳には、親から子へと注がれる無償の愛が込められていた。
「……」
同じ部屋で夕食を摂っていたエレニアは、話に全くついていけなかった。
父とアイリーンからすれば大切な人だが、彼女にとっては赤の他人も同然なわけで。そんな人に思い入れもなければ、顔も知らない。
(大体、一緒になれなかったとか言ってたけど、アイリーンと私の年齢がほとんど変わらないってことは同時期に関係を持ってたってことよね?)
つまり、父は二人の女性を同時に妊娠させていたということ。簡単に言えば、不倫してたっていうことだ。
ただ、この世界では前世よりも貴族男性の女性関係には寛大だった。
レティシャ王国の王族は一夫多妻が認められているし、貴族でも愛人を囲っている男性は多いそうだ。
まぁ、子供まで作る人は限られているけれど。
「彼女は私の侍女だったんだが……いつも穏やかな愛で私を包み込んでくれた」
しばらく父親による元恋人……いや、愛人の語りが続いた。
目に涙を浮かべながら聞いているアイリーンとは対照的に、エレニアは興味がなかった。
だって仕方がないでしょう、知らない人なんだもの。
「両親は平民である彼女のことが気に入らなかったようでな……望んでもいない結婚を私に押し付けた」
「まぁ……」
望んでもいない結婚とは、まさにエレニアの母のことだ。
娘がいる前でそのような話をするとは、わざとなのかそれともただ配慮に欠けているだけか。
「私が彼女を愛しているのが気に入らなかったのだろう。父は彼女を追い出した……」
「そ、そんな……」
アイリーンは絶句したように口元を手で押さえた。
なんて酷い話とでも思っているのかもしれないが、貴族社会において政略結婚とは当たり前のことである。むしろ、平民と恋愛結婚したほうが世間からは白い目で見られるだろう。
反応がオーバーすぎやしないか。エレニアは冷めた目で二人を見ていた。
「私はその後、必死の思いで彼女を探し出し、何とか見つけることができた。そして、泣く泣く彼女を愛人にした。そうすることしかできなかったんだ」
父は机の上に置かれた拳をギュッと握りしめた。
(何がそうすることしかできなかった、よ!ベルクハイツ侯爵家に睨まれたくなくて日陰者にしたってちゃんと言いなさいよ!)
父は臆病者だった。
それなりに権力を持つベルクハイツ家と面倒事を起こしたくはなかったのだろう。
だが、父はともかく、アイリーンには何の罪もない。
こんな薄っぺらい演技に聡明なヒロインであるアイリーンが騙されるわけ……
(……って、めちゃくちゃ騙されてる―――!)
アイリーンは目から大粒の涙を流して身体をプルプル震わせていた。
「そ、そんな……お父様とお母様はただ愛し合っただけだというのに……」
「そうだ、残酷な運命が私たちを引き裂いた。私と彼女こそが真実の愛だった」
アイリーンに釣られたのか、なぜか父親まで涙を流し始めた。
親が親なら子も子というべきか。全く感動できない話でそこまで泣くだなんて。
「そんなある日、彼女は突如家からいなくなってしまった……私は再び彼女を探したが、今度は見つけることができなかった……隣国に住んでいたとは、驚きだ。子を妊娠したことで、私から距離を取っていたんだな」
「ええ、お母様は女手一つで私を育ててくれました。今思えば……お父様の奥様に配慮していたのかと」
アイリーンはチラッとエレニアを見た。
何を考えているのか、意味深な視線が彼女を捉えた。
「配慮などする必要はなかったが……優しい彼女のことだ、そのような考えになるのも仕方はあるまい。愛人であることにいつも負い目を感じていたようだからな」
「……」
父はアイリーンの母親を穏やかで優しい人だと称したが、内面は強かだったのではないだろうか。
妻がいるような男性と関係を持つくらいだから、良い人ではなかったはずだ。
「―――ねぇ、お姉様のお母様はどんな人だったんですか?」
「……私?」
ふと、アイリーンに尋ねられた。
今のこの状況でよく母親のことを聞けるなと、エレニアは驚いた。
どれだけ父がエレニアの母を疎ましく思っていたが、先ほどの話から察することはいくらでもできただろう。
エレニアはアイリーンに対して思うところがありながらも、答えた。
「……どうでしょう、私にはお母様の記憶があまりないので」
「あら、そうだったんですね!私ったら、失礼なことを聞いちゃって……ごめんなさい」
突然弱々しくなったアイリーンの声に、エレニアは疑問を抱きながらも返した。
「いえ……別に不快に思ったわけでは……」
そのとき、ガシャンッと大きな音を立てて父親が椅子から立ち上がった。
立ち上がった父は、鋭い目でエレニアを見下ろした。
「―――お前、なぜそういう言い方しかできないんだ!」
「………………え?」
父は顔を手で覆うアイリーンを優しく胸に抱きしめた。
(え、ど、どうして泣いているの……?)
泣くほどキツい言い方をした覚えはない。
しかし、そんな反応ではまるでこっちが苛めたみたいではないか。
エレニアは心当たりがなく、オロオロしているだけだった。
そんな彼女を前に、アイリーンの口元が弧を描いた―――
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