6 サブヒーロー・クラーク
エレニアが馬車を走らせて一人向かったのは、クラークの暮らすネルソン侯爵邸の近くだった。
ネルソン邸はキルパトリック公爵邸に負けず劣らずの大豪邸だ。サブヒーローが住んでいるのだから、当然か。
クラークはレイモンドと違って、まだ爵位を継承していない。
そのため、立場上は嫡男であり、小侯爵という地位にいた。エレニアとヒロインの一つ上である彼は、騎士見習いという立場だ。
将来立派な騎士になることを夢見ているクラークは、一日の大半を鍛錬に充てている。
(たしか、この近くに彼がいつも日中を過ごす訓練場があるはず……)
遠くからでもいいから、一目見たい!
もはやオタクとも化したエレニアは止まらなかった。屋敷をグルリと一周し、周辺をくまなく探した。
「――見つけた!クラークの訓練場!挿絵で何回か見たわ!」
限界オタクエレニアはやっとの思いで、クラークのいる訓練場へ来ることができた。背景の建物が挿絵で見たものと同じだし、間違いない。
しかし、ある問題に直面してしまった。
訓練場が高い壁で仕切られ、中が見えなくなっていたのだ。
「な、何も見えない!」
訓練場の中にクラークがいるはずだが、壁で彼の姿はどこにも見えなかった。
小説では、たしかに中が見えるようになっていたはずだったのに、どうして?
気になったエレニアは、たまたま近くを通りかかった近隣住民に尋ねた。
「すみません、ここの壁って昔からあったんですか?」
「ああ、その壁、一年前に設置されたばかりなんだよ」
「い、一年前……?」
なんと、壁はつい最近できたものだったのか。
エレニアはその理由を続けて尋ねた。せっかくここまで来たというのに、何も見ずに帰るのは名残惜しかった。
「いやーそれがさ……この近く、有名な侯爵令息が住んでるでしょ?令息目当てに女性のファンが毎日のように殺到しちゃってね……」
「あ」
有名な侯爵令息とは、まさにクラークのことである。
そして彼目当ての女性ファンとは、まさにエレニアのことである。
「騒音もすごくて近所迷惑だし、侯爵令息自身も鍛錬に集中できないからって、壁を設置したんだよ。今は誰も中に入れないし、外からも一切訓練を見ることができないね」
「……」
その話を聞いて、エレニアは何だか後ろめたい気持ちになった。
たしかに、エレニアのようなファンが一斉に押しかけたら迷惑極まりない。彼女は推しに会えるという喜びで、そこまで考えていなかった。
「教えてくれてありがとうございます」
「いや、かまわないよ。ところでお嬢さんは何をしにここまで来たんだい?」
「いえ、何でもありません」
エレニアは自身の目的を誤魔化し、そそくさとその場から立ち去って行った。
(危ない危ない……近隣住民からマークされるところだったわ……)
少し離れた場所で、エレニアは息を整えた。
彼女はフゥと深呼吸を繰り返したあと、周辺の景色を見渡した。
「ここ……クラークとヒロインが初めて出会った場所よね……」
実はヒロインは、公爵家に引き取られる前にクラークと一度だけ出会ったことがあった。
かなり昔、二人がまだ幼い頃のこと。
クラークは訓練場で一人、鍛錬をしていた。
彼の生まれたネルソン侯爵家は代々騎士を輩出する家系で、父も祖父も有名な騎士だった。
そのようなプレッシャーからか、彼も騎士にならなければと毎日のように鍛錬を繰り返していた。
その日は両親に内緒で、夜遅くまで稽古に励んでいた。
しかし、まだ子供だった彼は疲労でその場に倒れてしまう。
そのとき、純真無垢な少女の声が夜の闇に響き渡った。
『―――わぁ、とっても素敵な騎士さんね!頑張って!応援しているわ!』
『……』
声のほうを振り返ると、クラークの視界に一人の小さな少女が映った。どうやら訓練場の外から声をかけていたようだ。
『……!』
美しい赤色の瞳に、彼は吸い込まれそうになった。
健気に自分を応援する少女が、彼にとってはまるで月夜の下で輝く女神のように見えた。
彼は彼女に情けない姿を見せたくないと思い、立ち上がった。
ただそういう家系だからという理由で騎士を目指していた彼が、初めて自分の意思で騎士になりたいと思った瞬間だった。
―――いつか、彼女にまた会えると信じて、今日も彼はその場所で鍛錬に励む。
「今考えてみれば、なんて素敵な話……感動しちゃったわ、悪役令嬢だけど」
そのときの少女が、まさにヒロインだったのだ。
彼は彼女と出会ったときからそのことに気付いており、自分にとって初恋で最愛の女性を、傍で見守り続けるのだ。
たとえ、愛する人が他の男を選んだとしても―――
「―――美しいレディー、こんなところで何をしていらっしゃるのですか?」
「……?」
突然声をかけられたエレニアは振り返った。
そこにいたのは、赤茶色の髪の見目麗しい男性。
彼を見た瞬間、エレニアの心臓が破裂しそうになった。転生してからずっと会いたいと願っていた、私の推しそのもの。
「―――もしかして、クラーク!?」
「私の名前をご存じなのですか?レディー」
クラークはグレーの瞳を細めて笑った。
その笑顔が眩しすぎて、エレニアはもはや直視することさえできなかった。
(あぁ、神様……私をこの世界に転生させてくださってありがとうございます……)
悪役令嬢だが、サブヒーローを拝む。
転生してから最も幸せな瞬間かもしれない。
「レディー、この傷はどうしたのですか?」
「あぁ、ちょっとぶつかっちゃって」
「そうですか……軽い治療をしましょう」
そう言うと、クラークはエレニアの頬に手を添えた。
白い光が現れたかと思いきや、エレニアの頬の痛みがなくなった。
「まぁ、魔法が使えるのですね……!」
「治癒魔法です、軽い傷しか治せませんが」
「十分ですわ、ありがとうございます」
彼の治癒魔法のおかげで、エレニアの頬の怪我はすっかり治った。
そう、この世界では前世にはない魔法というものが存在するのだ。
(サブヒーローに触れられるだなんて、幸せ……)
オタクすぎて変に思われていないだろうか。
エレニアは前髪を整え、改めて彼と向き合った。緊張のせいか、額から汗が流れる。
「あの、あなた様はもしかしてクラーク・ネルソン侯爵令息様ですか!?」
「当たりです。こんなにも麗しいレディーに名前を知っていてもらえたとは……光栄ですね」
興奮気味の彼女にも引くことなく、クラークは微笑んだ。
二度目だが、破壊力は相変わらずだった。前世で何度も見たクラークの姿。
エレニアは眼福……と頬を赤く染めた。
前世でも何人かカッコイイと思っていた芸能人はいたが、当然会ったことは一度もない。
推しに会える機会なんて、普通はそうそうないものだ。
なんて運が良いのだろうか。
「レディー、ここで会えたのも何かの縁です。よろしければ、名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「ええ……エレニア・キルパトリックです」
「キルパトリック……公女様だったとは」
公爵家の名を聞くと、クラークは驚いたように目を見張った。
公爵令嬢がこんなところに一人でいるだなんて、前代未聞だった。
「私の身分のことはお気になさらないでください、ぜひエレニアと」
「では……敬意を込めてエレニア嬢と呼ばせていただきますね」
クラークは自然に彼女の手を取ると、チュッ―――とその甲に口づけをした。
キャー!とエレニアは心の中で歓声を上げた。
こんなにサービスしてもらっていいんですか!?
私たちまだ付き合ってもいないのに!いや、何ならクラークには他に愛する人がいるのに!
本気になってはいけないと、エレニアは必死で自分に言い聞かせた。
「ところでエレニア嬢……私たち、もしかして……」
クラークが何かを言いかけたそのとき、突然二人の間に低い声が割って入った。
「―――お前たち、こんなところで何をしている?」
「……?」
気のせいか、場の空気が凍り付いた。あれ、何か吹き抜けていく風が冷たい。
エレニアは声のしたほうを、ゆっくりと振り返った。
「…………パ、パーシヴァル公爵様」
そこにいたのは、鋭い目でこちらを睨みつけるレイモンドだった。
このままだと、今すぐにでも処刑台に連れていかれてしまいそうである。
―――ど、どうして彼がここに……?
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