5 呪われた血筋
父公爵と別れたあと、エレニアは公爵邸の自室まで戻った。
部屋の中で、彼女は侍女から頬の怪我の手当てを受けていた。
真っ赤に腫れた左頬を、侍女は冷やした。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ。心配しないで」
父親は傲慢で暴力的だけれど、使用人たちが優しいのが不幸中の幸いだった。
前世の記憶を取り戻してからは、使用人とは良い関係を築いていけている。
「公爵様は相変わらずですね……」
「そうね……前まではどれだけ怒っても顔を殴ることはなかったんだけど……最近はそういうのも気にしなくなったようね」
エレニアは手当てを終えた頬に、そっと手を触れた。
まだジンジンと鈍い痛みが残っている。先ほど強い力で殴られたばかりだから当然だろう。
「ところで、お嬢様。昨夜は大丈夫だったのですか?」
「昨夜……?」
もしや、レイモンドとの夜のことを言っているのか。
彼から付けられた赤い痕は隠していたはずだけれど、何かを察したのだろうか。
エレニアの顔がみるみるうちに真っ赤になった。
(そういや、昨日私が何したか聞くの忘れてた!)
記憶にはないけれど、一夜を共にしたのだからあんなことやこんなことをしているわけで。
前世でも、男性と付き合ったことなんてないせいか、思い出すだけで顔が赤くなる。
そんな彼女の様子に、侍女はきょとんと首をかしげて尋ねた。
「お嬢様……?昨夜は、満月でしたが……何ともありませんでしたか……?」
「あ……」
そこで、エレニアはようやく正気に戻った。
何だ、満月のことを言っているのか。
勘違いしていたエレニアは、平然を装って答えた。
「ええ、そうね。多分……大丈夫よ。何も起こらなかったわ」
「それはよかったです」
侍女は安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
昨日はちょうど、一ヶ月に一度だけ見える満月の日だった。
実はエレニアには、生まれたときからある特性が存在した。
―――それは、満月を見ると髪の色が黒に変わるというものだ。
エレニアの母親は、少々特殊な家系の生まれだった。
彼女の母は、名門ベルクハイツ侯爵家に生まれた令嬢だった。
ベルクハイツ侯爵家には、一般的には知られていないある特徴が存在する。
ベルクハイツ家の当主はその昔、とても大きな罪を犯した。
そのせいで、月の女神ディアーナからの怒りを買ってしまったそうだ。
すぐに殺すだなんて、そんな生ぬるいことはしない。存分に苦しめて、いっそ死にたいと願うほどの苦痛を与えてやろう。
女神は新しく当主となったベルクハイツ侯爵に呪いをかけた。
『―――満月の日になると呪いに蝕まれ、全身が焼けるように激しく痛み、心臓に何度も熱い杭を打たれるような苦痛を味わうだろう』
女神の呪いは彼を大いに苦しめた。
満月の日が来るたびに侯爵は壮絶な痛みに悶え苦しまなければならなかった。
月に一度ではあるが、定期的に訪れるそれは彼を心身共に疲弊させるには十分だった。
結局、ベルクハイツ侯爵は呪いで心を病み、妻と子供を残して自らの命を絶ってしまった。
そしてその呪いは、子孫にも受け継がれることとなった。
とはいえ、それは何百年も前の話。
近年は流石に女神のかけた呪いの効力も弱まってきていて、呪いと呼べるものはほとんど存在しない。ただ、髪の色が黒く変わるくらいだ。
それも満月の光を直接目にしたときだけ。
(お母様も満月を見ると髪色が変わってたって聞いたわ)
今は亡き母も、エレニアと同じような特性を持っていたという。
父公爵が母やエレニアを毛嫌いしているのも、そのような理由からだった。
呪いにかけられた当時、ベルクハイツ家は呪われた一族と言われ、人々から忌み嫌われていたのだ。
だからといって、無関係なエレニアと母を冷遇していい理由にはならないけれど。
「お嬢様の秘密がバレたらどうしようかと思って心配していたんです」
「あら、そうだったのね……特に何ともないから、安心して」
昨日のことはよく覚えていないけれど、社交界でも噂になっている様子はないから、おそらくバレていないだろう。
まぁ、髪が黒くなるくらい別にどうだってことはない。
むしろ前世の記憶を取り戻してからは、金髪や銀髪のほうが違和感があるくらいだ。
(作中のエレニアは黒い髪を見られることを極度に嫌って、満月の日は一歩も外に出ないほどの徹底っぷりだったわね……)
勿体ない、エレニアはどんな髪色でも綺麗なのに。
鏡の前に立っていたエレニアに、侍女がふと声をかけた。
「ところでお嬢様、夜会にはパーシヴァル公爵様もいらっしゃっていたと聞きました。いかがでしたか?」
「……」
パーシヴァル公爵―――と言われ、エレニアはドキッとした。
たしかに昨日の夜会にはレイモンドが出席していた。しかし、その彼と一夜を過ごしたことなんて、当然言えるわけがない。
「い、いかがってどういうことよ……」
「パーシヴァル公爵様はとても麗しいお方だとお聞きしました。お嬢様と身分も釣り合っていますし……結婚相手としては最高ではありませんか?」
この国にいる女性であれば、誰もがレイモンドのような男性との結婚を夢に見るだろう。
もちろん、記憶を取り戻す前のエレニアも同じ考えだった。
しかし、今は違う。
レイモンドがいくらカッコよかったとしても、彼女には絶対に彼と関わってはいけない理由がある。
(レイモンドに近づこうとしたら、私が死ぬのよ――――!?)
いやいや、いくらハイスペックな男と結婚したかったとしても、死んだら元も子もないだろう。
「そうねぇ……たしかに公爵様はとっても素敵な人だと思うけれど……私には釣り合わないわよ」
「あら、そんなことありませんわ。お嬢様ほど公爵様にお似合いなご令嬢はこの国にはおりません」
エレニアの暮らすレティシャ王国では王女がいないうえに、高位貴族のご令嬢もほとんど婚約済みだ。
そう考えれば、彼女ほど公爵夫人に相応しい人間はいないかもしれない。
しかし、エレニアは未来を知ってしまっている。
いるんだな、それが。
今はまだ平民だけれど、近いうちにキルパトリック公爵家に引き取られる予定のヒロインが。
ヒロインは持ち前の美貌と愛嬌で、あのレイモンドをあっという間に虜にしてしまう。
いくらレイモンドの関心がエレニアに向いていようとも、ヒロインが現れればすぐに彼女に夢中になるだろう。
浮気するとわかっていて、付き合う女がどこにいる?
「と、とにかく……私、公爵様はそんなにタイプじゃないのよね!」
「そうだったのですね……意外です」
「そうそう、結婚するならもっと優しい人がいいし!」
優しい人と聞いて、真っ先にエレニアが思い浮かんだのはサブヒーローのクラークだった。
クラークは執着系のレイモンドとは正反対で、いつもヒロインを温かい目で見守り、ただ彼女の傍を守り続ける紳士である。
レイモンドほどではないが、侯爵家の嫡男である彼もなかなかに将来有望でハイスペックだ。
ちなみに私の前世の推し。
(そうだ!どうせなら、クラークを見に行ってこようかな!?)
昨日は色々あって、クラークの姿を見ることができなかった。
彼は騎士だから、いつもの訓練場に行けば会えるはず。
いつ死ぬかわからないんだし、今から会いに行ってもいいよね?
エレニアは軽く身だしなみを整えると、部屋から飛び出した。
「お嬢様!どちらへ行かれるのですか!?」
「ちょっとクラークのところまで~」
「ク、クラーク様とはまさか、侯爵家の!?」
慌てふためく侍女の声を気にも留めず、エレニアは推しのクラークの元まで向かった。
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