↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/12

第九話 友達でも、そこは譲れません。

 領都の書店へ市場調査に出かけた翌日、シルヴェスターの執務室には、昨日買い込んだ本のうち、とりわけ資料価値が高そうなものが山のように積まれていた。


 魔獣図鑑。各国の武器目録。甲冑の変遷をまとめた図録。城郭建築。古代遺跡についての研究書。騎士団向けの戦術教本。隣国の民族衣装を収めた画集。英雄譚や古い戯曲まである。それに加えて、昨日行った書店への聞き取り結果と、屋敷内で実施した調査の集計表。


 今日はいよいよ、それらを材料として最初の作品を決める。


 正式な企画会議である。


 ただし、会議をする二人の位置関係だけを見れば、とても昨日「友達」という関係を確認した人間同士には見えなかった。


 シルヴェスターは大きな執務机の向こう側。ヴェロニカは、そこから二メートル半ほど離した位置へ椅子を置いている。中間には低い卓が一つあり、資料の受け渡しは基本的にそこへ置くか、風魔法で飛ばす。


「昨日の南方魔獣録、そっちにある?」


「あります。」


「こっちへ。」


 シルヴェスターが本を手に取った。

 一瞬、普通に渡そうとしたように見えた。しかし途中で止まり、軽く指を動かす。


 本がふわりと浮いた。

 風に運ばれ、二メートル半の距離を越えてヴェロニカの膝へ降りる。


「……手渡しでよくない?」


「近いので。」


「便利な魔法をしょうもないことに使ってるな。」


「便利だから使うんです。」


「まあ、そうだけど。」


 ヴェロニカは本を受け取った。


 昨日よりは明らかに話しやすくなった。


 馬車の中で「友達」と言ってから、何かが劇的に変わったわけではない。シルヴェスターは今でも、ヴェロニカが不意に近づけば身体を強張らせるし、必要以上に目を合わせようともしない。


 ただ、少し違う。


「あと、昨日あなたが見ていた辺境諸国の民話集も置いておきました。」


「お、ありがと。」


「……と、と、友達ですから。」


「…………。」


 ヴェロニカは顔を上げた。

 シルヴェスターもこちらを見る。


 すぐ逸らす。


「そこ、友達関係ある?本を出しただけだぞ。」


「…あります。友達なら、そのくらいは。」


「そうか。」


 昨日からこれである。


 朝食の席には、ヴェロニカが好きだと言った焼き菓子が一つ多く置かれていた。理由を聞けば、「と、友達ですから」。

 昨日買った資料には、ヴェロニカが必要としそうな箇所だけ栞が挟まれていた。「友達ですから」。

 企画会議用の筆記具も二人分用意されていた。「友達なので」。


 完全に言いたいだけである。


 ヴェロニカはシルヴェスターの横顔を眺めながら、何となく納得した。


 ああ、こいつ。

 前世、本当に友達がいなかったんだろうな。


 恋愛以前の問題だった。


 女性が怖いとか、こじらせ童貞とか、そういうところへ辿り着く前に、まず人間関係の最初の段階で盛大につまずいている。それならば、同年代の人間とくだらない話をしながら本屋を歩いた程度で、あれほど感極まっていたのも分かる。


 もっとも、ヴェロニカ自身も恋愛経験豊富などという人生ではまったくない。前世でも今世でも恋人と呼べる人間はいなかったし、男女の機微について偉そうに語れるほどの経験も持たない。


 しかし、友人はいた。

 学校でくだらない話をした。美術部で同じ机を囲んだ。同僚と昼食を食べた。異性とも普通に仕事の話をした。


 少なくとも、友達という単語を口にしただけで耳まで赤くしたことはない。


 ヴェロニカは小さく頷いた。


 うむ。

 やはりこちらの方が上位である。


 何の順位なのかは、相変わらず分からない。


「……何で一人で頷いてるんです?」


「いや。何でもない。」


「嫌なこと考えてません?」


「考えてない。」


「絶対考えてますよね。」


「いいから会議始めるぞ。」


 ヴェロニカは昨日の調査結果を一番上へ置いた。


「結論から言う。」


「はい。」


「全部入れよう。」


「駄目です。」


 即答だった。


「まだ何も言ってないだろ。」


「冒険、恋愛、英雄、魔法、戦闘を全部盛ろうとしてますよね。」


「そうだよ。」


「だから駄目です。」


「何で。」


「初作品です。まず短くまとめられるものにしましょう。」


「全部入れたって短くできる。」


「あなたの場合、絶対できません。」


「何で断言する。」


「この一週間を見ていたので。」


 ヴェロニカは口を閉じた。


 確かに、否定しづらい。


「でも市場調査の結果だぞ。冒険が人気。恋愛も人気。英雄譚も強い。魔法なんてこの世界なんだから使わない理由ないし、戦闘はお前の絵を活かせる。」


「だから要素を選びましょう。」


「全部必要。」


「必要ではありません。」


「必要。」


「不要。」


 開始三分。

 早くも揉めた。


 ただし以前と違って、シルヴェスターは少しも引かない。女性相手だからと意見を飲み込むこともなく、こちらの主張へ普通に反論する。


 ヴェロニカは一瞬、それが妙に嬉しかった。


 だが創作に関しては別である。


 嬉しかろうが何だろうが、譲れないところは譲れない。


「学院ものは?」


「市場調査と合いません。」


「王宮陰謀。」


「初作品で政治関係を増やすと説明が多くなります。」


「冒険者。」


「この世界には前世のゲームに出てくるような冒険者ギルド制度はありません。」


「作ればいいだろ。」


「世界観説明が一つ増えます。」


「お前いちいち現実基準で潰すなよ!」


「こっちでは現実なんです!」


「漫画なんだから多少好きにしていいだろ!」


「設定が破綻すると気になります!」


「誰が!」


「僕が!」


「お前かよ!」


 堂々巡りである。


 ヴェロニカは椅子へ背中を預け、一度資料から目を離した。


 何かないか。


 面白くて、戦えて、魔法も使える。冒険もできるし、恋愛も入れられる。そして、シルヴェスターの絵を存分に活かせるもの。


 視線が机の端へ移った。

 以前二人で描いた一枚の絵が置いてある。


 片腕を魔獣化させた青年。

 巨大な翼竜。

 鞭を持つ少女。


 さらに昨日、外出用の服を着たシルヴェスターを見た時に勝手に考えた設定。


 生まれながらに、魔王となる宿命を背負う青年。


「……これだ。」


 ヴェロニカが呟いた。


「何です?」


「ヒーロー。」


 シルヴェスターが首を傾げた。


 ヴェロニカは机の上へ新しい紙を広げる。


「辺境伯家の息子。」


「……辺境伯。」


「数百年前、先祖が魔王を倒してる。その時、魔王が死に際に呪いを残した。『いつかその血筋から次の魔王が生まれる』。」


 シルヴェスターの目が紙へ向く。

 ヴェロニカは続けた。


「長い間何も起きなかったから、もう伝説扱いされてた。でもある時、生まれた子供に異常な魔力がある。身体には魔王の紋。」


「どこに?」


「肩とか。」


「左右は?」


「今そこいる?」


「絵を描くなら。」


「じゃあ左。」


「左肩から胸元くらいまで?」


「それでいい。」


 ペンが動き始めた。


 もう食いついている。


「王家がその子供を管理下へ置く。」


「なぜ殺さないんです?」


「魔力が強いから。」


「将来魔王になる可能性が高い人間を、生かして利用するんですか?」


「兵器として。」


「……。」


 シルヴェスターが少し考える。


「それなら、王家の中でも意見が割れている方が自然ですね。」


「というと?」


「最初から処分を主張する派閥と、管理可能なうちは軍事利用したい派閥。」


「いい。」


「教会側が処分を主張してもいいかもしれません。」


「それだ。」


 ヴェロニカは身を乗り出しかけ、シルヴェスターが反射的に少し下がったので、そのまま止まった。


「王家は利用したい。教会は危険だから殺したい。」


「王家が彼を幼少期から管理するなら、教育も特殊になりますね。」


「普通の子供として育てない。」


「魔法、剣術、戦術。」


「魔物を操る能力も。」


「魔王由来の能力?」


「そう。魔物の一部に命令できる。」


「完全支配では強すぎます。」


「じゃあ格下だけ。」


「あるいは精神が弱っている個体。」


「いいな。それなら強い魔物相手には普通に戦う必要がある。」


 ペンの音が速くなる。


 穴が一つ見つかればシルヴェスターが指摘し、ヴェロニカがそこから新しい設定を生やす。また矛盾が出れば、今度は二人で埋めていく。


「王家はその力を戦争に使う。」


「幼少期から?」


「十代前半くらいから。」


「かなり非人道的ですね。」


「だから人格が歪む。」


「冷酷?」


「命令優先。自分の命も他人の命も軽い。使えるなら使う。邪魔なら排除。」


「……見た目は?」


「後で。」


「作画担当としては先に知りたいです。」


「待て。話が乗ってきた。」


 シルヴェスターが少し笑った。


「で、成人する頃には完全な戦闘兵器になってる。でも魔王化も進む。」


「身体的な変化から?」


「最初は魔力量。次に魔王紋が広がる。感情が乱れると目とか爪が変わる。」


「以前の右腕魔獣化も使えますね。」


「使おう、右腕な。」


「また右腕?」


「好きなんだよ。」


「分かりました。」


「で、教会側が言う。もう制御できなくなる。処分しろ。」


「王家は惜しい。」


「そう。でもこのままじゃ危険。」


 ヴェロニカは少し考えた。


「そこで古代遺物。」


 シルヴェスターが顔を上げる。


「古文書に、魔王化を抑えると言われている遺物が残ってる。」


「一つ?」


「いや。」


 ヴェロニカはにやりとした。


「複数。」


「増やしましたね。」


「各地の遺跡に散ってる。」


「長期連載前提にしないでください。」


「夢は大きく。」


「まず一作完成させる話はどこへ行ったんですか。」


「忘れてない。」


 実際には少し忘れていた。


「とにかく、王家が命令する。『生きたいなら探してこい』と。」


「それは良いですね。今まで兵器として使っておいて、制御できなくなったら自分で治療手段を探せというのも、王家の冷酷さが出ます。」


「お前、こういう暗い設定好きだな。」


「あなたが言い出したんでしょう。」


「そうだった。」


 二人で紙を見る。


 かなり形になってきた。


「ただ。」


 シルヴェスターが言う。


「遺跡探索なら専門家が必要です。」


「そこでヒロイン。」


 ヴェロニカは即答した。


「王立研究機関の遺跡調査官。」


「女性?」


「市場調査で恋愛入れるって決めたんだから女。」


 シルヴェスターのペンが一瞬止まった。


「……そうでしたね。」


「お前いちいち恋愛って言うと固まるな。」


「固まってません。考えていただけです。」


「そういうことにしといてやる。」


 ヴェロニカは続けた。


「古代文字が読める。封印解除。罠の解析。魔道具の鑑定。戦闘は専門じゃないけど最低限できる。」


「武器は?」


「鞭。」


「やっぱり。」


「何だ。」


「いえ。」


 少し笑っている。


「魔導鞭。遺跡の仕掛けを遠くから作動させたり、崖を移動する時に引っ掛けたり、魔物を拘束したりできる。」


 シルヴェスターの表情が変わった。


「それなら実用性があります。戦闘だけでなく探索道具として使えるなら、鞭でも不自然ではないですね。」


「だから言っただろ。」


「最初は意外性しか言ってませんでした。」


「後から理由が生えた。」


「本当に生やしますね。」


 だが、今度は止めなかった。

 むしろ自分で補強し始める。


「ヒロインが遺跡へ同行する理由はそれでいいとして、監視役も兼ねさせます?王家が魔王候補を野放しにするとは思えません。」


「確かに。」


「完全に魔王化した場合、処分する役目を持たせる。」


 ヴェロニカは目を見開いた。


「お前、いいこと言うな。」


「そうですか?」


「最初から殺す役と殺される役が旅するんだぞ。」


「恋愛ものとしては……。」


「最高だろ。」


 シルヴェスターは数秒考えた。


「……まあ。」


「何だその顔。」


「でも面白いとは思います。」


「だろ!」


 また少し身を乗り出しそうになり、今度は自分で止まった。


 シルヴェスターも気付いたらしく、小さく視線を逸らす。


「ヒーロー本人も知ってる方がいい。」


「自分が魔王になったら、ヒロインが殺すと?」


「そう。」


「では最初から信用しないですね。」


「ヒロインも兵器として見てる。」


「必要な時だけ魔物を倒させる。」


「ヒーロー側も必要な時だけ封印を解かせる。利害関係だけ。」


「そう。それが少しずつ――」


 ヴェロニカが止まった。


「恋愛になる。」


 シルヴェスターのペンが止まった。


「…………。」


「また止まった。」


「止まってません。」


「完全に止まってる。」


「……それは後で考えましょう。」


「逃げたな。」


「まず世界観です。」


「まあいい。」


 まだ急ぐ必要はない。


 むしろ、この男に恋愛部分を考えさせること自体が、今後面白そうだ。


 ヴェロニカは内心で少しだけ笑った。


 そして敵側。


「魔族はヒーローを魔王にしたい。」


「全員?」


 即座にシルヴェスターが言った。


「魔族全員が同じ目的なんですか?」


「そうしようと思った。」


「単純すぎません?」


「お前、そういうところだけ急に厳しいな。」


「友達でも、そこは譲れません。」


 ヴェロニカは一瞬止まった。


 シルヴェスターも、言ってから少し照れたらしい。目を逸らす。


「便利な使い方覚えたな、友達。」


「本当に友達なので。」


「分かった分かった。」


 ヴェロニカは少し笑った。


 本当に初めてできた友達みたいに、喜んでいるのか、照れているのか、胸の置き所に困っているのか。先日まで三か月もこちらを避け続けていた、二十二歳の青年とは思えない。


 しかし、それは置いておいて、確かに指摘自体は正しい。


「じゃあ三派くらい。まず魔王として復活させたい奴。」


「はい。」


「人間側に育てられた魔王なんか危険だから、覚醒する前に殺したい奴。」


「それはありそうですね。」


「あと、利用したい奴。」


「どう利用します?」


「人間側から離反させる。」


 ヴェロニカは紙へ書きながら考える。


「お前を人間として扱った奴なんて誰もいない。王家は兵器として使った。そして教会は殺したい。それならこっちへ来い、って。」


「……説得力がありますね。むしろ本人が人間側へ残る理由を作る方が難しい。」


「そこでヒロイン。」


「……。」


「何。」


「かなり重要ですね。」


「恋愛ものだからな。」


 またペンが止まりかけたが、今度はどうにか動き続けた。


 企画書が徐々に埋まっていく。


 男性主人公は次代の魔王。

 女性主人公は遺跡調査官兼監視役。


 複数の古代遺物。魔族の三派。王家と教会。


 旅があり、戦闘があり、恋愛がある。


 市場調査で人気だったものが、本当にほとんど入った。


「ほら。」


 ヴェロニカは得意げに言った。


「結局全部入った。」


「結果的にです。」


「同じだろ。」


「違います。あなたは最初何も考えずに全部入れようとしたんです。」


「でも入った。」


「そこを勝ち誇らないでください。」


「原作者の勝利。」


「僕が設定を整理しなかったら破綻してました。」


「私は発想担当。お前が整える。」


「最初からその役割だったんですか。」


「今決まった。」


「また後付け。」


 言い合いながらも、二人とも楽しんでいた。


 ヴェロニカ自身、それが分かる。


 以前なら、仕事上の議論で相手と意見が衝突すれば、どちらが正しいか、どちらが効率的かを考えた。


 今は違う。


 正解がない。

 面白いと思う方を選ぶ。


 相手が違うと言う。こちらも反論する。その途中で三つ目の案が出て、それが最初の二つより良かったりする。


 そんなやり取りが、こんなに楽しいとは思わなかった。


「じゃあ。」


 シルヴェスターが新しい紙を取り出した。


「キャラクターデザインを決めましょう。まず男性主人公。」


「もう決まってる。」


「え?」


「お前。」


 シルヴェスターが停止した。


「…………。」


「何?」


「……嫌です。」


「何で?」


「嫌だからです。」


「理由になってない。」


「僕をモデルにする必要ないでしょう。」


「ある。」


「どこに。」


「一番近くにある資料だから。」


「資料……。」


 青年は少し傷ついたような顔をした。


「悪い意味じゃない。顔がいい。背も高い。魔法も強い。実際の戦闘まで見た。魔王になる青年の資料として完璧。」


「でも。」


「髪型や表情は変えればいい。お前そのままじゃない。」


「顔も変えましょう。」


「何で?」


「僕なので。」


「だから何だよ。」


 シルヴェスターは明らかに嫌そうだった。


 やはり自分がモデルになること自体が嫌なのだろう。


 しかし。


「お前の顔、格好いいんだから使えばいいだろ。」


 ヴェロニカは当たり前のように言った。


 シルヴェスターがまた止まった。


「また固まってるけど。」


「固まってません。」


「じゃあ描いて。」


「……はい。」


 結局、押し切った。


 銀髪。灰青の瞳。端正な顔立ち。

 ただしシルヴェスター本人より少し鋭い印象にする。目元は冷たく、戦場で育った人間らしく身体にも傷を増やす。左肩から胸元へ魔王紋。服は王国軍の黒い戦闘服を基調に。


「武器は?」


「黒い槍。」


「長剣じゃなく?」


「ありきたりじゃん。」


「槍も結構ありますけど。」


「じゃあ鎌?」


「鎌は実戦で使いづらいです。」


「また始まった。」


「槍にしましょう。」


「はいはい。」


 数分で、顔が形になっていく。

 描いている本人が本人を参考にしているので、妙に似ている。


 ただし表情が違う。


 冷たい。

 他人を拒絶するような目。


 ヴェロニカは覗き込みながら頷いた。


「いいじゃん。」


「似すぎてません?」


「大丈夫でしょ。こっちは二次元、お前は三次元。」


「……もう少し変えます。」


「別にいいだろ。」


「嫌です。」


「頑固だな。」


「友達でも――」


「そこは譲れないんだろ。分かったから。」


 先に言うと、シルヴェスターは少しだけ残念そうな顔をした。

 言いたかったらしい。


「じゃあ次はヒロイン。どうする。」


 シルヴェスターが少し考える。


「あなたでいいのでは。」


「は?」


 今度はヴェロニカが止まった。


「同じ理由です。一番近くにいる女性なので。」


「嫌だよ。」


「僕は使うのに?」


「私は美人じゃないし。」


 率直に言った。

 シルヴェスターが不思議そうに目を瞬いた。


「普通に綺麗だと思いますけど。」


 ヴェロニカの思考が一瞬止まった。


 何だ。

 今。


 普通に、綺麗と言われた。


 この男に。

 普段、女性が近付けば机の向こうへ逃げる男に。


 少しだけ顔が熱くなりそうになる。


 いや、待て。

 単なる資料としての評価だ。

 造形の話。


 そう。絵を描く人間が、被写体として悪くないと言っただけ。


「そ、そうか。まあ、なら。」


「それに。」


 シルヴェスターが真面目な顔で続けた。


「鞭も似合いそうです。」


 ヴェロニカのこめかみに、ぴくりと筋が浮いた。


「おい。」


「はい?」


「今、何つった。」


「鞭が似合いそうだと。」


「どういう意味だコラ。」


「え?」


「『綺麗だと思います』の直後に『鞭が似合います』って何だ。」


「実用性の話です。」


「私の何に実用性を感じたんだ!」


「違います。ヒロインとして。」


「なら言い方を考えろ!」


「褒めたんですけど。」


「後半で全部台無しだよ!」


 シルヴェスターは本当に分かっていない顔をしている。


 腹が立つ。

 非常に。


 しかし同時に、少し面白い。


「もういい。描け。」


「怒ってます?」


「描け。」


「……友達なので、怒っているなら。」


「その友達万能説やめろ。」


 シルヴェスターは黙ってペンを取った。


 ヴェロニカを何度か見る。


 以前なら視線を合わせること自体ほとんどできなかった男が、今は絵の資料だからという理由で、普通にこちらの顔を観察している。


 それでも目が合うとすぐ逸らす。


 また見る。

 逸らす。


 観察される側としては、若干落ち着かない。


「そんな見んなよ。」


「描けないでしょう。」


「写真じゃないんだから適当にしろ。」


「適当には描きません。」


「変なところ真面目だな。」


 描かれたヒロインは、確かにヴェロニカによく似ていた。


 ただし髪型は少し変えられているし、顔もそのままではない。それでも眉の形や、少し強めの目元、口元の表情には見覚えがある。


「美化しすぎじゃない?」


「してません。僕からはこう見えます。」


「…………。」


 また何か、返しづらいことを言う。


 ヴェロニカは話題を変えた。


「もっと知的な感じにして。研究者なんだから。」


「十分そう見えます。」


「あと上品に。」


「……。」


「何だその沈黙。」


「……いえ。」


「おい。」


「……服を上品にします。」


「顔は!?」


「服で補いましょう。」


「お前っ!」


 また揉める。


 だが結局、ヒロインも出来上がった。

 どこかヴェロニカに似ている。


 男性主人公はシルヴェスターに似ている。


 ただ、一番近くにあった資料を使っただけ。

 他意はない。


 それなのに、並べてみると妙に釣り合って見えた。


「……悪くないな。」


「はい。」


 シルヴェスターも二枚を見る。


 少しだけ満足そうだった。


「では、二人の関係を。」


「最初は最悪。」


「即答ですか。」


「ヒーローは監視役のヒロインを信用しない。ヒロインもヒーローを兵器として見てる。」


「旅をしながら少しずつ信頼が生まれると。」


「そう。」


「それで。」


 シルヴェスターのペンが止まる。


「……どちらが先に恋愛感情を?」


「これから決める。」


「……。」


「また固まった。」


「固まってません。」


「顔が固まってる。」


「いえ。ただ……その辺りは、もう少し調べた方が。」


「市場調査?」


「そ、そうですね、恋愛描写の。」


「お前、それ単に考えるの嫌なんじゃねえの。」


「……。」


「図星か。」


「経験がないものを描くなら、資料は必要でしょう。」


 正論ではある。

 ヴェロニカ自身にも恋愛経験はない。


「まあ、それはもう少し後で考えるか。」


「はい。」


 明らかに安心した。


 そこで、シルヴェスターがふと黙った。


 ヴェロニカは資料を整理しながら少し待ったが、いつまで経っても次の言葉が来ない。


「どうした。」


「……いえ。」


「言え。」


「本当に何でも。」


「その顔は何でもなくはないだろ。」


 シルヴェスターは少し迷った。

 それから、机の上へ視線を落とした。


「こういうの、初めてだなと思って。」


「何が。」


「誰かと。」


 言葉を選んでいる。


「わりとどうでもいいことで、本気で言い合うの。」


 ヴェロニカは手を止めた。

 シルヴェスターは紙を見たままだった。


「前世では、あまり……こういうことをした記憶がなくて。」


 詳しくは聞かない。

 まだ。


 ただ、やはり思っていた通りなのだろう。


 友人がほとんどいなかった。

 少なくとも、大人になってから、趣味のことで好き勝手言い合えるような相手はいなかった。


 だから、魔王紋をどちらの肩に置くか。槍か鎌か。竜の翼は何倍か。

 そんな、どうでもいいことで言い合えること自体が、彼にとっては新鮮なのだろう。


 少しだけ嬉しそうな声だった。


 ヴェロニカは一瞬、何と言えばいいか考えた。


 慰めるのも違う。

 可哀想だと言うのも違う。


 なので。


「どうでもよくはない。」


 シルヴェスターが顔を上げた。


「魔王紋の位置は重要だろ。」


「……そこですか。」


「そこだ。」


「左肩の方が構図として。」


「やっぱり右で。」


「さっき左って決めましたよね?」


「気が変わった。」


「何でです?」


「右の方が格好いい気がする。」


「左の方が武器を構えた時に見せやすいです。」


「右。」


「左。」


「友達だろ。そこは譲れ。」


 シルヴェスターは一瞬驚いた。

 そして、ほんの少し笑った。


「友達でも、そこは譲れません。」


「いや、譲れ。」


「いえ、左です。」


「右だ。」


「左。」


「右。」


 また始まる。


 けれど今度は、シルヴェスターの口元から笑みが消えることはなかった。


     ◇


 企画会議が終わる頃には、部屋の外は物音一つなく静まり返り、窓の外には夜半の空気が立ち込めていた。


 机の上には何枚もの紙が広がっている。


 第一作。

 まだ題名はない。


 男性主人公は、かつて魔王を倒した辺境伯家の血筋に生まれ、魔王の呪いによって次代の魔王となる宿命を負った青年。幼少期から王家に管理され、兵器として育てられた結果、冷酷な思考と圧倒的な戦闘能力を持つ。


 ヒロインは、古代遺跡を専門とする女性調査官。魔導鞭を使い、古代文字や封印術式の解析を得意とする。


 魔王化を食い止めるため、二人は各地に散らばる古代遺物を探して旅をする。ヒロインには、青年が完全に魔王化した場合には殺せという密命があり、青年の首にはその力を制御するための鉄首輪が付いている。


 敵は、魔王の復活を望む魔族だけではない。

 人間側についた魔王を危険視し、殺そうとする者。青年を人間社会から離反させ、利用しようとする者。王家。教会。それぞれの思惑。


 冒険。

 戦闘。

 そして恋愛。


「……いいじゃん。」


 ヴェロニカは完成した企画書を眺めた。


「普通に読みたい。」


「思ったより、ちゃんと物語になりましたね。」


「思ったよりって何だ。」


「途中で登場人物が十五人になった時はどうなるかと思いました。」


「十二人まで減らしただろ。」


「まだ多いです。」


「脇役込みなら普通だろ。」


「一作目ですよ。」


「友達なんだからそこは大目に見ろ。」


「友達でも、そこは譲れません。」


「気に入ったな、それ。」


「たしかに便利ですからね。」


 シルヴェスターは口の端を僅かに上げた。


 完全に覚えたな。

 ヴェロニカも笑った。


 シルヴェスターも、以前のように警戒することはない。

 ただ、こちらが少し椅子を寄せると、やはり僅かに身体が強張った。


 ヴェロニカはそこで止めた。

 物理的な距離は、まだ遠い。


 けれど昨日までよりは、ほんの少し近い。


 何より、同じ紙の上には二人で考えた物語がある。


「じゃあ次。キャラクターの細かい表情と衣装。」


「それから、第一話の構成ですね。」


「お前、描く気満々じゃん。」


「……友達と作るものですから。」


「またそれか。」


「駄目ですか?」


 シルヴェスターが少しだけ不安そうにこちらを見る。


 ヴェロニカは笑った。


「いや、普通に最高だろ。」


 そして企画書を指で叩く。


「その代わり、作画で手を抜いたら友達でも許さない。」


「もちろん。ただし、原作が破綻していたら、友達でも容赦しません。」


「上等だ。」


 二人は再び、それぞれのペンを取った。


 距離はまだ二メートルほどある。


 しかし会話だけなら、もう随分近かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。