第八話 市場調査という名の外出。
翌朝、玄関広間へ降りてきたシルヴェスターを見た瞬間、ヴェロニカは昨日まで頭の中に溜め込んでいた漫画の設定を一つ増やした。
外出用なのだろう。普段の執務服より幾分仕立ての良い濃紺の上着に、黒に近い灰色の外套。華美な刺繍や宝石類はほとんどなく、胸元を留める銀色の金具だけが控えめに光っている。
頸へ毛先が触れる程度の銀髪もいつもより整えられており、薄い灰青色の瞳と、均整の取れた長身まで合わせれば、黙って立っているだけで物語の主人公を張れる程度には格好良かった。
いや、主人公より少し敵役寄りでもいい。
生まれながらに魔王となる器を持ちながら、その運命に抗い、次々と送り込まれてくる刺客を倒しながら世界を旅する青年。
武器は何がいいだろう。長剣では少しありきたりだ。日本刀はこちらの世界にはないので、逆に異国から流れ着いた片刃の剣という設定にしてもいい。
いや、見た目を取るなら巨大な鎌も捨て難い。黒い刃に魔力を吸収する術式が刻まれていて、使うほど本人の身体へ侵食が――。
そこまで考えたところで、ヴェロニカはようやくシルヴェスターの顔をきちんと見た。
ひどい顔をしていた。
造形そのものは相変わらず完璧に近いのだが、表情だけなら今から親しい人間の葬儀へ参列するのかと思うほど暗い。
血色も普段より悪く、玄関の先に広がる晴天を見ながら、何か重大な決断を迫られているような顔をしている。
「……おい。ただ街の本屋に行くだけだぞ。」
「分かっています。」
「顔が分かってない。」
シルヴェスターは僅かに口元を引き結んだ。
「討伐や領内視察以外で街へ出ること自体、ほとんどありませんので。」
「そうなのか?」
「必要なものは屋敷へ届けてもらえますし、領政上の用件も相手に来ていただくか、騎士や家令へ任せれば済みますから。」
なるほど。
金と権力を持った引きこもりは強い。
前世なら通販と宅配で済ませていたところを、今世では商人の方から屋敷へ来る。ある意味、環境が本人の引きこもり適性へ最適化されてしまっている。
「でも本屋くらい、子供の頃に行ったことあるだろ。」
何気なく言った。
シルヴェスターの顔が強張った。
「……本屋は。」
「ん?」
「前世で、少し嫌な思い出が。」
そこまで言ったところで、彼は口元を手で覆った。
明らかに様子が変わった。
視線が床へ落ち、浅く息を吸う。
単に恥ずかしい昔話を思い出したような反応ではない。ほんの一瞬だったが、気分でも悪くなったように見えた。
ヴェロニカは口を閉じた。
気になる。
非常に。
何があったのか、どうして本屋というだけでそこまで顔色を変えるのか、いつもの自分なら十個ほど仮説を作り始めていたかもしれない。
しかし。
これは、今聞いていい顔ではない。
「……分かった。」
それだけ言って、あえて話を切った。
シルヴェスターも少し驚いたようにこちらを見たが、ヴェロニカはすぐ別の話へ移った。
「だが考えろ。本屋だぞ。」
「……はい。」
「漫画はないだろう。しかし、冒険記はあるかもしれない。魔獣図鑑。戦闘教本。古代遺跡の調査記録。武器の図案集。国外の建築資料。騎士団の戦術書。」
「……戦闘教本。」
僅かに顔が上がった。
「そうだ。もしかしたら人体や魔獣の骨格図もある。鎧の内部構造を載せてる本も。」
「武器目録もありそうですね。」
ヴェロニカはにやりとした。
「オタクの聖地と言えば本屋だ。漫画がなくても資料庫だと思えばいい。」
「資料庫。」
「行くぞ、野郎ども!」
勢いよく拳を上げた。
シルヴェスターは一瞬周囲を見た。
玄関には家令と従者、それに護衛を務める騎士が二名いる。
少し迷ったあと、結局小さく拳を持ち上げた。
「……お、おー。」
「弱いな。」
「これ以上は無理です。」
「まあいい。さっきより生きてる。」
多少は士気が戻ったらしい。
心許ないことに変わりはないが、少なくとも今から処刑台へ向かうような顔ではなくなった。
◇
クローデル辺境伯領の領都は、ヴェロニカが予想していた以上に栄えていた。
屋敷へ嫁いできた際にも馬車の窓から見てはいたが、実際に歩くと印象が違う。中央を走る大通りは馬車二台が余裕を持ってすれ違えるほど幅広く、両側には石造りや煉瓦造りの建物が隙間なく並んでいる。商店の軒先には色鮮やかな布が張られ、パンや香辛料の匂いが入り混じり、通りの向こうでは鍛冶場から金属を叩く高い音が響いていた。
王都ほど巨大ではない。
だが、活気がある。
辺境という言葉からヴェロニカが何となく想像していた、城壁と荒野ばかりの土地とはまったく違った。
「本当に栄えてるな。」
「隣国との交易路に近いので、昔から商業都市としては発展しています。」
隣を歩くシルヴェスターが答える。
人通りの多い街路に足を踏み入れて、少なくとも最初の数分は普通だった。
その後。
「あの……見られています。」
「そりゃ見るだろ。」
シルヴェスターの歩みが明らかに固くなる。
「やっぱり変なんでしょうか。」
「いつも見ない領主が歩いてるところが珍しいんじゃないの。」
「そうではなくて。」
シルヴェスターは声を落とした。
「外見だけは今世の身体なので多少整っていますけど、中身との落差が大きすぎて、むしろ内面の気持ち悪さが外見を通して強調されるというか。」
「…………。」
「一見まともそうに見える分、少し話しただけで中身がこれだと分かった時の嫌悪感が余計強くなる可能性が――」
「待て。」
ヴェロニカは片手を上げた。
「何の論理だ、それ。」
「論理というか。」
「竜の翼の面積にはあれだけ厳密なくせに、何で自分の話になると急に根拠のない理論を振り回すんだよ。」
「根拠はあります。」
「どこに。」
「前世の経験とか。」
それを言われると、また少し引っ掛かった。
しかし追及はしない。
代わりにヴェロニカは周囲を見た。
確かに視線は多い。
道行く人間がちらちらこちらを見る。若い女性が数人で何か話しながら振り返る姿もあったし、店先の主人らしき男が驚いた顔で頭を下げることもあった。
だが、どう見ても「気持ち悪いものを見ている」顔ではない。
珍しいのだ。
普段ほとんど領都へ姿を見せない若い当主が歩いている。それだけでも見るだろう。
まして黙っていれば目立つ容姿である。
「多分みんな、眼福だと思って見てるよ。」
「そんなわけありません。」
「あるって。」
「いや。この顔でこういう中身だから、むしろ。」
「また始まった。」
ヴェロニカは溜息をついた。
説得してどうにかなる気はしない。
ならば仕方ない。
「ちょっと待ってろ。」
少し後ろから付いてきていた従者を呼び、予備の外套がないか尋ねた。
幸い馬車には急な天候変化に備えて何枚か積んでいたらしい。従者が二枚持ってくる。
ヴェロニカは一枚を受け取り、その場で羽織った。
フードを深めに被る。
ほらともう一枚をシルヴェスターへ差し出す。
「……これは?」
「被って。顔が見えなきゃ視線も減る。視界も少し狭まるから、周りの顔も見えにくい。」
シルヴェスターが外套を見る。
「あなたも?」
「一人だけ被ってたら余計目立つでしょ。二人で被れば、ただの怪しい夫婦だ。」
「……確かに。でも、怪しいことは避けられないんですね。」
「細かいことはいいんだよ。」
シルヴェスターは少し迷った後、ヴェロニカと同じように外套を羽織った。
銀髪がフードの奥へ隠れる。
「どう?」
「……少し楽です。」
「ならよし。」
さらに従者と護衛騎士へ、少し距離を開けて付いてくるよう頼んだ。危険があればすぐ対応できる程度には近く、それでいて辺境伯一行だと目立たない程度には離れてもらう。
改めて歩き始める。
予想通り、視線はかなり減った。
別に顔を完全に隠せているわけではないが、少なくとも通りすがりの人間がシルヴェスターだと一目で気付くことはなくなったらしい。
「いきなり全部平気になる必要ないだろ。」
ヴェロニカは前を向いたまま言った。
「今日は本屋まで行って帰れれば十分。」
「……はい。」
「慣れたら次。」
「次もあるんですか。」
「取材とかあるだろ。」
「もう予定に入ってるんですね。」
「漫画描くんだから当然。」
そう答えながら、ヴェロニカは道沿いの露店へ目を向けた。
王都であまり見た覚えのない模様の織物が並んでいる。隣では、細かな金属細工を施した装飾品。少し先には見慣れない形の香炉や陶器。
「これ、隣国の物?」
「はい。最近輸入が増えています。」
「結構種類あるな。」
「昨年、一部品目について相互関税を撤廃しましたので。それ以降、物流量はおよそ二倍になりました。」
ヴェロニカは振り向いた。
「そんなことやってたのか。」
「領主なので。」
「知ってるけど、急に領主っぽいこと言うと違和感あるな。」
「僕を何だと思ってるんですか。」
「ヒキオタ。」
「領主です。」
「ヒキオタ領主。」
「一つにまとめないでください。」
それでも、話題が交易へ移ってからはシルヴェスターの声が少し安定した。
自分の領地のことなら説明できる。
さらにヴェロニカが、
「世界の出版文化ってどうなってるんだろうな。」
と聞くと、彼の目がこちらへ向いた。
「こっちより製紙や印刷が進んでる地域があるかもしれないだろ。もし技術者がいるなら、将来的に勧誘してもいい。」
「その観点で調べたことはありませんでした。」
「画材も地域差ありそうだしな。インクや、製本技術、あと流行りの絵柄なんかも。」
「宗教画以外の需要が強い地域があるかもしれません。」
「一回調べてみるか。」
「いいですね。」
いつの間にか、声が普通になっていた。
ヴェロニカは横目で見る。
怖くなくなったわけではないのだろう。
さっきまであれほど周囲の視線を気にしていた。
ただ、別のことへ意識が向くと、それを考えている余裕が少なくなるらしい。
なるほど。
この辺りは今後使えそうだ。
何に使うのかは、まだ未知数だが。
◇
目的の書店は、領都中央の大通りから一本入った場所にあった。
三階建ての立派な建物で、正面には大きなガラス窓があり、中には本が何冊も並べられている。
「結構大きいな。」
「領内では一番です。」
「でも、入ったことないんだろ?なんで場所知ってんの?」
「領内の主要商店くらい把握しています。」
「そういや領主か。」
「……だから、ずっとそうです。」
店内へ入る。
紙と革、それに僅かにインクの匂いがした。
ヴェロニカは一歩入ったところで、思わず足を止めた。
広い。
壁一面が本棚になっている。
入口近くには比較的手頃な小冊子や子供向けの読み物。奥には分厚い専門書が並び、別の棚には地図や図録まで置かれている。
予想より、ずっと多い。
「……すごい。」
小さく声が漏れた。
この世界へ生まれて二十五年。
本を見たことがないわけではない。
王宮には膨大な記録文書があったし、ハルフォード家にも古い書物はそれなりに残っていた。
ただ。
店で本を選ぶ。
欲しい本を探す。
そういうことをほとんどしてこなかった。
金がなかった。
時間もなかった。
本は必要なものを読むだけだった。
「戦術関係はあちらですね。」
後ろからシルヴェスターの声がした。
いつの間にか、かなり近い。
振り向く。
自分の後ろにいた。
もしかして隠れているつもりなのだろうか。
身長差も体格差もあるので、どう考えても隠れられてはいない。
視線をさっと巡らせると、近くの棚には若い女性客が二人立っていた。さらにその横の棚で本の入れ替え作業をしている店員も女性だった。
なるほど。
外敵が増えた結果、自分が安全地帯へ昇格したらしい。
「お前、私の後ろに隠れてる?」
「……気持ちの問題です。」
「全然隠れてないけど。」
「分かっています。」
「ならいい。」
放っておこう。折角の本屋だ。
ヴェロニカは早速意気揚々と戦術書の棚へ向かった。
そこからは早かった。
「見て、これ。」
「攻城兵器の図解ですね。」
「内部構造まで載ってる。」
「古い型ですね。今はここの巻き上げ機構が少し違います。」
「え、お前分かるの?」
「領軍で使いますから。」
「描ける?」
「資料があれば。」
「じゃあ買う。」
一冊目。
「こっちは?」
「魔獣の解体図ですね。」
「骨格まである!」
「筋肉までは簡略化されています。」
「でも使える。買う。」
二冊目。
「武器目録。」
「北方諸国式ですね。」
「この槍格好いい。」
「柄が特殊ですね。」
「買う。」
三冊目。
それから。
古代遺跡、建築、民族衣装、隣国の祭礼。
古い英雄譚、旅人の手記、薬草図鑑、印刷製紙の歴史、世界の主要産業纏め。
甲冑史、馬具、城郭。
ヴェロニカの腕の中で、本が増えていく。
途中からシルヴェスターも持ち始めた。
「これ、面白いですよ。」
「何?」
「南方の魔獣記録。挿絵が結構あります。」
「見せて。」
二人で覗く。
シルヴェスターがすぐに指を差した。
「この絵、脚の関節が間違っています。」
「本物見たことある?」
「似た種類なら。」
「じゃあ逆に参考にならないじゃん。」
「構図は使えます。」
「なら買おう。」
次々積まれる。
市場調査という当初の目的は、かなり早い段階で怪しくなっていた。
それでも一応、店内の品揃えは確認した。
子供向けの冒険物語や昔話はやはり多い。
大人向けになると、歴史書や哲学、宗教、専門書が中心。
ただし、物語がまったくないわけではなかった。
古い英雄の恋物語をまとめた詩集。
舞台用の戯曲。
身分違いの男女を扱った悲恋。
戦地へ向かった騎士と婚約者の往復書簡を題材にした読み物。
数は少ないが、恋愛を扱ったものは意外とある。
「これ、結構売れてるのかな。」
ヴェロニカは一冊を手に取りながら、近くにいた店員に尋ねた。
「物語ものでは、どんなものが人気ですか?」
「そうですね。若い方ですと、やはり恋愛を扱ったものはよく出ます。こちらの戯曲などは女性のお客様に人気ですし、騎士物語は男女問わずお求めになる方が多いですよ。」
「冒険ものは?」
「子供向けはよく売れます。大人の方ですと、実際の旅行記や英雄の伝記を選ばれることが多いですね。」
手元の紙へメモしながら隣を見ると、いつの間にかシルヴェスターがいない。
いや、違った。
一棚分離れたところへ移動していた。
恋愛棚を避けているらしい。なんとも分かりやすい。
ヴェロニカは何も言わず、しっかり調査票へ書きつけた。
『恋愛需要、強め。』
これで屋敷の聞き取り結果とも一致する。
さらに店主にも売れ筋や価格帯を聞き、当初の目的は一応達成した。
その頃には、ヴェロニカの周囲には小さな本の山ができていた。
ふと、手が止まる。
「……。」
これは、全部買っていいのだろうか。
これまでは、必要な本を買うことはあった。
弟の教本。
仕事上必要な資料。
家の帳簿に関するもの。
しかし、自分がただ読みたいから買うという発想は、もう長いことなかった。
クローデル家へ嫁いでからも、衣食住はすべて用意されている。欲しいものがあれば言ってほしいとは何度か言われたが、特に必要なものが思いつかなかった。
なので、特に頼んでもいない。
自分のための娯楽品へ金を使うという感覚自体、ほとんど忘れていた。
「シルヴェスター。」
「はい。」
すぐ近くまで戻ってきていた青年を、少し戸惑いながら見遣る。
「これ。……買っていい?」
シルヴェスターは一瞬、質問の意味が分からなかったような顔をした。
「どうぞ。」
「こっちも?」
「はい。」
「これも?」
「必要なら。」
「あと、この隣国の図案集。」
「どうぞ。」
「この魔獣図鑑、上下巻。」
「はい。」
ヴェロニカは少し口を閉ざしたまま本の山を見て、それからまたシルヴェスターを見詰めた。
「……全部?」
「もちろん。」
「マジで?」
「何がですか?」
心底不思議そうな顔でシルヴェスターが聞き返す。
「必要であれば、書店ごとでも構いませんけど。」
「…………。」
「ただ、屋敷の書斎と重複している書籍もかなりあると思います。効率を考えるなら、一度蔵書目録を確認してから――」
「大人買い。」
「え?」
ヴェロニカはゆっくり周囲を見た。
本。
本。
本。
欲しいと思ったものを、買える。なんでも、好きなだけ。
「我々、できるのか。」
「……できますね。」
シルヴェスターが真面目に答えた。
ヴェロニカは思わず感極まり、しばらく黙った。
――貴族で良かった。
人生で初めて、心の底からそう思った。
いや。
正確には、貴族だからではない。
「金ってすごいな。」
「急に俗っぽいですね。」
「二十五年生きてきて、今一番実感した。」
「僕は領地経営の時に毎日実感しています。」
「それは別の金だろ。」
ヴェロニカは迷っていた本を堂々と本の山へ追加した。
その後も更に数冊増えた。
さらにシルヴェスターまで、
「これも資料になります。」
と言い始めた。
結果として、帰路は徒歩を諦めることになった。
◇
本を積んだ馬車の中で、ヴェロニカは満足していた。
座席の脇には購入した書籍が何冊か置かれ、大半は別の荷馬車へ積まれている。市場調査としても、思った以上の収穫があった。
恋愛、冒険、英雄。
それらへの需要が強い。
印刷や紙の価格という問題はあるが、少なくとも物語そのものを求める人間はいる。
何より、資料が増えた。
これで戦闘シーンも武器も建物も、もっと色々考えられる。
向かいではシルヴェスターが、妙に落ち着かない顔をしていた。
「気分悪い?」
「……いえ。」
「じゃあどうした。」
シルヴェスターは目線を彷徨わせ、暫く沈黙した。
「今、二人で馬車に乗っています。」
「そうだな。」
「二人だけで。」
「護衛は外だな。だから?」
シルヴェスターは馬車の中にそっと視線を巡らせた。
それから、ヴェロニカを見る。
そしてすぐ目を逸らす。
「近いです。」
ヴェロニカは二人の距離を確認した。
互いに向かい合った座席の、一番端と端。
「……これで?」
「屋敷よりは。」
「さっき本屋で私の真後ろにいたじゃん。」
「店には他の人がいたので。」
「何その理屈。」
「僕も分かりません。」
本人にも分からないらしい。
シルヴェスターは自分の手元へ視線を落とし、少し考えた後、またこちらを見る。
「あなたは、もしかして男性……。」
「そんなわけあるか。」
即答した。
「口調と性格はこれだけど、前世も今世も女だよ。」
「……そうですよね。」
「何なら証明するか?」
「結構です!」
反応がやけに速い。
ヴェロニカは笑いそうになりながら腕を組んだ。
確かに奇妙ではある。
彼は女性が怖い。
自分も女性。
最初は数歩近付いただけで氷壁まで張られた。
今も突然距離を詰めれば逃げる。
それでも、屋敷の外では自分の後ろへ寄ってきた。
本屋でもほぼ隣を歩いた。
今も馬車から逃げ出すほどではない。
ヴェロニカは少し考えながら言った。
「多分……お前の中で、私が『女』より先に別の枠へ入ったんじゃないか。」
「別の枠。」
「そう。」
指を折る。
「同僚。」
「はい。」
「制作仲間。」
「……はい。」
「同じ日本から来た同志。」
「はい。」
そこで止まった。
もう一つ。
しっくり来る言葉がある。
「あと。」
ヴェロニカは何となく笑った。
「友達。」
シルヴェスターが止まった。
「……友達。」
「そう。趣味が同じで、話も合って、一緒に漫画作ろうとしてる。普通に友達だろ。」
返事がない。
ヴェロニカは少し不思議に思って青年の顔を見る。
シルヴェスターは俯いていた。
フードはもう外している。
窓から差し込む夕方の光に銀髪が淡く照らされている。その下で、耳から目尻の辺りまで、ほんの少し赤くなっていた。
「…………。」
まずい。
何か妙な雰囲気になりかけている。
こういう時に余計なことを言うと、この男は今走っている馬車からでも逃げようとする可能性がある。
ヴェロニカは即座に横へ置いていた本を一冊取った。
「ところでこれ。」
ページを開き、向かいの座席へ差し出す。
「この攻城用魔導投石機。描ける?」
シルヴェスターの目が本へ移った。
「……内部構造は?」
「前のページに載ってる。」
「ちょっと見せてください。」
復活した。早い。
ヴェロニカは本を中央へ出す。
シルヴェスターも少しだけ身を乗り出した。
「ここの術式、今の形式と違いますね。」
「古いの?」
「かなり。現在は魔石をここではなく基部へ置きます。その方が破損時の誘爆を防げるので。」
「誘爆するのか。いいな。漫画的に。」
「実戦では最悪ですよ。」
「主人公が追い詰められた時に敵の投石機をわざと誘爆させるとか。」
「それなら、魔石の位置が分からないと。」
「お前知ってるじゃん。」
「知っていますけど。」
「描けるな。」
「……描けますね。」
「よし。」
そこから先は早かった。
投石機、攻城戦、どこから主人公を侵入させるか、城壁の高さ、魔法防御、破壊された門、武器、炎。
設定が次々増える。
さっきまで「友達」という一言だけで顔を赤くしていた男は、もう本へ夢中になっていた。
ヴェロニカも同じだった。
馬車の揺れなど気にならない。
買った本を一冊開けば次の案が出る。
また別の本を開けば、その案が変わる。
市場調査から始まった初めての二人での外出は、帰路につく頃にはすっかり次回作の資料読み合わせ会へ変わっていた。
そしてヴェロニカはまだ気づいていなかった。
この日、自分が一番楽しんだものが、豊かな領都でも、大量に買った本でもなかったことに。
欲しい本を見つけるたび隣の男へ見せ、そこから思いついたことを話し、また違う意見が返ってくる。
その往復そのものが、何より楽しかった。
今はまだ、それで十分だった。




