第九話
オリヴィエは、私にとって大事な人物だ。
家宰のガスパールと騎士のオリヴィエ、そして侍女のブランシュ。
この三人は、私が公爵領で生まれた時から私を見守ってくれていて、私が六歳の頃、王都へ行く私を笑顔で送り出してくれた。
そして十年が過ぎ、悪役令嬢の汚名を着せられ泣きながら帰った私を、何も言わずに迎え入れ、優しく前を向かせてくれた。
それはもう、何者にも代え難い、とても、とても大事なひとたちだ。
その大事な人を、別の土地で、埋める。
誰にも相談せずに、自分ひとりで判断し、決めた。
今の気持ちを、どのように表現したらいいのか分からない。
悲しい。悔しい。苦しい。どれも当てはまるけれど、どれも全てを言い表せていない気がした。
「後悔をしていらっしゃいますか?」
扉をノックして、デルフィーヌが部屋に入ってきた。
いつの間にか鎧を脱ぎ、村娘スタイルに変わっている。すらっとしてかわいいと思った。うらやましい。私には、かわいい服は似合わない。
彼女は、私の傍らに立ち、問いかける。私は彼女を見返したけれど、返答することはできなかった。
「……よく、分からないの」
視線が下がってしまう。木目がやけにはっきり見えた。
オリヴィエが倒れてすぐ、ティエリの家は誰も立ち入りが許されなくなった。
この村に医者はいないが、ティエリや古老が口を揃えて流行り病だと言った。
私はデルフィーヌの家に移され、他の護衛は村の隅でひとかたまりにされた。
確かに、自分の決断に迷いがないかと問われたら、胸を張れないのは事実。
でも、それがなぜだか分からない。私は、配られたカードをよく見て、よく考えて、この役で勝負すると決めた。
それなのに、自分で選び、作った役に自信が持てない。勝てる気がしないのだ。
「ねぇ、デルフィーヌ」
「はい」
顔を上げた私の視線を受け止めるのは、淀みのないヘーゼルの瞳。とてもきれいだ。
本人は枯れ草の色だと笑っていたが、とんでもない。秋の山だ。ひとは、木の実やキノコがなければ冬は越せない。
私も、その恩恵に預からせて欲しい。すがる思いで彼女の手を取った。
「……分からないの。しっかり考えて、結論を出したはずなのに、自信が持てない」
「なるほど」
しっかりと聞き、眉を寄せ、頷いてくれる。握った手から伝わる温もりは、心を穏やかにしてくれる。
「ねぇ、デルフィーヌ。私が未熟だから、自信が持てないの?」
足りないことは重々承知している。私が完璧ではないから揺らいでしまうのだろうか。
「なるほど」
もう一度頷いてデルフィーヌはその場にしゃがみ込んだ。
近いな。美人さんの部類に充分入る。そう言えばあの男も美男であった。兄妹だもんね。当たり前よね。
「そうですね……」
少しだけ視線を宙にさまよわせ、彼女は私を見据えた。ごくり。
「オリヴィエ様は、本当に伝染病なのでしょうか」
「えっ?」
デルフィーヌはにこにこと笑っている。いまさらそこを言うの?
高い熱が出ているのだから、病気には違わないけれど、伝染病と言ったのはあなたの兄でしょ?
言い返そうとする前に、今度は別の話が出てくる。
「許されるなら、彼を連れて帰りたい。貴女はそれが許される身分です」
「それは……」
そうよ。私は次期公爵だから。自分の意を通すくらい簡単だ。
でも、それはわがままだ。それを通せば私は皆の信頼を裏切ることになる。
公平に見れば、オリヴィエはそこまでされるほどの功績を立てているわけでない。ただの要人護衛だ。
第三者から見れば、お気に入りを厚遇するのかと、そう思われてしまうだろう。
でも、心情として。
「もしかすると、ただの風邪かも知れない。医者でもないティエリに従うのに、なぜ従わねばならないのか」
また話が変わった。そうだ。今、考えると高熱が出ているだけだった。彼はそれを、丁寧に診察もしないまま、伝染病だと断じ、私たちを動かした。
「ただの平民が、次期公爵に、命令をした」
あ……。
「そう、か」
「ご明察」
デルフィーヌは私の手に、空いている方の手を重ねた。
視線を戻すと、そこにはすごく嬉しそうな顔があった。よくできましたと、顔全体に書いていた。
懐かしい。学園時代、先輩が褒めてくれた時の笑顔を思い出す。
「セリーヌ様は、信じていないものを判断の根拠になさったと気づいたから、揺れているのです」
ゆるゆるの土台に家を建てたら家はぐらぐらする。当然だ。
そうだ。ティエリが医術の心得があるかどうかも知らないのに、私はあの時、雰囲気で信じてしまった。
裏付けのないものを、彼は知識と見識があるからと信じて、大切な事を決めてしまった。それに後から気づいたから、動揺してしまったのだ。
情けないと視線が下がり、また、木の床が目に入ってきた。
「セリーヌ様」
そこを押し留めたのが、デルフィーヌ。
「申し訳ございません。あれは、兄が一枚上手なのです」
「えっ?」
ぽかんとする私に、デルフィーヌはゆっくりと種明かしを始めた。
「まず、前提として、オリヴィエ様が伝染病にかかっているのは残念ながら、正しいことです」
少しだけ見える胸元に、赤い斑点が見えたらしい。それは、ある特定の伝染病の特徴だと言う。
しかし、それを言って私たちに信じてもらえるかどうか、分からなかった。
次期公爵ともなれば、裏取りをしようとするはず。
そしてその間、伝染病の広がりを防ぐ対策を、私たちが受け入れるだろうか。
「そうね。受け入れなかったでしょうね」
対策と称して足止めし、その間にセルバニア兵を呼ぶ可能性を考えてしまう。
「だから、ティエリは策を考えたの?」
私の思考を誘導するために?
デルフィーヌはくすりと笑って首を振る。あんなもの、と。
「策、などではありません。申し上げました通り、兄はただの詐欺師ですから」
「ぷっ」
そうだ。ティエリの家で野菜スープをくれた時に、そんなことを言っていた。
そう。ティエリは私に、自分で決断するかと質問し、退路を断たせた。
仮定の話はどこまでいっても仮定であり、具体的になどならないし、一番いい答えを返す可能性が高い。
しかし、その流れに私を乗せたことで彼の策は成ったのだ。
「倒れるとは思っていませんでしたが」
私は、彼を背を向けていたから分からなかったけれど、ティエリやデルフィーヌにはオリヴィエが高熱を出しているのは伺い知れたと言う。
後で実際に彼に触れてもらい、熱があることを理解した上で再度、じゃあどうするかと尋ねるつもりだったらしい。
どちらにせよ、私の答えは変わらなかったはずだ。
「はぁーずるいわね。あの男」
「詐欺師ですから」
「ぷっ」
「ふふ」
なんだか、デルフィーヌとは仲良くなれそうな気がした。
「……でも、そうか。ただの風邪で、胸元に赤い斑点なんてできないわよね」
「はい。残念ながら」
「そう、か……」
私は天井を見上げた。木目が目に入ってくる。今度はにじんでいない。
みんな、怒るかな。ごめんね……。
◇ ◇ ◇
オリヴィエを休ませたティエリの家が彼以外のひとを立ち入り禁止にしたのには理由があった。
話には聞かされており、承知で会いに行ったけど、ほんの少しだけ後悔した。
「会わない方が絶対にいいぜ」
ティエリは私を止めてくれた。あれはひねくれた言葉ではなくて、優しさだった。私は、軽く考えていた。
粗末な服と、目だけを出して顔全体を覆う頭巾をかぶり、ティエリの後に着いて家に入ると、すごい匂いが充満していた。
目も痛い。開けているのが難しく、それでも我慢して進んだ部屋は、さらにひどいものだった。
なるほど。ここから漏れ出ていたのか。
「もう歩く力もねぇからな」
「オ、オリヴィエ……」
泣きそうになりながら、力なく横たわるオリヴィエに近づくと、ティエリに止められた。ならせめてもと声をかける。
すると、白粉を塗ったような顔をしたオリヴィエは、かろうじて私の声に反応した。
ものすごい気力なのだろう。改めて彼を素晴らしい騎士だと思った。
オリヴィエは力を振り絞り、私に向かって震える手を伸ばそうとする。
だけど、腕は上がらず、諦めた彼は唇を動かした。
「ご、ご領地まで、お供できぬ、不忠を……お、お、おゆ、お許し、く……」
この、かすれた声に私は、どう答えればいいのだろう。
言いたい言葉はたくさんある。
でも、全てを伝える時間はなさそうだ。
どうする?
迷っていると、隣からこつんと言葉が落ちてきた。それは案外、優しい声だった。
「気取るな。お前が見せたい姿を、見せてやれ」
視界がにじみだした。
そうか。隠しごとなんて、できない相手だった。
「今までありがとう。あなたのこと、死ぬまで忘れないわ」




