第十話
ふらふらと家を出て、当てもなく村の中をさまよう。
自分の足音と、虫の声。たまに風が吹いて、木々が揺れる。
家畜小屋の動物は、夜中にうろつく不審者の動きをじっと観察しているだろう。
こちらからは見えないけれど、動物たちからは見えているはず。どんな顔をしているだろうか。きっとひどい顔よね。
その顔を消すように苦笑いを浮かべ、前を通り過ぎた。
そこから歩いて五分も経たないうちに、木の柵に行き当たった。
珍しいことに、この村には周囲をぐるりと囲む柵がある。教会も市場もない、人口も百人ほどの村に柵を作るのは、森からの獣対策か。
ぶるりと身が震えた。
私たちは、そんな危険な場所を何日もさまよっていた。
オリヴィエたちは追手以外にも警戒して、精神をすり減らしていたのだ。
そして、病につけ入る隙間を与えてしまったのだろう。
私が、この森を通ろうって言ったから、彼らに余計なストレスを与えてしまった。
もし、この森を抜けようとしなければ、オリヴィエは死なずに済んだのだろうか。
彼だけではない。年若い護衛の騎士もひとり、オリヴィエと同じ病気を発症して、オリヴィエの後を追った。
熱にうなされ、お腹の症状に苦しめられ、衰弱して死んだ。
「私が殺したのかな……」
柵を背に、ぺたりと座り込む。
こっちのルートの方が生還率は高いはずだった。
なのにまさか、病気にかかってしまうなんて。
衛生面は考えていなかった。
「オリヴィエ……」
寡黙で、気高い騎士だった。
お父様が私の護衛にと選ぶくらい、領地では優れた剣の腕を持っていた。
だけど、どちらかと言うとお父様が期待したのは、その振る舞いや考え方だったように思う。彼は下級貴族の生まれで、知識と教養があったし、経験から来る見識があった。
ずいぶんと助けてもらった。これからもそれは変わらないと信じていた。
兄弟のいない私は、彼を勝手に年の離れた兄のように思い、慕っていた。
もうひとりの騎士だってそうだ。真面目で、他の騎士ともよく話し、連携が取れていた。ひとりで剣の練習をしていたのを見たことがある。
どちらも、あんな死に方をさせられるような人物ではない。
死神と話ができるなら、文句のひとつでも言ってやりたかった。
でも、果たして死神とは誰なのか。
もしかしてそれは、このルートを提案した私ではないだろうか。
「やっぱり、まっすぐ街道を逃げた方が良かったのかな……」
「んなわけねぇだろ」
「ひっ」
思わず身を縮めると、少し大きな足音とともに、ティエリが姿を表した。
「ひっ、だとよ」
「うるさいわね……」
熱い頬を冷やそうと手を当てていると、ティエリがひっひっひ、と笑いながら近づいてきた。
清々しいまでに憎々しいとはこのことだ。デルフィーヌとは大違い。しかも、図々しくも私の右隣に腰を下ろしたのだからびっくりしてしまう。
この場だから良いものの、公爵領だったらどうなるか分かっているのだろうか。
……いや、分かってやっているのだろう。
なにせ彼は深い知識と高い見識を持っているのだ。私が怒る気力を失っていること、そもそも怒る気もないことを見透かしているのだ。
「で、あえて無礼を演じる貴方は、何をしに来たのかしら?」
見ると、彼は前を向いたまま、ほんの少しだけ眉を動かした。
「……この森を抜けるのは、正しい選択だった」
ポツリ。転がり出てきたのは、彼にしては珍しく、色んな感情が込められた言葉だった。
いつもは呆れるか、馬鹿にするかなのに。悪いものでも食べたのかしら。
「でも」
でも。言わずにはいられなかった。私には、あのふたりに対して責任がある。私が選択を間違ったせいで、その責任を果たせなかったのは事実だ。
「私がふたりを死なせたのよ?」
絞り出すように言うと、ティエリは怪訝そうに眉をひそめた。
そしてひと呼吸分の時間ののち、大きく息を吸う。あ、これ最近見たやつだ。
「だからお前はアホなんだよ」
「何ですって?」
さすがに怒る気力が湧いてきた。本当に、無礼者。もし近くに護衛がいて、剣を抜いたとしても私は止めない。
でも、残念なことに私は大人で、貴族だった。
貴族たるもの、相手の話は最後まで聞きましょうと教育を受けている。怒りに身を任せて相手との話し合いを打ち切るのは、三流のやることだ。
それに、わざと相手を怒らせる弁論術かも知れない。
できる貴族は、いつだって冷静に、最後まで話を聞く。ええ。いくら腹が立っても、だ。
「……あのな。全てを統制下におけるなら、それはもう人じゃねぇよ」
「それは……」
なんとなくだけど彼の言いたいことが分かった。そのせいで、これまでのことが全てつながる。なるほど、すごく不器用なんだなって思った。
でも私は、素直にはそれに乗ってあげない。
私は、彼をねめつけて言う。
「……それって、オリヴィエたちは運が悪かったから死んだと言ってる?」
「それ以外に聞こえるか?」
軽薄なのは、ふりなのね。
「それで逃げたくはないわ」
運が悪かったから私は悪くないとは思わない。それは逃げ口上だ。
この集団を率いる者として、私は皆の生死に責任を持っている。
「それが傲慢なんだよ」
ティエリはじれたように眉を寄せた。
「何でよ。私は責任者なのよ?」
「目標失敗の責めを負うのは、確かにお前だろうよ。だが、誰が死ぬかは別問題だ」
「……どういうこと?」
今度は私が眉を寄せる番だった。
「人の生死はな、神の領域なんだよ」
「ええ」
ひとはいつ、どこで死ぬかなんて分からない。分かるわけがない。
それは分かって、いる。分かっているのよ。人間がそれを、統制下におけるはずもない。
「お前は、向き合っていないだけだよ」
ティエリの顔が、なぜか悲しそうに見えた。
「っ!」
心臓の音が、やけに大きく響く。
「奴の死に向き合いたくないから、理由を探し続けている」
「それ……は……」
「もう、楽にしてやれ」
まただ。
また、視界がにじむ。私は、なんて情けないんだろう。顔が下がってしまった。でも。
「だって、向き合ったら……本当のことに、なるじゃない」
ぽたり、ぽたりと涙が草を濡らす。
向き合わない限り、彼を留めて置くことができる。そんな気がしていたのだ。
ぐるぐる後悔し続けることで、向き合わずに済むのなら、私は、その中でずっと生きていたかった。
だけど、ティエリはそこから私を引っ張り出そうとしている。
なぜだろう。どうしてそんな、何の得にもならないことをするのだろう。
「……それだけ大事だったのは、分かる。あいつだってそうだった」
顔を上げる。
「オリヴィエと、話を?」
彼は静かに頷く。
「死人に頼まれたなら、仕方ねぇだろ……」
こんな顔、するんだ。
私は、ずりずりと彼の正面に回る。
「ねぇ」
「なんだよ」
「胸、貸しなさいよ」
「……しょうがねぇな」
虫の声だけが、変わらず響いていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
森の奥へ運ばれる、ふたつの棺があった。
オリヴィエと、もうひとり護衛の騎士が眠る棺だ。
ティエリを先頭にして、その後ろに私とデルフィーヌ。続いて、棺を運抱える護衛騎士たち。
そしてそこから少し離れて、村人が十人ほどが付き従う。彼らは、移住希望の若い男性と、少しの女性。
男性たちは、オリヴィエたちの埋葬も手伝ってくれると言う。誰がいつ、伝染してしまうかも分からないのにありがたいことだ。
「お前の機嫌をとりたいだけだぞ」
「人の心、どこに忘れてきたの?」
こんなやり取りを繰り返し、なんとなくティエリが演じたい役割をだいたい理解した。
デルフィーヌの勧めもあって、少し雑に扱っている。年も三つしか変わらないと聞いて、思わず笑ってしまった。もう少し上だと思っていたのに。
ちなみに、デルフィーヌはひとつ年上だから、私の周りはずいぶんと平均年齢が下がってしまった。
ちょっと、新鮮な感覚。
空気が違う。学園にいた頃のような、リラックスした空気が漂っている。
緩んでいるとは思わないけれど、なにやら息がしやすい。
「そりゃお前、ずっと監視されて、評価されての毎日では息もしづらいだろうよ」
「人聞き悪いわね。公爵たるもの、人前で油断をしてはいけないのよ」
やいのやいの始める。
こういう雰囲気だ。
今まで、私の周りにいたのは全て大人で、朝起きた時から緊張が始まっていた。彼の言う通り、次期公爵にふさわしいか監視され、評価されていのだろう。
日々の中で、侍女や近侍に皮肉めいた冗談を言うことはあったけれど、気楽に軽口を叩きあえるひとなんて、ひとりもいなかった。
だって皆にとって私は、仕えるべき相手なのだから。軽口なんて言えるわけがない。
でも、だからと言ってティエリやデルフィーヌが私のことを監視や評価をしていないなんてことはない。
大人たちと違って彼らには私に思い入れがない。もっと厳しい目で見ていることだってある。
「それでも、私は」
これからはもう少し自然体でいてもいいかなと思った。
成長して、少しきつくなった服はオリヴィエとともに、ここへ。
私は、彼らに新しい服を仕立ててもらい、未来をゆこう。




