第八話
デルフィーヌが戻って来て、私たちは再び話の席に着く。
「そこの騎士も座ったらどうだ」
ティエリが席を勧めると、デルフィーヌが椅子を引いてどうぞと手のひらを見せた。
「私は、護衛、です」
オリヴィエは与えられた任務に忠実で、そしてそんなオリヴィエの態度にティエリはふんと鼻を鳴らした。
「アンタも客なんだがな?」
やはりティエリは深い知識と高い見識を持っていて、さっきのあれは、デルフィーヌが場を和ませるために言った冗談だと思った。
彼は、私たちの集団が実質、誰に率いられているのかを見抜いている。
深さや高さに限度はないので、どのくらいかは別として、一定以上の才能があることは分かった。
デルフィーヌは妹だから、兄に対する評価が厳しいのだろう。彼女も聡明のようだし、兄の才能を見間違えることはないだろう。
どちらにせよ、あれで場が落ち着き、話をしようという気分になったのは事実。
そもそも、この場所、ティエリの家に招き入れる人数が間違っているとティエリは言う。
話し合いのテーブルに着くべきは私とオリヴィエで、残りの八名のうちから護衛として連れて入るべきだったのだ。
なのにオリヴィエは護衛の立場を崩さない。補佐ではなく、護衛隊長だとぶっきらぼうに主張する。
私は、ティエリの意見に賛成だ。
領地を出てからずっと、オリヴィエが補佐をしてくれている。
こういう場では特に、補佐をして欲しいと思う。ティエリの勧めに応じてほしかった。
このオリヴィエの態度を、“わきまえている”とは表現したくなかった。
それとも、私ひとりでどこまでやれるかを試しているのだろうか。
でも、ここで何か決断することなんてないと思うのだけれど。
そうか。決断することがないなら、補佐の必要もないということだろうか。
「で、この後、どうするつもりだ?」
ティエリが私のコップにワインを注ぎながら尋ねる。ちょっとだけ頬が緩んでしまった。そう。ちょっとだけ。
「それは……」
ワインのミルク割りなんて初めて飲むから、ゆっくりと口を付ける。もわっと強い香りが一気にやってきた。ああ、これは。
夏の草原だ。ヤギが草を食み、色づきだしたブドウ畑が見える。白い雲に、吹き渡る爽やかな風。そんなのどかな光景が凝縮されて、鼻へと抜ける。
うーん。チーズが欲しいなぁ。あいにく、牛の乳から作ったチーズしか食べたことはないけれど、ヤギで作ったチーズも美味しいのだろう。あ、だめだ。考えがまとまらない。
「お父様の方針に従って……」
「アホか」
苦し紛れの答えはやっぱりだめだった。
ティエリはぐびりとコップを傾け、こちらを見据えた。ヘーゼルの瞳は全てを見通すように光っている。
「……質問を変える。お前はこの後、どうなると思う?」
「この後?」
「この後だ。セルバニアは追い返せるのか?」
「それは……」
「追い返せたとして、元通り平和が戻るのか?」
「分からないわ」
首を振る。だって、考えたことなんてない。
考えてもいないことは、答えられない。
そもそもそれを考えるのは私ではなく、国王陛下であり、王太子殿下だ。
私たちは陛下に忠誠を尽くす貴族であり、国の決めたことには従う義務がある。
それは大貴族であっても同じこと。他と比べて独自の裁量が多いと言うだけ。
つまり、私たちは国の舵取りや行く末に責任を持たない。
だから、この後のことを考えても仕方がない。
「考えることはできるけど、私がどうこうできる問題じゃないでしょ?」
そう答えると、ティエリは、それはもう、とんでもなく大きなため息をついた。失礼だって思うのも忘れるくらい、盛大に。
失礼だと思った時、後ろからオリヴィエが怒ってくれても良かったのに、と思った。
でも、いまさらだ。ティエリの口調。森からこの村への道中で、オリヴィエや他の騎士が何度か咎めてくれていたけれど、うるせぇ、で返されていたっけ。
無礼な口調をためらわないなら、ため息だって遠慮はないのだ。
「だからお前はアホなんだよ」
「いや失礼よね?!」
……こほん。
いやね。この国の未来は正直暗い。そんなことは分かっている。でも、どうしようもないのだ。
私は、王様でもなければ王太子殿下でもない。有効な手立てを考えついたとしても実行に移すことはできないし、提言しても採用されない立場だ。
「悪役令嬢だもんなぁ?」
「っ!」
知られていた。私の、過去を。どうやって? どうして?
身がすくむ。へらへらと笑う目の前の男にすごく言い返したいのに、声が出ない。
まるで、身体全体が大きな岩で潰されたようだった。体からどろりと温いものが抜け出てゆく感覚。痛い。苦しい。
「……お兄様、謝罪を」
怒りを込めた声に恐る恐る顔を上げると、デルフィーヌがいた。
さっきまでティエリの斜め後ろに立っていたのに、いつの間にか私の左隣に立ち、ティエリに対峙していた。
「あん?」
「謝罪を。人には、触れてはならない場所があります」
「……すまねぇ。奮起させたかっただけだ。悪かった」
え、デルフィーヌすごい。思わず目を見張ってしまった。
デルフィーヌは、あっけにとられる私を肩越しに見て微笑む。
「もっと必要でしょうか。お望みでしたら、土下座でも」
ティエリと同じヘーゼルの瞳は、とても温かくて、ほっとした。お風呂に入っているような気分だった。
この兄妹は、同じ色の瞳で私を冷やしたり温めたり。目まぐるしくて、酔ってしまいそうだ。
それは決して、ミルク割りのせいではないはずだ。
デルフィーヌは私の顔を覗き込み、うん、と小さく頷いた。
「もう大丈夫そうですね。遠慮なさらず。押せば負けませんよ」
素敵な微笑みを残して、デルフィーヌは再びティエリの後ろへと戻った。
通り雨に遭ってしまったけれど、もう大丈夫だ。
私はすぅと大きく息を吸って、バツの悪そうにちびちびワインを飲むティエリを見つめ返した。遠慮せず、押す。
「……視野を広く持て、と言いたかったの?」
麦が足りないと分かっていたから手を打てた。分からなかった領主はひどいことになっている。
国内外のどんなことも把握しておけば、公爵領で政治をするときに役立つだろう。
「そういうことだ。悪かったな。言葉選びには自信がない」
後頭部をボリボリ掻いている。案外可愛いものだ。
「その陶器を、少し傾けてくれたら、それで許してあげる」
ミルク割りは思った以上においしかった。
「……ひとだけ聞かせてくれ」
ティエリは、私のリクエストに応えながら、チラリとオリヴィエを見た。
「お前は、大事な決断を他人にさせないと誓えるか?」
「そうありたいとは思うけれど……」
ひとくち。うん。おいしい。
「例えば、お前の護衛が明日死ぬとして」
「ひどい例えね」
呆れると、考えを身近にするのは具体的に考えやすくするためだと歯を見せた。一理あると思ってしまったのが悔しかった。
「死因は伝染病だとする。遺骸をどこに埋める?」
私は、少し考えて尋ねる。
「連れ帰る間に、他の誰かに伝染するかも、ということね?」
「そうだ。誰であってもその場で埋めるのが正しい」
これは、すごく難しい話だ。オリヴィエが伝染病で死んだら。
貴人は、特殊な処理で骨だけを連れて帰ることが出来るらしいけれど……。
私個人としては、連れて帰りたい。ガスパールやブランシュに会わせてあげたいし、故郷で盛大に見送ってあげたい。
だって彼には感謝しきれないほどの恩がある。礼節をもって対処したいと思う気持ち自体は誰にも何も言わせない。
でも、それをすると、伝染病が広まってしまうかもしれない。私にだってそれは例外ではない。病気は、いつも公平だ。
ならば、どうすればいいのだろう。
オリヴィエ、あなたの見解を聞かせてほしい。
振り返りそうになったけれど、ギリギリ耐えた。だって分かっている。聞く必要は、ないのだと。口を開けば、答えは自然に出てくるのだから。
そうか。これが、大事な決断を他人にさせないということなのだろう。私は、自分の決断の責任を、オリヴィエにも背負わせようとしていたのだ。
誰々が言ったからだなんて、そんなの潔くない。大人ではない。
私は、はっきりと告げた。
「現地で埋める」
「ほぅ」
今日一番に口角が上がった。でもそれは、嫌味じゃなくて、喜び?
「……その言葉に、嘘偽りはないか?」
「ないわ」
私が頷くとティエリは顔を上げ、オリヴィエに笑いかけた。その顔は意外と優しくて、少し引っかかる。振り向きたいけれど、もういいだろうか。
「だとよ。よかったな。喜んで逝くがいい」
「えっ?」
私が振り返るのと、オリヴィエがその場に崩れ落ちたのは、ほぼ同時のことだった。




