第六話
鎧が重い。
肩にのしかかる重みは、じわじわと体力を削っていく。
荒い息遣いが、耳の奥で反響している。
ぬかるみを踏みしめる湿った音が、途切れることなく続く。
進んでいるはずなのに、どこにも辿り着けないような錯覚だった。
顔を上げると、しとしと降り続く雨で眼鏡が濡れ、視界が遮られる。
かと言って、下を向けば吐き出す息で眼鏡が真っ白になる。
どちらが良いかの問題で、調節できるのは息の方だから、疲れもあってつい、俯きがちになってしまう。
でも、下を向くと残り少ない元気までもがぽろぽろと落ちてゆくのを感じる。
そろそろ、落とすだけの元気もなくなりそうだけれども。
「……お嬢様。そろそろ休憩を取られては」
俯きがちになる私に気が付いたのか、左隣を歩くオリヴィエが声を掛けてきた。
年の離れた兄のような騎士を見上げると、黒い髪の毛が何本も額にへばりついている。
長いのは顔にかかって嫌だと言って短髪にしている彼ですらこうなのだ。
ぐるり見回す。
私の周囲には、前後左右それぞれ二名の騎士が周囲を警戒して森を進んでいる。
前方は確認できないけれど、左右と後ろを行く騎士たちはみな、疲れた顔をしていた。
たぶん、気持ちの面でも疲れているだろう。
いくら頼りがいのある騎士であっても、惨めに敗走し、追撃に怯える日々に、どれほど耐えられるだろう。
彼らだって、生きて帰りたい。
そして、生きて帰る可能性を上げるためにはどうすればいいかなんて、考えるまでもない。
だから私は、耐えなければならない。
私自身、一本の糸でかろうじて繋がっている状態だけど。
私が切れて、その場で泣き崩れたなら彼らはどうなってしまうか。
彼ら自身の名誉を守るためにも、私は耐えねばならないのだ。
「……そうね。少し休みましょうか」
とは言え、少しは休まないと体力が持たない。頷いて足を止めると、周囲から長いため息が聞こえた。
いたたまれなくて、何も言えない。ただただ、申し訳なさに頭が下がる。
こんな気持ちを、仕えてくれる騎士たちに二度と味あわせてはいけないと思った。
騎士たちが私の休む場所を整えているのを見ながら思い返す。
皆が三文芝居に流され、無意味な突撃を繰り返し、背後を突かれて総崩れとなったのは……はて、一週間ほど前だったろうか。
何だか遠い昔の話のように思えて、はっきり分からない。ずっと逃げ通しなので日にちの感覚がなかった。
雨が降り出したのは、昨日からだ。これは覚えている。
最初はありがたかった。ぽつぽつと顔に当たる雨粒が心地良かった。逃げ続けていたから身体は熱かったし、ほこりや泥を落とせてさっぱりした。
だけど、長く続くのは困りもので。
身体は冷え過ぎるし、足元が緩くなって歩きづらくなる。
ただでさえ疲れているのに、ぬかるみを歩くのはとんでもなく体力を消耗する。
だからと言って、馬は使えない。
いざというときのために、体力を温存させるため、引くだけだ。
それでも、馬にも負担をかけているだろう。
家に帰れたらいっぱい休ませてあげようと思った。
「お待たせしましたお嬢様。このようなもので恐縮ですが、どうぞお休みください」
オリヴィエが私の前に出て、恭しく頭を下げていた。こんな時でも揺るがない彼は私の誇りだ。
もしかして、私が崩れても彼なら大丈夫ではないかと思ってしまう。彼がいれば、他の騎士も大丈夫だろう。
試すつもりはないけれど。
「充分よ。ありがとう。あなた達も休んでね」
なんとか笑顔を絞り出し、腰を下ろす。
木の枝を重ね、その上に布をかぶせただけの簡易な椅子だった。正直、硬い。それでも、座れるだけすごくありがたい。
見ていると、騎士たちが四人ずつ、警戒班と休憩班に分かれて行動を始めた。
黙々とやるべきことをやる姿にほっとする。やはり彼らは、頼りになる護衛騎士たちだ。
だからこそ、申し訳なく思う。
「素直に、まっすぐ逃げた方が良かったのかな……」
あの時はよい考えだと思ったけれど、現状を見るにどうも裏目を引いているようにしか思えない。
森を逃走ルートに選んだのは私だ。
雨粒のひとつひとつが、やけに重たく感じられた。
◇ ◇ ◇
ルネサール王国とセルバニア王国が戦った場所は、私たちのラヴェル公爵領から見ておおよそ、北西の平原。
この辺りには主要な街がなく、広い道はないものの、道自体は通っている。単に撤退するだけなら、もと来た道をそのまま逆に辿るのが一番速い。
でも、そんなことは誰だって思いつくもの。セルバニアが追撃の兵を出すならこのルートをメインとするだろうし、数も多くかけるだろう。
だから私たちはあえて、そのルートから外れた。
戦場を離脱した私たちは最初、他の兵たちと同じように南東へ、ラヴェル公爵領へとまっすぐ馬を走らせた。
でも、すぐに気づいてオリヴィエに提案したのだ。多少遠回りしてでも、確実に故郷へ戻るために。
それが今、私たちが進んでいるルート。ラヴェル公爵領からは正反対の、セルバニアの勢力圏に落ちた王国南西部を南へ縦断し、その先にある巨大な森を抜けるルートだ。
この森を東へ突き抜けると、ラヴェル公爵領の西端に出る。
ずいぶんと遠回りになるけれど、急ぐ時ほど、あえて確実で慎重な道を選ぶべきだと昔から言われているからね。
それに、まさかセルバニアも自分たちの勢力圏を通るとは思わないだろう。
周辺の街や村はすでにセルバニアに占領されているけれど、本国からはまだ役人など、派遣されていないはずだ。
それに、私たちの人相書きなんて準備する暇もないだろうし、私たちが馬を飛ばしても見咎める者は誰もいない。はず。
真昼でも太陽の光がほとんど届かないこの森は、人食い狼を始めとする危険な動物が闊歩し、魔女が庵を結んでいると言われており、地元の民でもめったに足を踏み入れない暗闇の世界だ。
ヴォークル公爵領はまさにこの近くにあり、その兵士たちはこの森のことを知っているはず。
つまり、少なくともヴォークル公の兵は追いかけてこない。来たとしても捜索は消極的になる。
そして、セルバニア兵はこの森に不案内だ。
初見の森で人探しなど、幸運の女神を連れていない限り達成できるものではない。
あえて遠回りをする価値はあると私の提案に、オリヴィエたちも頷いてくれた。
でも、まさか、雨が降るなんて。
体は冷やされ、歩きづらさでどんどん体力が奪われる。
進みが遅くなるから、このままだと見つかってしまうかもしれない。見つかったら、どうなるだろうか。
向こうに幸運の女神がいなくても、こちらに不幸の女神がいるなら遠回りの意味がない。
どうしたらいいだろう。
私は、彼らだけでも家に帰してあげたい。
どうにか。
「ねえ、オリヴィエ」
これからのことを相談しようと顔を上げると、オリヴィエが厳しい顔で木々の向こう側を見ていた。
そこから姿を現したのは、警戒に出ていた騎士のひとり。彼は抜き身の剣を手にしており、刀身には一部、赤い汚れが見えた。
「囲まれております」
言うが早いか、他方からも抜剣した騎士らも帰ってきた。表情から、あまり良くない状況だと分かる。
休憩していた騎士たちも立ち上がり、私を中心としてぐるりと円陣を組む。
「追手?」
「分かりません。ですが、囲まれているようです」
「野盗と思われます。セルバニアの追手ではありません」
「数が多いです。三十はいます」
口々に情報がもたらされ、これはもう駄目だと思った。無傷での帰還は諦めた。次善を考えないと。
がさり、と木々の間から野盗らしき者たちが姿を見せる。やはり多い。騎士の報告は正確だ。完全に囲まれている。
「……あれ?」
ぐるり一周見回すと、強い違和感を覚えた。
野盗が、こんな普通の服を着ているものだろうか。普段着のような、薄汚れてはいるけれど、そこまでひどいものはない。
野盗らしくないな、と思った。
そうやって彼らを見ていると、やはりおかしな所がいくつも見えてくる。
手にした獲物は剣や槍よりも、鎌や鍬が多いし、皮鎧すら装備していない。
頭目らしき人間もいないようだし、彼らの顔には下卑たものや残忍なものは浮かんでいなかった。どちらかと言うと緊張や、戸惑いの色が大半を占めている。
あ、これもしかして平民かも?
「ねぇ、オリヴィエ、彼らは」
「正確なところは分かりません。ですが、敵意はあります」
武器を持ち、人を囲む行為は確かに友好的とは言えないだろう。害意があるならこちらも相応の返答をする必要がある。
でも、平民なら、元は私たちと同じ、ルネサールの民だ。できれば傷つけたくないし、必要なら保護したい。
私は、オリヴィエを押しのけて彼らの前に出た。




