第四話
「着いちゃった……」
陛下が合流地点に指定した土地は、街道から少し離れた平野。
大軍がぶつかるには申し分のない広さだ。
陛下の下に集まった兵は最終的に四万。ぐるり見渡せばなかなかに壮観だ。
本陣に高らかにはためくのは、可憐なスミレが描かれた王家の旗。それを支えるように、私たち貴族の旗が周りを囲んでいる。
この旗を見れば、誰が集まっているかが一目瞭然。東の公爵はすでに着陣しているようだった。
「セルバニアはなぜ動かなかったのかしら」
セルバニア軍は早くからこの地に到着しており、小高い丘に何重もの柵を張り巡らせ、その中にこもっていたと聞いた。
そのおかげで私たち地方の軍は、大きな問題もなく陛下の軍勢へと合流できたのだけど。
彼らは二万にも満たない数だ。日を追うごとに不利になっていくのに、どうして何もしなかったのだろう。
例えば、兵力が同じくらいの時期に、早期決着を目指して戦いを仕掛けるとか、あるいは合流を邪魔するとか。いくらでも不利を覆す方法はあったはずだ。
「私には、家畜を肥え太らせていたように見えますな」
「……私たちが豚さん?」
「はい。一度の勝利で趨勢が決まるなら、そちらの方が楽ですので」
四万の兵を相手に勝つ算段がある? 数の不利があるのに?
眼鏡をくいと上げ、無言で見上げる。草や低木の緑が丘一面を絨毯のように覆っていた。麓から段々と帯を巻くように馬防柵の茶色。そして、柵の奥に天幕の白。
時折、キラリと光るのは鎧の反射か。人の動きまでは遠くてよく見えなかった。
「どう見ても囲めば終わりよね」
確かに、普通に攻めるのは難しそうだ。素直に攻めるなら、二倍の兵力差はそれほど意味をなさないかもしれない。
でも、わざわざ素直にぶつかる必要はなくて、丘を囲むだけでいい。いずれ水や食糧が尽きて降伏するだろう。
だからたぶん、彼らは、日に日に数を増やす私たちを、ただ指をくわえて見ていることしかできなかったのだ。
なのに、あえて見逃し、肥え太らせていた?
さすがに今回ばかりはオリヴィエの考えすぎだろう。
と、思っていたらとんでもない話が出てきた。
「我が軍が誇るランスの威力、見せてやろうぞ」
まるで演劇でも観ている気分だった。
それほどまでにルシアン王太子殿下の語りは芝居じみていて、ひとつも心に染み込んでこなかった。
この人は何を言っているのだろう。
何度かまばたきする。景色は変わらない。周囲の騎士や貴族の顔で、現実なのだと思い知る。嘘よね?
同じように思うひとはいたようで、天幕のざわめきは収まらない。
作戦会議に臨んだ騎士や貴族は十数名。その多くが困惑していた。若い取り巻きだけが殿下を褒めそやし、持ち上げている。
早くお止めしなければ。誰か、早く。
このままではまずい。そんな空気が、流れた。
誰が言う? それは、高い地位だったり、長くお側に仕えている人だ。
何人かに視線が集まる。お父様も、そのひとりだった。
「……殿下。それはなりません」
古株らしき騎士がしぶしぶ押し出された。地位のある人は悪者になりたくないのだ。無言の圧力に、一介の騎士が勝てるはずもなかった。
すると殿下は、驚いたように身をのけぞらした。
「なぜだ。あのように小さな丘など、我軍の精強な騎兵にとって平原を往くがごとし。何を恐れることがあろうか」
大げさな身ぶり手ぶりは確かに、演じているという前提であれば、評価はどうあれ、頷けるものではあった。
なるほど。夢を見ている、ね。
いつだったかの、お父様の言葉を思い出した。
そうね。夢であるなら、殿下の行動はすべて最良の結果をもたらすのだろう。
そしてこういった忠言も、物語に彩りを添えるアクセントのひとつだ。
さしずめ、家臣の反対にもめげず、正しき道をゆく王太子殿下の図ってところかしら。
……ただ、これって現実なのよね。
柵を立て、敵が待ち受ける丘に向かって馬を走らせるのは、勝利の女神に背を向ける行為に等しい。
「なだらかとは言え坂道です。騎兵の勢いは削がれ、槍の破壊力は期待できません」
老年の騎士が必死に説得する。頑張れ。ここにいるほとんどは味方よ。
ところが、ここで少し雰囲気が変わる。
殿下が不思議そうに首を傾げ、目の前の騎士だけでなく、私たち全員に問いかけたのだ。
「そなたらは、ヴォークル公を忘れてはおらぬか?」
「あっ」
声に出した人がいた。驚愕した人もいた。ぽかんとしている人もいた。
ちなみに私は、これでもかってくらい、目を見開いて殿下を見た。
そうだった。殿下の言う通り、あの丘にヴォークル公の軍はいない。
我が国の西を守る大貴族でありながらセルバニアに寝返ったヴォークル公。
彼が、どこかの町を攻めているという報告今のところ、もたらされていない。
通常、裏切った現地の軍は本隊の消耗を得るため、先陣で使われることが多い。
ただでさえセルバニアは数で劣っているのに、ここであえてヴォークル公を使わないのはなぜか。
答えは簡単。私たちの背後を狙っているからだ。だからセルバニア本隊は固く守っているだけでいい。
「やはり、肥え太らせていた……」
オリヴィエの懸念は正しかった。セルバニア軍は手をこまねいていたわけではなく、私たちが集まるのを待っていたのだ。
どうしてその可能性を捨てていたのだろう。ちゃんと検討すればよかった。後でオリヴィエに謝らないと。
と、言うか、意外にも殿下は良く見てらっしゃる。
もちろん、だからと言って突撃していいとはならないけれど。
「ゆえに、ヴォークル公が現れる前に決着をつける。のんびり攻略していては前後から挟撃されるだろう」
確かに、という空気が流れる。
それに、倒すべきは眼前のセルバニア軍だ。これさえ打ち破ればヴォークル公も再び頭を下げてくるだろう。
同じルネサールの人間である。もちろん、それなりの罰は下るだろうが、それは仕方ない。
「丘にこもる砂ネズミどもをできるだけ早く駆逐する。そのためには騎士たちの槍が必要だ」
「さすがのご慧眼でございます」
「奴らに騎士は少ない。我らの槍をひと突きするだけで容易に崩れるだろう」
「その通りでございます。さすがは王太子殿下」
熱気が生まれた。
すると、いけるかな? いけるかも。と、勘違いする人たちが出てきて、熱気を増幅させ、周囲に広める。
だんだんと止めづらくなってくる。良くない流れだ。
確かに、後ろから突かれるのはまずい。だから速戦即決。これも分かる。
でも、用いる手段が騎士の突撃ではいけない。相手はそれに備えて準備しているのに。
そもそもどう攻めるかの相談をしていたはずが、いつしか無謀な作戦で押し切られようとしている。
私? 実績もない小娘に発言権なんかない。お父様、どうにか。
「なりませんぞ、殿下」
老騎士が必死に止める。
「これ以上の論議は無用。せっかくの士気が下がるではないか」
「そ、それは……」
ああ。押し切られちゃう。
前に立つお父様は何の動きも見せない。どうしてだろう。このままでは、私たちは敗北に向けて大行進だ。
「ならばそなたに先陣を任せよう」
「は?」
「せっかくの士気に水をかけたのだ。老練の妙技でもって再び熱を取り戻してくれ」
「で、殿下……」
なるほど。下手に口を出すと、こうなってしまうのか。
と、なると。
お父様がどうして動かないのか、分かった気がした。
すでに撤退のことを考えているのだ。
どうやって被害少なく領地に帰るかを考えれば、先陣は絶対に避けたい。ここは、黙って余計な口出しをしないに限る。
ては、いつ、どのように“敗走”するのか。そのために、どのあたりに配置してもらうのか。
自分ならどう交渉するかを考えながら、私はお父様の背中を見守ることにした。
そして、国王陛下は最後まで発言されなかった。
◇ ◇ ◇
頬を伝う汗は、夏の日差しだけのせいではないはずだった。
角笛が鳴れば、戦が始まる。
私は、何度も生唾を飲み込んでいた。
顔を撫でる風が心地よい。草や木の香りが、こんなにも落ち着くものだとは知らなかった。これがなければ私は、せわしなくウロウロと歩き回っていたかもしれない。
結局、お父様のお手並みを拝見するまでもなく、私たちは後方に配置された。
最後列の、左側。街道側だ。右側には遠く岩山が連なっている。
わがルネサールは、騎士の部隊を縦に並べ、Tの字を逆にしたような陣形をとった。
最後列中央に陛下や殿下がいる本陣。左翼に私たちラヴェル家の兵が位置し、右翼には東の大貴族であるノルセーヌ公爵の兵が位置する。
本陣の後ろには、ヴォークル公爵を警戒して千の兵を置いている。ヴォークル公が本当に来たらこの部隊が対応し、足を止めている間に私たちとノルセーヌ公が左右から包む予定だ。
そう考えると、失礼ながら意外と、殿下は兵法をよく理解しているようだとごまかされそうになった。
実際、見る目を変えた人はいただろうけれど、そもそもの根本が間違っているのだから、先端をこねこねしても正しい形にはならないのだ。
困ったなぁ。
今からでも考え直してもらえないかしら。
そんなことを思っていると、角笛が高らかに響き渡った。




