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第三話

 山肌を染める紫が色を失いつつあった。夏のピークが過ぎた。

 視線を下ろすと、葉陰豊かな葡萄棚が見えた。報告によれば、葡萄の出来栄えは悪くないらしい。

 オリーブもそう。青い実は日に日に大きくなっている。他の果物も順調だ。

 もう少しだけ耐えれば、何とかなる。人々の顔にも余裕が見えるようになってきた。


 この頃になると、外国に派遣した商人がぞろぞろと帰ってきた。麦の価格がおかしくなったあたりに、麦を買い付けを頼んでいたのだ。

 これによって、他国のルネサールに対する感情も測ることができる。購入や通行が許されなければ、大なり小なり、悪意を持っていると判断できる。


「やはりセルバニアか」

 売買の禁止、または制限とその程度。地図に印を付けていけば、どこが主体で、どこを警戒すべきかが自然と見えてくる。

 セルバニアが、こちらに嫌がらせをしている。どこでどう凶作の予兆を知ったのかは分からないけれど、ルネサールを飢えさせようという意図が見えてきた。


 だけど、この情報を活かせるかどうか。

 王都に知らせても、まともに取り合ってもらえるか分からない。

「では、東西の大貴族にお知らせしてはいかがでしょう」

 中央がどうあれ、周囲が支えればまだ立ってゆけるはず。

 

 ふむ、とひと言、お父様が顎に手を当て、こちらを見た。

「義理立てしておくか。セリーヌ。お前が代筆しろ」

「かしこまりました。ですがやはり、王都にも一報入れておきましょう。不義理と言われてはかないません」

 お父様の頷きを確認し、私は引き出しから紙を取り出す。


 そんな時、扉がノックされた。

 護衛の騎士が扉を開けると従僕が入ってきて、使者の訪れを知らせた。王都からだと言う。

 お父様は私に手紙を書いておくようにと言い残し、家令のガスパールと護衛を引き連れ、部屋から出て行った。

 

「むむむ……」

 気の置けないひと達だけが残ったから油断したのか、私はつい、唸り声を出してしまった。

「お嬢様、お行儀が悪いですよ」

 侍女のブランシュがたしなめる。だって、お父様と同格の諸侯に手紙を書くのは初めてだから、緊張するのだ。

 失礼にならず、侮られずに。代筆が入っていると思われてもいけない。それはなかなかに大変な作業。

 

 と、そこで思い出す。

「そう言えば、ガスパールが……」

 さっき出て行った我が家の家令を思い出す。髪やヒゲはすっかり白くなってしまったが、がっしりとした体格は昔から変わらず心強い。

 その彼がいつだったか、お父様の書いた文書を良く読むよう教えてくれたのだ。

 

「いつか、代筆することを見据えていたのかしらね……」

 それをそのまま真似すればいいのね。

「公爵として、どのような文章を書くべきかを知るためですよ」

 すぐさま訂正が入った。扉からだ。護衛のオリヴィエ。この国では珍しい、真っ黒な髪と瞳の持ち主で、壮年にしていまだ剣技を鈍らせず、優れた見識も備える自慢の騎士だ。

 彼は私に至らない部を見つけると、こうやって教えてくれる。いつでもどこでも指摘して欲しいと伝えているから遠慮が少ない。侍女のブランシュがじとりと見てもどこ吹く風だ。


「そこに答えがあります。最初はそれを模倣して、やがて独自の色を出すのです」

「ああ……」

 私自身の学び。次期公爵として、自分がどのような文章を書くべきか。時候の挨拶、交渉、私信。相手の身分に応じた書き方や外国への手紙。

 数は少ないけれど、お父様の書いた手紙は一部、写しとして保管されている。

 

 そうだ。目の前に答えがあるのだ。無人の荒野をさまよう必要はなく、行きたい場所に道がある。

 まずはそこを通り、慣れてくれば補修や装飾をすればいい。敷設のやり直しなど、まだまだ先の話でいいはずだ。

 

 自分の学びのついでに、応用編として代筆をする。いい実地練習になる。

 私は席を立ち、本棚へと十数歩。目当てのものを見つけて席に戻ると、紅茶が用意されていた。

 

 頬が緩む。本当に、もう。

 本当に。優しいと言うか、甘い。

 ブランシュもオリヴィエもガスパールも。

 本当に、素敵な人たちだ。


 ◇ ◇ ◇


 王都からの知らせは出陣命令だった。

 セルバニアの国書を読んだ陛下は返書を作成せず、たったひと言だけを使者に持ち帰らせたらしい。

「騎士の槍が、返答をするだろう」


 それはそう。初手で国を譲れと言われ、はい分かりましたと王冠を差し出す国王なんているわけがない。

 陛下は使者を追い返した後、すぐさま各地の諸侯に招集をかけた。

 私たちが治める領地は全て王から分け与えられたものであり、土地を託された私たちには兵役に応じる義務がある。

 命令を受けて数日。あらかじめ兵の用意をしていた私たちは、あまり時間をかけることなく出発できた。

 

 とは言え、軍勢ともなれば時間がかかる。

 馬車に乗るだけなら王都まで一週間もあれば到着するけれど、軍には騎兵もいれば歩兵もいる。

 歩兵にも重装備なものと軽装備なものがいて、騎兵にも歩兵にも荷物持ちがいる。さらには荷車隊やら商人やらが付き従うため、その歩みはとても遅い。

 変わったところでは旅芸人なんかもふらりと現れ、ふらりと去ってゆく。


 なので、一週間で行ける場所にもひと月近くかかることもある。

 当然ながら、その間に状況も変わるもので。

 待ちきれない陛下が先に出陣してしまって合流地点が変わったり、西の大貴族であるヴォークル公爵がセルバニアに寝返ったり、西北に位置する諸侯連合国が攻めてきたりする。


「情報が多すぎて溺れそうだな」

 お父様の苦笑いに頷くほかない。

 一日進むごとに状況が変わっていくような気分だ。

 次々ともたらされる情報に胸焼けを感じながら、勝つため、生き残るために一筋の道を探す。


 ごくりと生唾を飲み込んだ。

 これが、戦争。

 いつかは、私自身も兵を率いることになる。

 彼らの命に責任を持ち、正しい道を選ばなくてはならないのだ。

 

 私は、やれるだろうか。

 例えば今、街道沿いの町に軍を休めているけれど、これだってお父様が休みたくなったから休んでいるのではなくて、多くの条件や情報を混ぜ合わせて、この場所と決めた。

 おそらく、混ぜ合わせる前には捨てた条件や情報だってあったはずだ。


 それはまるで、料理人のようだった。

 たくさんの素材が目の前に並べられ、そこから一番美味しい料理を作らなければならない。

 しかも、作ったものはすぐに結果が出るものもあれば、後から出るものもある。


 重いなぁ。

 部屋に戻ってすぐ。私は椅子に座って大きなため息をつくと、それを丸めてオリヴィエへと投げつけた。

「一日ごとにお父様が遠ざかっていくわ」


 オリヴィエはいつもの仏頂面を少し緩めて首を振る。

「それは違います」

「何がよ」

「成長しているから、距離を正確に測れるようになったのです」

 日々、足りない部分が見つかる。補い、学ぶことが多くなるほど、自然とお父様に届く日は遠くなる。


 なるほど。そう考えればいいのか。

「頑張っているからこそ、よね?」

「左様でございます」

「そっか」


 満足して、私はお父様から割り振られた仕事に手を付けた。

 今日は、食糧についてだ。何もしなければいつまでになくなってしまうか。できるだけ長くもたせるにはどうすればいいか。

 当たり前だけど、自国内だから略奪するわけにはいかない。そうなると商人や民から買い上げることになるけれど、どのくらいの値段をつけるか。

 そもそも食糧が少ない現状だ。相当、足元を見られるだろう。さて、どこまで突っぱねられるか。


「考えることばっかりね」

「考えれば考えるほど、良き領主となります」

「考えなければ?」

「領主の座を追われるでしょう」

 領主も楽じゃない。豪奢な服や贅沢な宴会が許されるのは、それがふさわしいと誰もが認めるほど、考えなければならないのだ。

 

 ……そんな日が来るとは思えないな。まぁ、したいとも思わないけれど。


「ちなみに、王太子殿下は毎晩宴会だそうよ」

 オリヴィエが目を丸くする。

 冗談ではなくて、お父様が嘆いていたことだ。

 こんなことなら……と思わず不敬なことを思ったひとは少なくないだろう。

 油断がある軍隊は必ず負けるとお父様に撤退を進言した騎士もいたくらいだ。


「私も同意見ですね」

 そうは言われても変える決断は難しい。

 兵を出す、というのはそれだけでお金がかかる。何も得ずして帰るのであればせっかくの準備が無駄になってしまう。

 それに、勝手に帰って王都から何と言われるか。

 一番いいのは戦争に勝って褒美をもらうことだけど、それが難しそうとなると、どうするべきか。

 お父様はどう判断し、決断するのだろうか。

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