FILE70『愛すべきマルグリート』
「…」志田に《Ⅹ》として留守番電話を入れた後、本田は椅子の背もたれにドサッと凭れかかる。
消費した炭酸飲料の缶がゴミ箱の中に溜まって行く。
机には以前無かったタイプの黒いボトルに入ったガム。
「やってらんねぇ」本田の正直な声が部屋に落ちる。
だが全ての起因は自分自身だ。
(なんで開き直れないんだろう)いっそ開き直ってしまえば楽なのに。
など考える本田だったが、自分の払拭できない甘さに呆れる。
(情を捨てられない俺の欠点だ)
(後少しだけ非情にもなれたら幾分と楽なのにって)
だが、自分に駆け寄るクラスメイトたちの顔がどうしても忘れられずにいた。
(俺の理想はこんなに迷う自分じゃない、代わりたい。じゃあどうなりたいんだ)
自問自答し続けた本田は、「はあー」と大きな溜息を吐く。
(…目の前で困っているやつがいたら助けられる…自分でなければならない)
自分で出した結論に、(でもそれは「手段」でしかなくて結局は自分の欲の為に取り繕った偽善だ。もし俺があいつに拒絶されたらどうする)(…あいつが俺を拒絶なんてするはずがないのに俺って…)苦笑を零す。
「随分悩んでいるようだな」ふと自分の後ろに立つホノカに、本田は「うわあああああああ⁉」と情けない悲鳴を上げて驚いた。
「か、鍵は…閉めてた…ぞ」論理で説明できない事象に、完全に混乱する。
そんな彼を前にホノカは「死神を前にして鍵、とほざくか。童貞男は格が違うな」と煽るように爆笑する。
「…しにがみ」
「嗚呼。私は【死神】だ。お前は近いうちに会長から二択を迫られるだろう」自分を疑うように呟く本田にホノカは指で二を表しながら教える。
「預言か」
「いいや?憶測だ」
「根拠がない」
「ふッ、地獄のジョークが通じない男だな」
「死神なんて存在がノーフィクションでたまるか」
「それがノーフィクションなんだ」
ホノカが本気でおかしい事を言っていると思う本田と、悪ふざけしているようにも取れる言い方で状況を楽しむホノカ。「なら」本田はホノカに冷たい視線を向けつつ、「地獄がどんな場所かを教えろ六道があるんだろ」と問いかける。
ホノカは「無いぞ」ときっぱり答えた。
「はぃ?」格好いい雰囲気だったが、素っ頓狂な声をあげ台無しになる本田。
「地獄とは【自治体】【行政】だ」ホノカの言い分に本田は「子供が地獄に落ちたら石積」と言うが、「馬鹿めそれこそフィクションだ」とホノカはゲラゲラと笑いながら手を叩く。
「設定は素晴らしいがお前それじゃ飛鳥と何ら変わりないぞ」本田にツッコまれたホノカは、「でもお前、地獄の【力】があれば欲しいだろ」と問いかける。
本田は「…」と意味深に目を逸らした。
「本当に必要になった時。私のもとに来ればいい」ホノカはそう言うと、本田の前で姿を消す。
「⁉」実際に人が姿を消す瞬間を見ては、「反則…じゃね」と呟く。
「あれ…俺…気絶してからまだ起きてない?」
一瞬迷って、手首についている深い傷跡に指を這わせてみるが、「いた」と痛覚自体は生きていたので現実の事だと把握する。
その後、すっかり島全体が暗くなった。
《Ⅹ》としての自分がやろうとしていることは、下手したら星野よりも惨いんじゃないかと本田は思い返す。
《競技祭》と書かれたお知らせの紙。六月全体は島中がお祭りムードらしい。
だがそのルールは…。
【二年生と一年生がポーカーで一対一の勝負】
【一年生が勝ったら二年生に自分が決めた額を全額支払わせる。二年生再参加禁止】
【一年生が負けたら二年生が決めた額を自分のクラスから一人選んで支払いをさせる】
(…星野は本当に真犯人だが。その状況で一番効率的な選択を俺が取れば俺自身がいじめっ子当人よりもタチが悪い存在になりかねない)
(…俺は…一人じゃ決断すらままならないのか…?)
揺れるカーテンから、サーッと風の音と、波の音が混じるように聞こえる。雨音のない、五月の群青色。
「六月…」本田はそう呟くと、カレンダーをベリベリベリ、と剥がした。
週末、朝。なんとか土曜まで一週間を駆け抜けた本田は、「ンー…」と背を伸ばす。
あの後もクラス委員で会議の時間があり、何かと話し合いの場を設けたが、本田にとってはほぼ無駄な時間と言わんばかりの雑談の場。
皇に至っては、ティーカップやケーキまで持ち込んで、ほぼただのお茶会。立派にアギの中の人にまでケーキを部屋にいる監視役が用意していると言うんだから驚きだ。
今日の朝に笹井から《布田くん盛田さん鈴木くんと映画館に行ってくるわ》なんて気楽なメッセージが来た。
片方でも監視つきなら授業時間外のフェリー搭乗も自由。それが学園の定めたルールだ。
(ンで、俺はと言うと)本田はメッセージに注目する。
《生徒会寮にお招きします♪》とさくらからラビィにメッセージが届いていた。
「…」本田はクローゼットから私服を取り出し、ルームウェアから適当に着替える。
どうやらこの男は意外とサブカル系ファッションを好むらしい。メンズ地雷系ともいうのだろうか。
部屋の鍵を閉めては、生徒会寮の地図を見ながら向かう。(まあ見たくなかったと言えばウソになる)と生徒会寮への興味を抱きつつ、「…これ…だよな」と何処かの国の宮殿のような屋敷の前に脚を運ぶ。
すると西洋のドレスのようなワンピースに身を包んださくらが、「お待ちしておりましたわ」と階段に敷かれた赤い絨毯を駆け降りる 。
(これが…生徒会の特別待遇…いや大袈裟じゃね)ボーっと生徒会寮を見上げつつ、使用人が、『さくら様!』と一斉に頭を下げる姿に「うげー…」とついドン引きするような声をあげてしまう。
さくらは本田に、「さあ中へ」と手を差し伸べるが、「あの…いやですここ通るんですか俺」と絶句されてしまう。
「会長命令です」「…」こう言われてしまえば下を向きながら本田は歩く。「なんだこれ」「なんだ」とチラッと監視役を連れた生徒たちに見られつつ、屋敷の中に入っては、「だれだこいつ」と長谷部が屋敷の金色の階段の上から本田を見下ろして言う。
「長谷部くん?黙ってなさい」さくらの制止に、長谷部は、「はぃ…」と言いながら自分の部屋に消えて行く。「なんの騒ぎですか」とケンも顔を出しに来るが、「三上くん、まだ詐欺の残り作業終わってないでしょう」と言われ、「は…はい、すみません!」と足早に自室へ帰って行く。
「…えっと、なんの要件で」との本田の問いに、さくらは「いいからまずは部屋にいらっしゃい」とその腕を引っ張り自室へ連れて行く。
「身体触られるのは嫌ですよ俺」「まあ、物騒。誰に触られたのです?私は言う事聞いていただけたらそんな手荒な真似しなくってよ」とまさかのすっとぼけ作戦でまるめ込まれてしまう。
「本田くん。私と【取り引き】いたしませんか」
さくらの一言に、「へあッ?」と、あの時のホノカの預言(※本人が言うには憶測らしい)を思い出す。
「と、取り引き…」
「ええ。私はあなたが《X》以外の何者かを掴みました」
「は」さくらはそう言うと、ふふッ、と微笑む。
「今のはハッタリです。本田くん、やっぱりその反応。あなた何かあるんですね」
「…」
本田は何処かに流し目を向ける。
「それと、あなた。残高を少しみてみなさい」
本田は言われるがまま、残高を確認する。
「なんでですか」なんの変化も無い残高に首を傾げては、「鈍いですね。」とさくらは本田の顔を見た後、「あなたの頼みを遂行した事をお知らせしようと思いまして」と続ける。
「…⁉」特例生徒の収益加算分が…ない。
「は」本田は数字を見て目を見開く。
「あなた…茅野さんを特例生徒って事にして申請しろって私に言いましたよね?でも少し面白そうだったので、正規の特例生徒を茅野さんにしてみました」
そのさくらの遊び心に、本田は「お前ッ何を勝手に!」と言いかけるが、「まあ…生徒会長に対して、お・ま・え。ですか?」といつものように煽られ、「…俺は申請だけ茅野って事にしてくださいって…」と言い返す。
だが、「クソガキが生徒会長様に舐めた口聞いてんじゃねえよ」とさくらに見下ろされながら言われる本田。
そのガチトーンと突然の狂気に「えぇ…」と怖気づくような素振りを見せる。
「あなたの言う事は聞いたので私の言う事も聞いてくださいます?」さくらはそう言うと、本田の顎を持ち上げ顔をこちらへ向かせた。
「一学期以内に笹井さんを《裏切り者》として学園側に差し出すか。本田くん。あなたが《Ⅹ》として一学期末の学園裁判にかけられるか選びなさい」さくらの悪そうな笑みに圧倒されつつ、本田は「…笹井が裏切り者?」と瞳を震わせる。
「ええ。笹井さんは理事長とあなたを探る取り引きをしています」
「…俺が《Ⅹ》だと理事長に洩らしたんですか」
「いいえ。理事長も独自に目星をつけていたみたい」
「…笹井が俺を売るとは思えない」
「違うでしょう?思いたくないの間違いではありませんか」さくらは図星を突いた後で、「あなたってこういう時、笹井さんが裏切り者だと知れば真っ先にその身を売り飛ばしそうなのに、お優しいんですね?身内には」と追い打ちをかける。
本田は「今日は即答しません」と答え立ち上がりつつ、拳をキュッと握る。
…だが、その立ち去ろうとする耳元で、「…情なんて抱くから笹井さんを売る最善の判断もまともにできないんですよ」とトドメを刺すように囁いた。
「くッ…」本田は生徒寮から逃げるように背を向ける。
「…うふ♡」その背中を追う事も無く、さくらは満足げに口角を緩め、「嗚呼…私の最高のマリオネット…愛すべきお人…マルグリート…♡」ドンッとベッドの上に自分の身体を乗せた。
高貴な和製の机の上には、部屋の豪華さとは見合わない待ち針が幾つも刺さった本田に見立てた藁人形と、八咫鏡の指輪ではない黒い指輪が隣においてあった。




