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第百五十話「第一期末テスト終了⑬」


校門前の、あのアスファルト。

一週間前、暴力と悲鳴が渦巻いた場所には、今や何の痕跡も残っていない。夏の強い陽光が、忌まわしい記憶さえも焼き尽くすかのように、ただ無機質な地面を照らし出しているだけだ。

春馬は、制服のズボンの膝を泥で汚しながら、文字通り「這いつくばる」ようにして校門周辺を捜索していた。植え込みの影、側溝の隙間、果ては風に舞ったゴミの集積所まで。


「(……ない。……計算が合わない。……あの日、俺は確かにカードをポケットに収容した。……乱闘による脱落、あるいは警察車両内での紛失。……考えられる変数は山ほどあるが、現時点で見つからないという事実は、紛失の確定ロストを意味する)」

春馬は立ち上がり、荒い呼吸を整えながら、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。

警察署や病院に問い合わせるべきか?

いや、もし届出が出ていれば、落とし主が特定できる内容(俺の字や、制服の紋章など)から連絡が来るはずだ。それがないということは——。


「(……処分された、と考えるのが最も合理的か。……あるいは、ただの『ゴミ』として清掃員に回収されたか。……そうだ。……冷静になれ、箕島春馬。……仮に、仮に第三者があのカードを拾い、その内容を目にしたとしてもだ。……文脈を共有しない他人が、あの奇妙な記述を理解できるはずがない)」

春馬は、自分に言い聞かせるように、脳内の不安を論理という名の土砂で埋め立てていった。


『バニラアイス(まるで純潔なような姿が心を溶かし……)』


「(……っ! ……あんな、むず痒い……いや、非論理的な怪文書、俺以外の人間が見れば、単なる糖分不足の男が書いた支離滅裂なメモにしか見えないはずだ。……そうだ、そうだ。……機密保持の観点からは、紛失はむしろ好都合だったのではないか? ……そうだ。……これでいいんだ)」

春馬は、バクバクと暴れる心臓を強引に鎮め、翻るようにしてその場を去った。

彼の日常から、若宮蒼奈という「不条理」が消え、今や彼女への「定義」さえも消失した。

これで、全ては元通り(デフォルト)だ。

そう、自分に言い聞かせながら。


場所は変わり、市内の総合病院。

四階の個室は、外の喧騒を完全に遮断した、白と静寂の世界だった。

若宮蒼奈は、清潔なリネンの香りに包まれながら、窓の外を流れる雲を眺めていた。入院から一週間。体調は安定し、悪夢にうなされる回数も減っていた。だが、彼女の心の中には、あの日以来、ぽっかりと空いた「空白」があった。


(……春馬くん、学校行ってるかな。……プリント、また溜まってそうだな)

そんなことを考えて、小さく笑いをもらした時。

静かにドアがノックされ、担当の看護師が入室してきた。


「若宮さん、失礼します。体調はどう? 変な動悸とか、ないかな?」


「あ、はい。……大丈夫です。もう、全然元気ですよ」

蒼奈がいつもの明るさを意識して答えると、看護師は安心したようにバイタルをチェックし、ふと思い出したようにポケットから「何か」を取り出した。


「そうそう、若宮さん。……これ、警察の方から預かっていたものなんだけど。……渡すのが遅くなってごめんなさいね」


「え? 警察の方から?」


「ええ。……あの日、事件の後に、箕島春馬さんが警察署で事情聴取を受けていたでしょう? ……その時、取調室の中で箕島さんが落としていったものなんですって。……警察官の方が拾って、『箕島さんの持ち物だと思うけど、若宮さんが回復したら、ぜひ彼女に渡してあげてほしい』って託されたのよ」

看護師の言葉に、蒼奈の心臓がトクン、と大きく跳ねた。


「……春馬くんが、落としたもの……?」

手渡されたのは、名刺サイズの、少し厚手の白いカードだった。

一見して、それは「濡れた痕跡」があった。紙の表面は波打ち、端の方は少し変色している。だが、そこに刻まれた文字は、消えることなく、力強い筆致で残されていた。


「じゃあ、私はこれで。……ゆっくり休んでね」

看護師が退出し、再び訪れた静寂。

蒼奈は、震える指先でそのカードを裏返した。

そこには、几帳面で鋭利な、春馬の性格をそのまま写し取ったような文字が並んでいた。

【個体定義:若宮蒼奈】

その存在は、厳寒の論理さえも融解させる、無垢なる白銀の結晶バニラアイス

溶けゆく姿さえもが不可逆な美学を孕み、一瞬の刹那を永遠へと変容させる。

たとえ形を失おうとも、その奥底には決して折れぬ『コーン』が鎮座し、不変の意志を証明し続ける。

——故に、彼女は予測不能な、至高の特異点である。


「…………えっ?」

蒼奈は、息を吸い込むのを忘れた。

何度も、何度も、その文字を読み返した。

春馬の字だ。

間違いなく、隣の席でいつも無愛想に「効率」を説いている、あの偏屈な少年の字だった。


「……バニラ……アイス?」

言葉の意味を、脳が処理しようとして拒絶する。

あまりにも格好良すぎて、あまりにも詩的で、そして——あまりにも「重い」。


「(……『無垢なる白銀の結晶』? ……『溶けゆく姿さえもが不可逆な美学』? ……え、ええええええっ!?)」

蒼奈の顔が、一気に沸騰したかのように真っ赤に染まった。

春馬が、あの日。

あのアイスクリームを買って、自分のために、こんなことを考えていたというのか?

警察署の、あの殺風景な取調室で、こんなメッセージカードをポケットに忍ばせて、一人で座っていたというのか?


「(……しかも警察の人に見られてるんじゃん! 『若宮さんに渡して』って、絶対これ、読まれてるよね!?)」

蒼奈は、枕に顔を埋めてじたばたと足を動かした。

羞恥心と、驚きと、そして胸の奥から溢れ出す、言いようのない温かさ。


「……どういうことかな? ……これ、どういう意味……?」

蒼奈は再びカードを掲げ、夕暮れの光に透かして見た。


『至高の特異点』。

『決して折れぬ芯』。


「……春馬くん。……君、本当は……私のこと、どんな風に見てたの?」

誰もいない病室で、彼女の声が震える。

カードに込められた「熱」は、濡れて形を変えた紙の感触を通じて、蒼奈の心へと確実に伝播していた。

春馬が「処分された」と信じ込んでいるそのカードは、今、蒼奈の手の中で、彼女の頬を最も熱く染め上げる「最強の爆弾」へと化していた。

一週間ぶりの、若宮蒼奈の笑顔。

それは、バニラアイスよりも甘く、そして春馬のどんな論理も及ばないほどに、幸福な輝きを帯びていた。

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