第8章 木の短剣に捧ぐ(7)
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もう何分経っただろう――?
始めは囃し立てていた周囲の冒険者たちも、いまはもう息をひそめてただ茫然と見ているだけになっている。
リンドはすでに息が上がっていた。
振れども振れどもどうやってもアルに命中しない。どころか、度々《たびたび》、アルが抜き放った剣の刃は確実にリンドの急所を捉えて寸でのところでぴたりと止められる。
もしこれが真剣だったなら、リンドはすでに肉塊となり果てていることだろう。
そうしてついにリンドは剣を振るうどころか構えることすら出来なくなった。
「はぁはぁはぁ……、くそっ、なんだこれは? こんなにも差があるのか? バケモンかよ……」
リンド自身これほどまでに打ちのめされたのは初めてのことだった。
訓練生の時に師範との模擬戦をやったことも数度あるが、これほど手も足も出ないなんて経験はなかった。
アルは息ひとつ乱れていない。
「君は、たぶんこう思っているだろう。これは僕が特別な存在だからだって――。違うよ。僕たち冒険者はみんな初めは君と同じなのさ。僕も今の君のように地面にはいつくばって自分の弱さを未熟さを徹底的に味わわされたことがあるのさ」
ルシアスは僕との稽古中に容赦がなかった。構わず木の棒をうちつけ、脛を払い、足をかけ、腕を取って投げ、膝を腹にうちつけた。
彼は本物の戦士だった。
それは戦場を知っているものとしては当然の稽古であり、弟子を思えばこその仕打ちでもある。
戦場において敵はこちらの命を奪うために何でもする。
そこに流儀や正々堂々などという甘えは許されない。
ただ、生き残り、相手を殺す。
そしてそれをアルは自身の大切な人の腕を失うという形で思い知らされてもいた。
「――今の君の実力では、僕には触ることすら出来ないということは分かってもらえただろう。それに、訓練生の稽古においては師範のものたちは必ず手加減をしている。それは、僕がそうお願いしているからだ。基本技術と反復訓練。これこそが戦闘において一番の自分の力になると僕は思っている。ただひたすらに、ただ実直に。そういう訓練を続けることで、体が自然に動くようになる。それは君も体験したことだろう」
周囲の冒険者の中にはこのアルの話をしっかりと理解しているものも多い。
銀級と銅級の大きな違いは技術の差ではない。ただ経験の差なのだ。
つまり、いくら技術が高かろうが、経験の足りないものは、いざという時の引き出しが少なく、自分の技術を頼みとする。しかし、それでは身体能力的に完全に人間を超越している魔物たちに対峙して、生き残れる可能性は非常に低くなるのだ。それほどに魔物の能力は危険だということを魔巣で魔物と対峙したものたちは身に染みて理解しているはずだ。
キャスリンの仲間たちも充分に魔巣外の魔物と戦って経験を積んだものたちだった。そして既定のクエスト数を消化して、栄えて銀級に昇格したのだ。
しかし、命を落とす結果となった。
キャスリンが言っていた、「あなたは知らない」とはそういうことを言っているのだと、銀級以上の冒険者たちはおそらく理解していることだろう。
「――リンド。君の勇気と気概は充分に僕に伝わった。だからこそ敢えて言う。君にはまだ魔巣攻略は無理だ。これはここにいるすべての先輩冒険者も同意見だと僕は信じている。そして、そんな君だからこそ、生きてほしいと僕は願っている」
ヒューゴがリンドに駆け寄って、肩を貸して立たせてやった。
「――リンド。胸を張れ、お前は冒険者だ。顔を上げて周りを見てみろ。お前の仲間たちは誰一人お前を愚か者だとは思ってないさ」
と、ヒューゴが皆に聞こえるように言葉をかけた。
その言葉に反応するように、周囲から拍手と歓声が沸き起こった。
――おお――!
――そうだそうだ!
――お前はよくやった!
――力尽きるまでギルマスに向かって行ったのは感動したぜ!
――ったく、見直したぜ!? 俺たちもこんな後輩がいるなら負けてらんねぇよなぁ!?
などと口々にリンドに賞賛を投げている。
「――朝早くから集まってもらって、すまなかった。僕が君たちに伝えたいのはそれだけだ。皆の活躍を期待している。いずれ君たち全員の力がこの世界を救うために必要となる日が来る。それまで、生きて、精一杯『冒険者』を楽しんでくれ。以上だ」
そう言ってアルは中庭を去ろうとした。
「ギ、ギルマス――!」
アルの背中に向かって叫んだものがいた。リンドだった。
リンドはよれよれの体に鞭を打って直立すると、アルの背に向かって正対した。
アルは、リンドに向き直ると、リンドに正対する。
リンドは自身の右手に握っていた木の短剣の切っ先をまっすぐ天に向け、その柄を目の前に掲げそして、右側方へと剣を払った。冒険者ギルド『木の短剣』流の抜刀時敬礼である。
やがて、剣を腰に帯刀すると、
「今日は稽古をつけてくださり、本当にありがとうございました!」
そう言って深々と頭を下げたのだった。




