第8章 木の短剣に捧ぐ(4)
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「そうか……。死者はなかったか。よかったな」
ルシアスはアルからの報告に端的に返した。
「はい。ですが、各国において魔巣の発見数が増加傾向にあります。それにつれて、野性魔物の被害報告もかなりの頻度で見受けられるようになっています」
とアルが応じた。
野性魔物というのは、魔巣からやってくる憑依型魔物や小鬼たちとは違い、もともとこの世界に生息していた動物たちが近隣の魔巣から放射される魔素の影響によって狂暴化したものであり、ランデル(大鹿)やグリズリー(大熊)などが大型でなかなかに厄介な魔物になる。他にもウルフ(狼)なども一般人民にしてみれば一つ間違えば命を落としかねない脅威となりえる。
「黒騎士の襲来はあれ以来息をひそめているが、アイツのことだ、まさかあきらめたわけではないだろう――」
ルシアスの脳裏にはあの竜族世界で対峙した黒騎士の姿が今も焼き付いている。
一年半ほど前、北の遺跡に押し寄せた黒騎士部隊との戦闘は何とか押しとどめることが出来たが、次もうまくいく保証などない。
まして、相手も二度目ともなればそれなりの準備を進めてくるに違いないのだ。そういう意味からもこの静寂は不気味と言える。次はどこに、どれほどの軍容で現れるのだろうか?
もしかしたら次こそはあの黒騎士自らが襲撃してくるかもしれないのだ。
アイツの強さにはルシアスもゼーデも抗えるかどうかわからない。前回はゼーデの機転と、目的が撃退ではなく、『世界の柱』の奪還だったため、かろうじて離脱することが出来たが、この世界に攻め込んでこられたら、撃退する以外にこの世界を守る術がないのだ。
「エリシアさんから逐一情報が上がってきてますが、今のところ大規模な魔巣の生成の気配は感じられないということです。次が無いとは思えませんが、いつになるかわからないものを気にしていても仕方がないのも事実です。僕たちは僕たちのできることを一日一日積み重ねてゆくほかありません――」
ルシアスにそう告げたアルは領主執務室を去っていった。それからすぐ後にアリアーデが部屋に入って来る。
「あら、アルはもう帰ったの?」
「ああ、ちょうど今しがたさ。廊下ですれ違わなかったか?」
「ああ、私、階段とは逆方向からだったから、行き違いになったようね。どう? アルの様子は?」
アリアーデは最近のアルの様子を慮って言った。
最近はアルとあまり話をしていない。ケイティやチュリ、レイノルド、ユーフェリアなどとはメルリアの稽古の加減でよく出会って話すのだが、アルはギルドの仕事に追われていて、なかなかタイミングが合わないのだ。
「責任感を持ってやってくれている。――と言えば、よく聞こえるが、ありゃあ相当思い詰めている様子だな……」
「それはそうでしょうとも。だって、なんだかんだ言って、私たちと一緒に世界を回っていた時や、ギルドの黎明期に在っては、あの子の周りで人が次々に死んでゆくなんてことはほとんどなかったんだもの。それがギルド『木の短剣』発足後、冒険者が次々に命を落とすようなことが起きてるんだから、思い悩むのも仕方ないわよ」
まさしくその通りだ。
冒険者が命を落とすことが始まったのは、『木の短剣』が発足してからのことで、それまでは実は「冒険者」として依頼にあたっている最中に命を落とすものは一人もいなかったのだ。
「自分が至らないからだと、思い詰めても仕方がない、というところなのだろうが、実際のところ、それまでに死者が出なかったのが奇跡のようなもので、魔物の被害者がいなかったわけではないのだがな……。俺たちのように戦場を知る者からすれば多少の犠牲は致し方ないことだし、むしろこの程度の死者数で済んでいることの方が驚くべきことなのだが、アイツはそう思わないだろうしな」
「あの子は戦争を知らないし、これまであの子の周りでこんなに人が死んだこともないだろうから……。しかもその『死』の原因がギルドの依頼行動中だとなれば、それを指示しているのが自分だと思い詰めてしまうのもわかるわ。ルシアス、しっかり見てあげないと……。あの子が心配だわ」
そんな二人の会話だったが、まさしくそんな二人の心配がある事件となって表面化することになる。
それはその日から3日後に起きた。
ことの発端は、見習い冒険者の訓練にあたっている師範代の二人の他愛もないおしゃべりからだった。




