嵐の前触れ
「エルカ様……っ!」
旧錬金棟の重い鉄扉が乱暴に開かれ、肩で息をしたフィリアが飛び込んできた。
その顔は血の気を失って真っ青になり、琥珀色の瞳は激しい動揺と恐怖で小刻みに揺れている。
「おかえりなさい。……騒々しいですね。まずは深呼吸をして呼吸を整えなさい、酸素の無駄遣いです」
私は作業台に広げた羊皮紙から視線を上げず、冷徹にペンを走らせていた。
「あの、私……演習場で、騎士科のガルディス先輩を……っ。言われた通りに手甲を当てたら、大剣が粉々になって、先輩が壁にめり込んじゃって……!」
「ええ、知っていますよ」
「えっ……!?」
私は羽ペンをインク壺に戻し、作業台の上に置いていた薄い硝子盤をトントンと指先で叩いた。
そこには、今朝私が演習場の周囲に仕掛けておいた微弱な魔力センサーの計測波形が、青く澄んだ幾何学グラフとなって克明に記録されていた。
「大剣の雷撃属性を吸収し、生体強化エネルギーへ反転。出力はおよそ推定値の九十二パーセント。……初動の動作確認としては、満点に近い数値です。よくやりました」
「ほ、褒めてもらえるのは嬉しいですけど……っ! 演習場中が大騒ぎになって……先生たちも顔を真っ赤にして叫んでいて……私、退学どころか、牢屋に入れられちゃうかもしれません……!」
フィリアは今にも泣き出しそうに両腕を抱え込み、黒革の手甲をぎゅっと握りしめた。
無理もない。
この学園において、特権階級の貴族に傷を負わせることは、平民や没落貴族にとって死刑宣告に等しい絶対のタブーなのだから。
「落ち着きなさい。正当防衛の範囲内であり、相手が先に殺傷性の極めて高い雷撃術式を展開した証拠は、この波形データが証明しています」
「で、でも……貴族の方たちが、そんな理屈を聞いてくれるはずが……」
その時だった。
――ピピピピピピッ……!!
朝のうちに工房の外周へ張り巡らせておいた検知線が、けたたましい共鳴音を鳴り響かせた。
一つや二つの反応ではない。
十数人規模の、洗練された高密度の魔力反応が、旧錬金棟の敷地を急速に取り囲んでいく。
「ひっ……!?」
フィリアが怯えて耳を塞ぎ、身を縮める。
直後、ドォン! と外壁を激しく揺らすような衝撃音が響いた。
「――旧研究棟内の不届き者に告ぐ! 速やかに武装を解除し、扉を開けなさい!」
外から響いてきたのは、張り詰めた、だが凛とした少女の甲高い声だった。
割れた窓ガラスの隙間から、特製の錬金硝子越しに外を見下ろすと、そこには白と金を基調とした風紀隊の制服を着たエリート魔術師たちが、杖を構えて建物を完全包囲していた。
そしてその先頭に立つのは――
見事なピンク色の髪を優雅な縦ロールに巻いた一人の美少女。
胸元には学園最高位の象徴たる紅蓮の徽章が誇らしげに輝いている。
「アシュフォードの出来損ない、並びに魔力ゼロの赤毛の特待生! 貴女たちに、騎士科特待生ガルディス卿への殺人未遂および重大傷害の容疑がかけられていますわ! 生徒会副会長――セリア・フォン・ヴァレンシュタインが、直々に身柄を拘束いたします!」
きらびやかな魔導杖をビシッとこちらに向け、冷徹に通告してくるピンク髪の公爵令嬢。
「セリア様……生徒会副会長で、学園屈指の天才魔術師様です……っ! ど、どうしよう、エルカ様……っ!」
ガタガタと震えるフィリア。
私は深く、心底だるそうにため息を吐きながら、ギシギシと鳴る木製椅子から立ち上がった。
「……夕方の静かな時間を邪魔されることほど、不快なものはありませんね」
だらしない白衣のポケットに両手を突っ込み、ボサボサの赤毛を鬱陶しそうにかき上げる。
メガネの奥のジト目には、冷え切った絶対零度の光が宿っていた。
「フィリア。お茶の湯を沸かしておきなさい。……少々、害虫を駆除してきます」




