演習場の雑用係(後編)
――ガキィィィィィンッ……!!
金属と金属がぶつかり合う鈍い音ではない。
それは、大気の理そのものが強引に書き換えられたかのような、耳をつんざく高周波の共鳴音だった。
「なっ――!?」
振り下ろしたガルディスの顔から、残忍な笑みが一瞬で消し飛んだ。
彼の大剣に纏われていたはずの猛烈な青い雷撃――何重にも緻密に編み込まれていたはずの魔術式が、フィリアの手甲に触れた瞬間、まるで水滴が焼けた鉄板に触れたかのように一瞬で霧散したのだ。
「馬鹿な……術式が、消えた……!? いや、それ以前に――なぜ刃が止まっている!?」
ガルディスの渾身の一撃。体重と筋力、そして魔力加速を乗せた一振りは、華奢な少女の小さな手のひら一枚によって、ピタリと静止していた。
大地を砕くはずだった衝撃のすべてが、黒革と銀金具の手甲の内部へと吸い込まれていく。
(エルカ様の……言った通り……!)
フィリアの琥珀色の瞳が見開かれる。
痛くない。重くない。
ガルディスが放った暴虐なエネルギーが、手甲を通じて自分の体内の魔力循環と完全に同期していく。
――百年前。
かつてアシュフォード家の開祖であり、王国の英雄と呼ばれた男――レオン・アシュフォードもまた、現代の魔法使い共から「魔法の使えない異端者」と呼ばれていた。
体外へ魔力を放出して火や氷を生み出す才能がない代わりに、魔力を己の肉体――筋肉、骨、神経の極限にまで圧縮・定着させる生体強化の怪物。
だが、生身の肉体には魔力の循環限界がある。過負荷で自壊しかけていたその男に、当時の王立筆頭錬金術師は、己が創り上げた魔導具を授けてこう言ったのだ。
『愚直な筋肉バカめ。漏れ出た魔力と敵の衝撃をこの装甲で受け流し、運動エネルギーへと反転させなさい。……お前のその歪な魔力は、欠陥ではなく世界を砕くための“核”なのだから』
百年の時を超え。
かつて相棒の命を支え、共に戦場を駆け抜けた錬金術が、末裔である少女の腕で目を覚ましていた。
『循環効率は設計値通りです。あなたの魔力漏出をわずか二割利用しただけで――小型の攻城兵器並みの衝撃圧が出せます』
工房で聞いた、あの淡々とした、だが絶対の信頼を帯びた少女の声。
フィリアの胸の奥底で、百年間「裏切り者」「落ちこぼれ」と蔑まれ、凍りついていた血が、激しく熱く脈打った。
(私は……落ちこぼれなんかじゃない! エルカ様が、私を信じてくれたんだから……っ!)
フィリアは無意識のうちに、手甲の平をわずかに押し込んだ。
ただ、ほんの数センチ、腕を前に押し出しただけだった。
その瞬間――手甲の幾何学模様が、目も眩むような銀色の燐光を爆発させた。
ズドォォォォォォォンッ……!!!!
演習場の大気が爆縮し、全方位へと凄まじい衝撃波が吹き荒れた。
「ぎゃああああああああっ!?」
ガルディスの口から、情けない悲鳴が迸る。
彼が誇る最高品質の魔導大剣は、フィリアの手甲が触れていた側面から、まるで飴細工のように木っ端微塵に砕け散った。
それだけでは終わらない。
大剣を伝って逆流した圧倒的な衝撃圧が、ガルディスの全身の魔導装甲を一瞬で粉砕。
体重八十キロを超える鍛え上げられた巨体が、まるで突風に煽られた木の葉のように真後ろへと吹き飛んだ。
ドガァァァァンッ……!!
三十メートル以上も弾丸のように宙を舞ったガルディスは、演習場の外縁にある分厚い石造りの防護壁に激突し、クレーター状に壁をへこませて瓦礫の中に崩れ落ちた。
白目を剥き、完全に意識を失っている。
「ガ、ガルディス……様……?」
後ろで見ていた取り巻きの男子生徒が、腰を抜かして床にへたり込んだ。
砂煙がゆっくりと晴れていく。
静寂。
演習場にいた数百人の生徒、そして指導に当たっていた騎士科の教官たち全員が、呼吸すら忘れてその光景に凍りついていた。
「おい……嘘だろ……?」
「騎士科特級のガルディス様が一撃で……?」
「大剣を……素手でへし折ったのか……!?」
「あいつ、アシュフォードの落ちこぼれだぞ……!? 魔法適性すらないはずの雑用係が、なんであんな――」
ざわめきが波のように広がり、やがて恐怖と畏怖の混じったどよめきへと変わっていく。
裏切り者の烙印を押され、泥の中を這いつくばらされてきた一族の末裔が、特権階級の誇りを文字通り粉々に粉砕した瞬間だった。
その混乱の中心で、フィリアはおずおずと突き出していた両腕を下ろし、自分の手のひらを見つめた。
「あ……」
手甲はすでに燐光を収め、何事もなかったかのように冷たい革の感触を取り戻している。
瓦礫に埋まってピクリとも動かないガルディスと、粉々になった大剣の破片。
恐怖はない。
胸を満たしているのは、温かな光と、自分を暗闇から引きずり出してくれた唯一の主への、止めどない感謝と敬愛だった。
「ひぃっ……! 化け物……化け物だぁぁっ!」
取り巻きの生徒が悲鳴を上げながら、気絶したガルディスを引きずって逃げ出していく。
誰一人として、フィリアに近寄ろうとする者はいなかった。
嘲笑と蔑視で満ちていた視線は、今や完全な『理解不能な強者』を見る目へと塗り替えられていた。
「……早く、帰らなきゃ」
フィリアは手甲を大事そうに胸元で抱きしめると、ざわめく演習場に背を向け、小走りで駆け出した。
報告しなければならない。
自分を信じてこの力をくれた、あのボサボサ赤毛の主様のもとへ。




