演習場の雑用係(前編)
砂煙と金属の打ち合う音が響く、王立魔法学園の実技演習場。
そこは、血統と天賦を誇るエリートたちがその武威を競い合う、選民思想の縮図のような場所だった。
華美な魔導装甲を纏った騎士科の生徒たちが剣を振るい、きらびやかなローブを着た魔法科の生徒たちが火や氷の術式を放っては歓声を上げている。
その熱狂の最果て、日陰になった用具置き場で、フィリア・アシュフォードは一人、重い鉄製の的を運んでいた。
「ふぅ……っ、んっ……!」
華奢な身体には不釣り合いな、分厚い鋳鉄の的。
本来なら三人以上で運ぶべき重量物だが、周囲の生徒たちは誰一人として手を貸そうとしない。それどころか、すれ違いざまに冷たい蔑みの視線を投げかけてくる。
「見ろよ、アシュフォードの出来損ないだ」
「裏切り者の末裔に、この神聖な演習場を踏む資格などないのにな」
「雑用係として置いてやっているだけでも、学園の温情というものよ」
刺さるような陰口に、フィリアはきゅっと唇を噛みしめ、うつむいた。
慣れっこだった。
百年前、魔族との決戦で味方を危険に晒して逃亡したとされる大罪人――レオン・アシュフォード。
その汚名を背負わされた一族は没落し、末裔であるフィリアは学園内で「無能な裏切り者の血筋」として、あらゆる理不尽な雑用を押し付けられてきた。
だが、今日のフィリアは、いつもと少しだけ違っていた。
(……重くない)
フィリアは自分の細い両腕を見下ろした。
擦り切れた制服の袖口から覗く、黒革と銀金具の手甲。
今朝、あのボサボサ赤毛の無気力な少女――エルカが授けてくれた魔導具だ。
いつもなら腰が砕けそうになる重い鋳鉄の的が、まるで樫の木の板でも持っているかのように軽く感じる。
手甲の内側からじんわりと温かい感覚が伝わり、手首や腕の負担をすべて肩代わりしてくれているようだった。
(エルカ様が……私なんかのために作ってくれた、大切な魔導具……)
『学園内でもその手甲は外さないように。万が一の害虫駆除に使えますから』
エルカの淡々とした声を思い出し、フィリアの胸の奥がじんわりと熱くなる。
生まれて初めて、誰かに自分の存在を認められ、価値を与えられたような気がしていた。
指定された演習場の端に的を据え置き、額の汗を拭ったその時だった。
「――おい、アシュフォード」
頭上から、押し殺したような鋭い威圧の声が降ってきた。
顔を上げると、そこには見下すような笑みを浮かべた男子生徒が立っていた。
金糸の刺繍が施された特級クラスの制服。胸元には騎士科の上級生を示す銀の鷲の徽章。
その背後には、昨日旧錬金棟でエルカに論破されて逃げ帰った男子生徒――顔にまだ微かな煤の跡を残した取り巻きの姿があった。
「ガルディス様……あいつです! あの出来損ないの工房にいる赤毛の無能が、私を愚弄したのです!」
「ほう……なるほどな」
ガルディスと呼ばれた大柄な男子生徒は、腰に佩いた大剣の柄に手をかけた。
騎士科でも上位に名を連ねる名門貴族の嫡男であり、傲慢さと攻撃性で知られる実力者だ。
「アシュフォードの落ちこぼれ。お前のところに転がり込んできたあの赤毛の寄生虫が、我が派閥の後輩に恥をかかせてくれたそうだな?」
「ひっ……! が、ガルディス様……! それは、その……!」
フィリアは恐怖で後ずさりした。
ガルディスの実力は学園内でも本物だ。彼の放つ雷撃魔術を纏った剣技は、並の防護結界すら容易く両断すると噂されている。
「後輩が受けた侮辱は、派閥の長である俺が晴らさねば示しがつかん。……とはいえ、あちらの赤毛は魔力ゼロの欠陥品。俺が直接手を下すのも沽券に関わる」
ガルディスは凶悪な笑みを深め、ジャキリと大剣を引き抜いた。
青白いバチバチという激しい雷光が刀身を包み込み、演習場の空気をビリビリと震わせる。
「だからお前だ、フィリア。裏切り者の一族の分際で調子に乗った罰として……俺の新しい術式の『的』になってもらおう」
「な……っ!? そ、そんな……私、防具も着けていません……! 当たったら死んじゃいます……!」
「安心しろ、急所は外してやる。……手足を二、三本へし折られるだけで済むよう、神に祈るんだな!」
周囲の生徒たちが異変に気づいて足を止めるが、ガルディスの威光を恐れて誰も止めに入ろうとはしない。
教師たちすら、「アシュフォードへの教育的指導」と見て見ぬ振りを決め込んでいた。
逃げ場はない。
青い雷撃がガルディスの大剣に凝縮され、凄まじい熱量と電位差がフィリアの肌をチリチリと焼く。
(嫌……怖い……っ!)
恐怖で足がすくみ、涙が溢れそうになった瞬間――
フィリアの脳裏に、今朝の工房での光景が鮮烈にフラッシュバックした。
『いいですかフィリア。相手の攻撃を避ける必要はありません』
小さな身体にだらしなく白衣を羽織り、丸メガネの奥から真っ直ぐに自分を見つめてくれた、あの冷徹で絶対的な瞳。
『大振りな軌道に合わせて、手甲の手のひらを軽く押し当てるだけで十分です。……それが、あなたが本来持っている力です』
(エルカ様……!)
フィリアはぎゅっと奥歯を噛み締めた。
もう、怯えて泣くだけの自分には戻りたくない。
エルカが授けてくれたこの手甲が、自分の力を証明してくれるのだと信じて。
「死ねッ! 『雷刃爆砕』!」
ガルディスが大地を蹴り、雷光を纏った凶悪な大剣を、頭上から容赦なく振り下ろした。
暴風のような殺気が迫る中、フィリアは震える両腕を持ち上げ――銀金具の手甲を、迫り来る雷刃の側面へと真っ直ぐに差し出した。




