筆記満点の腫れ物
学園の午前講義は、私にとって退屈と睡魔との果てしない戦いだった。
白亜の石造りで組まれた大講義室は、すり鉢状に席が並び、百人近い生徒を収容できる無駄に豪奢な作りになっている。
前方の席を占めるのは、仕立ての良いローブを身にまとった上流貴族の令息令嬢たちだ。彼らは家柄と才能を誇示するように、羽ペンを走らせて教授の言葉を熱心に書き留めている。
一方、私はといえば――最後列の最も日当たりの悪い角席で、頬杖をついて深くため息を吐いていた。
(……非効率。非論理的。聞いているだけで頭の細胞が壊死しそうです)
壇上で髭面の教授が、黒板に仰々しく数式を書き連ねながら熱弁を振るっている。
「――諸君、刮目せよ! これぞ我が学園が誇る至高の魔導力学、第三基礎定理である! 魔力を体外へ放射する際、螺旋状に回転を与えることで大気抵抗を減衰させ、威力を一・五倍へと昇華させる門外不出の極意――!」
生徒たちから「おお……」「さすが教授」と感嘆の吐息が漏れる。
私は鼻梁の丸メガネを人差し指で押し上げ、特製の錬金硝子越しにその黒板をジト目で睨みつけた。
(……何を威張っているのですか、あの無精髭は。大気に回転魔力を乗せれば周囲のエーテルと干渉摩擦を起こし、魔力損失が二割発生する。そんな欠陥理論、百年前の初期論文でとっくに否定されて破棄された遺物ですよ)
百年という歳月は、人間を進化させるどころか、ただ過去の遺産を劣化コピーして形骸化させただけらしい。
現代の魔法使いたちは、現象の『理屈』を理解しようとせず、先人が遺した呪文や術式を「神聖な型」として盲信しているだけなのだ。
ため息をもう一つ噛み殺し、私は講義用ノートの裏表紙に視線を落とした。
サイズが合っていないだぶだぶの制服の袖口から細いペン先を走らせる。
カリカリ、カリカリ。
私が記しているのは、講義の板書などではない。
学園最深部に眠る最高機密――『深奥の大書架』へ侵入するための結界バイパス回路の逆算式だ。
(本校舎地下の防護結界は、十二基の魔導杭で支えられている。……ですが、旧錬金棟の地下を通る第三ラインだけは、百年前の私の工房に直結していた関係で、安全弁の構造がそのまま残っているはず。そこへ特定の周波数の反転触媒を流し込めば……警報を鳴らさずに扉をハッキングできますね)
数式が綺麗に組み上がっていく快感に、思わず口元がわずかに緩む。
その時だった。
「おい、見ろよあの赤毛」
「授業中ずっとノートの裏に落書きしてるぞ」
「筆記だけ満点の暗記馬鹿だからな。実技ができない劣等感を、意味不明な図形を描いて誤魔化しているのよ」
前の席に座る貴族生徒たちが、チラチラとこちらを振り返りながらヒソヒソと嘲笑を交わしている。
入学初日に『魔力適性ゼロ』の判定を受け、最果ての廃墟へ追放された赤毛の少女。
学園の生徒や教師たちにとって、私は「触れてはいけない学園の面汚し」であり、同時に格好の陰口の対象だった。
誰一人として話しかけてこないし、隣の席は綺麗に空いている。
(……素晴らしい。実に合理的で快適な環境です)
話しかけられれば思考のリソースを消費するし、友人ができれば無駄な付き合いに時間を奪われる。
腫れ物扱いされているおかげで、誰にも邪魔されず講義中に潜入調査の計算に没頭できるのだから、これ以上の贅沢はない。
やがて、キィィン……コォォン……と講義の終了を告げる鐘が鳴り響いた。
「本日の講義はここまで! 午後は各自、実技演習場で魔導実習に励むように!」
教授が羊皮紙をまとめて立ち去ると、講義室は一気に騒がしくなった。
生徒たちが実技の話題で盛り上がりながら三々五々と退出していく。
実技の受講資格を剥奪されている私には、午後は丸ごと自由研究の時間だ。
私はノートを懐にしまい、だらしなく白衣を羽織り直して席を立った。
講義室を出て、白亜の渡り廊下を歩く。
中庭を挟んだ向こう側――広大な砂煙が上がる実技演習場へと視線を向けた。
そこでは騎士科や魔法科の上級生たちが、派手な魔法や剣技を披露して歓声を浴びている。
そしてその片隅で、みすぼらしい灰色のローブを着た銀髪の少女が、重そうな鉄の的や木剣を必死に抱えて運んでいるのが小さく見えた。
(……フィリア、ですか)
今朝渡した、黒革と銀金具の手甲。
彼女の細い両腕には、しっかりとあの魔導具が装着されていた。
(相方の血を引く者が、あんな雑魚共にいいように使われているのは少々癪に障りますが……まあ、言いつけ通り手甲を外していなければ、怪我をすることはないでしょう)
もし誰かが彼女に手を出そうものなら、どうなるか。
今朝の鉄塊の吹き飛び方を思い出し、私は目を細め、小さく口元を吊り上げた。
「さて……夕方のデータ回収を楽しみにしつつ、私は工房の薬草畑でも開墾するとしましょうか」
誰にも邪魔されない我が城へ向けて、私は気怠げに足を速めた。




