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赤毛の錬金術師は研究以外に興味がない〜魔力ゼロで追放された元筆頭錬金術師、オワコン学科から始める100年越しの復讐と学園無双〜   作者: あかぱん
黒い滓の盃

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過去と現在

大講堂を満たしていた狂熱が、急速に冷え込んでいく。

焦土と化した床の中央で、ヴァルガは自らの脇腹に左手を当て、じゅうじゅうと肉を焼き固めていた。痛みに顔を歪めることすらなく、その金色の瞳はまるで値踏みをする商人のように静まり返っている。


「……おや、急に大人しくなりましたね。自慢の腕力で押し切るのではなかったのですか?」


私は黒のインナー姿のまま、露出した右腕の魔導刻印に意識を集中させ、次のアンプルを指の間に挟み込んだ。

呼吸を整えつつ、相手の重心のわずかな変化を警戒する。

手応えは確かにあった。私の放った熱線は奴の左脇腹の筋肉を抉り、肋骨を焼き折っているはずだ。だが、この男の体幹には一切の乱れがない。それどころか、獣のような狂暴さを脱ぎ捨てたことで、先ほどよりも遥かに読みづらい脅威へと変貌していた。


「ハッ、減らず口を叩く余裕があるなら上等だ。……だがよぉ、嬢ちゃん」


ヴァルガは低く笑いながら、視線をわずかに上方へ向けた。

破壊された大講堂の天井の亀裂。そこから覗く紫黒の空の彼方――学園の正門および外郭防衛ラインを、男の冷徹な眼光が正確に捉えていた。


「遠くの空で上がってた紫電の魔力……ありゃ生徒会長のやつだな。結界の崩壊に乗じて正門へ突っ込ませたうちの別動隊は、この学園の生徒会と警備隊の連中に完全にすり潰されたらしい」


「……随分と耳聡いことですね」


「この稼業で生き残るための基本だ。旧研究棟のバルドとファルクの気配は完全に消え、外の部隊も全滅。そして俺の目の前には、白衣一枚を囮にして俺の脇腹を消し炭にするような化け物染みた術士がいる」


ヴァルガは肩を竦め、構えていた両拳の力をふっと抜いた。

全身を覆っていた黒紅の獄炎が、煙を上げて静かに鎮火していく。


「――割に合わねえ。完全な大赤字だ」


「……撤退、ですか? 『喰罪スコリア』の頭領ともあろう男が、ずいぶんと潔い判断ですね」


「狂ってなきゃこの裏稼業は務まらねえが、引き際も見極められねえ馬鹿はただの犬死にだ。テメエとここで刺し違えて王女の首を獲ったところで、俺まで瀕死になっちまったら誰が残りの報酬を受け取るよ」


男は血に濡れた口元を手の甲で無造作に拭うと、ニヤリと口端を吊り上げ、私の顔をじっと覗き込んできた。

その瞳には、先ほどの狂戦士のそれとは違う、人の急所を抉るような狡猾な光が宿っている。


「……それにしても、魔力なしで物理現象を上書きするその技術。嬢ちゃん、どこでそんなイカれた細工を拾ってきた?」


「……何が言いたいのです?」


「昔、古い記録を漁ったことがあってな。百年前、帝国の魔術体系をひっくり返したとんでもねえ錬金術師と……そいつの周りで起きた、反吐が出るほどきな臭ぇ事件の話だ。ただの眉唾の昔話だと思ってたが――」


ヴァルガはわざとらしく視線を泳がせ、喉の奥でくつくつと嘲笑を漏らした。


「今回の依頼人から漂う匂いが、どうにもその『百年前の事件』と重なるんだよなぁ。テメエのその技を見た瞬間、嫌な確信に変わったぜ」


「……っ」


「おっと、目が泳いだぜ、嬢ちゃん? ……そうか、テメエもその『昔話』の亡霊を追っかけてる口かぁ?」


男は私のわずかな反応を見逃さず、愉悦に満ちた笑みを深める。


「教えてやろうか? 今回の依頼人は、テメエが思ってる以上に底が知れねえ化け物だ。百年前の事件も、今回の暗殺も……全部テメエのすぐ手の届く場所に転がってるぜ? せいぜい踊らされないよう、足元には気をつけるこったな」


あからさまな揺さぶり。

だが、その言葉の節々に混ざる確かな毒が、私の冷徹な計算の奥へ冷ややかに突き刺さる。


「……安い挑発ですね」


「ハッ、挑発と思うならそれでいいさ。――じゃあな、白衣の嬢ちゃん」


ヴァルガが懐から黒い魔導結晶を取り出し、床へと叩きつけた。


「逃がすと――ッ!」


私が即座に手を伸ばそうとした刹那、結晶が炸裂した。


――カァァァァァッ!!


視界のすべてを真っ白に焼き尽くすほどの閃光と、超高密度の遮蔽煙幕が講堂全体を瞬時に覆い尽くす。

視覚だけでなく、エーテルの探知波形すら強烈に撹乱する特製の煙幕。


「くっ……!」


私は腕で目元を庇い、即座に風の術式で煙を吹き飛ばした。

しかし――濛々と立ち込める白煙が晴れた大講堂には、溶け崩れた大理石と冷たい夜風が吹き抜けているだけだった。

ヴァルガの気配は完全に消失し、本館の奥深い闇の中へと溶け去っていた。


「……ちっ。逃げ足の速さだけは一流ですね」


私は丸メガネの位置を中指で静かに直すと、長いため息を吐き出した。

露出したインナーの裾を払い、周囲の安全を魔導波形で再確認する。戦闘の継続反応はゼロ。敵の首魁は完全にこの場を離脱した。


「エルカ様……!」


瓦礫の陰から、クラリスが足をもつれさせながら駆け寄ってきた。

その瞳には涙が浮かび、私の薄着の姿と焦土と化した講堂を見回して言葉を詰まらせている。


「ご無事ですか……!? お怪我は……その、お洋服が……!」


「私の服の心配よりも、ご自身の身の安全を喜ぶべきですよ、殿下」


淡々と返しつつ、私は大講堂の天井の穴から、静けさを取り戻しつつある学園の夜空を見上げた。

冷たい夜風が、露出した肩を撫でていく。


(……百年前のきな臭い事件、そして今回の依頼人、ですか)


ヴァルガの残した嘲笑交じりの挑発を、頭の中で精査する。

相手の狙いは心理戦による動揺の誘発。だが、出鱈目の嘘ではない。

学園の結界管理、旧研究棟への正確な別動隊の配置、そしてこの襲撃のタイミング。

外部の一組織が単独で突破できる領域を遥かに超えていた。


(……もっと大きな黒幕、それは嘘ではなさそうです)


メガネの奥の双眸をすっと細め、私は宵闇の奥を冷徹に見据えていた。

その瞳の奥にあるのは、惑わされた迷いではない。

百年の時を超えて果たすべき、静かなる精算の誓いだった。

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