狂刃のヴァルガ
「下がっていなさい、殿下。……一歩でも前に出れば、一瞬で消し炭になりますよ」
私はクラリスを背後へ押し込み、瓦礫の陰からゆっくりと歩み出た。
白衣の裾を揺らしながら、丸メガネのブリッジを中指で静かに押し上げる。
「ずいぶんと短気な頭領ですね。お行儀よく待つという知能は持ち合わせていなかったのですか?」
「ハッ……! 口の減らねえ女が出てきたな。白衣を着たガキが、王女の護衛気取りか?」
男は拳を鳴らし、濁った金色の瞳で私を品定めするように見つめた。
その全身から立ち上る血の気配は、先ほどの男たちの比ではない。何百、何千という命を断ち切ってきた者だけが纏う、濃密な死線の匂い。
「俺は『喰罪』が頭領、『狂刃』のヴァルガだ。……バルドとファルクを屠ったのは貴様か?」
「さて、どうでしょうね。ただ――少なくとも私と王女が無傷でここまで来られたということは、その二人とやらも大した障害ではなかった、ということでしょう」
私は冷ややかに口元を歪め、視線を足元の瓦礫へと落とす。
「……あなたの首を獲るついでに、その散らかした本館の掃除もしていただきたいのですが」
「ハッ、言ってくれるじゃねえか……!」
ヴァルガの口元が三日月のように吊り上がった。
狂気の笑み。刹那、男の両拳から黒紅色の不吉な炎が爆発的に噴き上がる。
「あの二人は俺の次に強かった。それを殺ったってんなら……面白い。テメエがどんだけ強えのか、その体にじっくり聞かせてもらうぜ!」
――ズドォォンッ!!
踏み込みの衝撃で足元の敷石が放射状に爆砕し、一瞬で超高熱の熱風がホールを満たした。
視界から完全に消えるほどの超初速。
刹那――私の眼前へ、黒紅の獄炎を纏った拳が閃光のように肉薄していた。
「灰になりなァッ!!」
「短絡的……ですね」
私は身じろぎ一つせず、白衣のポケットから取り出した細身のアンプルを指先で弾いた。
――キィィィンッ!
私の周囲わずか数センチの空間に展開された、六角形の幾何学障壁――『極小多重偏光結界』。
ヴァルガの獄炎拳が結界に衝突した瞬間、火花と共に強烈な偏向フィールドが働き、炎の熱量と物理衝撃のベクトルを強引に天井方向へと跳ね上げた。
「なに……ッ!?」
「粗雑な力任せなど……まさか通用するとは思ってませんよね?」
私は跳ね上がったヴァルガの無防備な胸元へ、掌を静かに向けた。
袖口に仕込んだ魔導触媒へ、瞬時に別の術式を叩き込む。
「大気よ、圧を束ねて穿て」
――ドバァァァンッ!!
掌から零距離で放たれた超高圧の衝撃波が、ヴァルガの巨躯を真っ正面から吹き飛ばした。
男の身体はホールの石柱を一本へし折り、瓦礫の山へと激しく激突する。
「エルカ様……!」
物陰からクラリスが歓声を上げかけたが、私の表情は微塵も緩まなかった。
「……喜ぶには早すぎますよ、殿下。今ので死ぬタマなら、最初からこんな大掛かりな結界など張りに来ません」
濛々と立ち込める白煙の奥から、低く、愉悦に濡れた笑い声が響いてきた。
「カッカッカッ……! いいねえ、最高だ! 魔力を感じねぇのに古代術式……!おもしれぇじゃねぇか!」
吹き飛ばされたはずの瓦礫が、赤黒い超高熱によってドロドロのマグマへと融解していく。
立ち上がったヴァルガの全身を覆うのは、大気を歪め、床を溶かすほどの高密度な獄炎の衣。
男は首をポキリと鳴らし、狂気に濁った金色の瞳を爛々と輝かせた。光を帯びて輝いていた。




