白霧の死闘
――ズガァァァンッ!!
超高圧水流の槍が、白く霞む中庭の大気をねじ切るように直進する。
標的の急所を正確に捉えたはずの一撃。
だが――百戦錬磨の暗殺者は、その極限の直線上ですら完全に捉え切ることはできなかった。
「なめられたものだな……学生風情がァッ!」
ファルクは空中で体を不自然にひねり、二振りの曲刀を交差させて水流槍の切先へと叩きつけた。
――キィィィンッ!
凄まじい水圧と鋼が擦れ合い、耳障りな甲高い摩擦音が響く。
水流の芯はわずかに逸らされ、ファルクの左肩と脇腹の肉を深々と抉り飛ばすに留まった。
血飛沫が霧の中に混ざり、赤い靄となって散る。
「致命傷を外しましたわ……!?」
セリアが息を呑む。
左半身を真っ赤に染めながらも、着地したファルクの右目の殺気は一段と鋭く研ぎ澄まされていた。
「小細工で俺の影を暴き、ここまで善戦したことは褒めてやる。……だが、それだけで勝てると思うなよ」
ファルクが右手の曲刀を逆手に構え直す。
傷口から滴る自らの血を曲刀に塗りつけると、刃が赤黒い光を放ち、影ではなく血の魔力を用いた異様な加速術式が起動した。
「クロエさん、下がって――ッ!」
セリアが叫ぶが、全魔力を注ぎ込んで撃ち放ったクロエの足は、極度の魔力枯渇で鉛のように重く、動かない。
「クロエさん……!」
セリアは落ちていた魔術杖を拾い上げる間もなく、自らの身体をクロエの前へと割り込ませた。
手負いとはいえ、ファルクの踏み込みは一瞬。
赤黒い刃が、セリアの喉元めがけて閃光のように突き出される。
「まずは貴様から首を落とす、公爵令嬢――!」
死の刃を前にして、セリアは目を逸らさなかった。
自らの両手を広げ、掌をファルクの踏み込んだ足元――地面の水たまりへと向けた。
「……エルカ様が、言っていましたわ」
迫り来る死の刃を前にして、セリアの瞳は極限まで冷静だった。
魔力杖のない素手を突き出し、掌をファルクの踏み込んだ右足の直下――敷石と水たまりの隙間へと向ける。
「『――大気を操るとは、圧力の勾配を支配することだ』と!」
「なに……!?」
「大気よ、圧を奪いて空隙を爆ぜよ――ッ!!」
セリアが発動したのは、突風を吹き付ける魔法ではない。
ファルクが踏み締めた右足の接地面だけの大気を極限まで排他し、『局所的な真空』を作り出したのだ。
大気圧の支えを失った敷石の上の水分が一瞬で沸騰・蒸発し、靴底の摩擦係数はゼロに落ちる。
さらに、周囲の空気がその真空の空隙を埋めようと超高速で殺到し、水圧と気圧が一点で激突――強烈な『爆縮反動』が真下から炸裂した。
「なっ……!?」
どれほどの達人だろうと、摩擦と重力の足場を狂わされては技も踏み込みも成立しない。
完璧だったはずの刺突のベクトルが真上へと跳ね上げられ、ファルクの身体が完全に無防備な状態で宙へと弾き飛ばされた。
その隙を、クロエが見逃すはずはなかった。
「クロエさん、今ですわッ!!」
「うわあぁぁぁぁぁッ!!」
クロエは右手を強く突き出し、指輪の宝石に指の皮が破れるほどの魔力を流し込んだ。
先ほどのような巨大な槍ではない。
極限まで細く、針のように研ぎ澄まされた、目に見えないほどの極細超高圧水流カッター。
「水よ、針となりて心臓を貫け――ッ!!」
――ピシュゥゥッ!
音すら遅れて届くほどの極微細な一閃。
空中で体勢を崩したファルクの胸部――『喰罪』の紋章の中心を、正確に針が貫通した。
「が、はっ……!?」
ファルクの胸から細い血煙が背中へと抜け、男の身体が力なく敷石へと叩きつけられた。
曲刀が指から滑り落ち、硬い音を立てて転がる。
「……この俺が……ただの、学生に……」
虚ろになった目で霧の空を見上げながら、ファルクは吐血し、そのまま意識を完全に失って動かなくなった。
周囲を覆っていた霧が、風に流されてゆっくりと晴れていく。
「……か、勝て……ましたの……?」
セリアが血のにじむ脇腹を押さえながら、その場にへたり込んだ。
「セリアさんっ……! あ、足が震えて……立てません……!」
クロエも魔力切れで膝から崩れ落ち、涙目でセリアの元へと這い寄る。
二人は傷だらけになりながら、互いの無事を確かめ合うように手を握りしめ、泥と血に汚れた顔で小さく笑い合った。
「……エルカ様に、少しは誇れる結果を残せましたわね」
「はいっ……! 本当に……!」
だが、安堵の時間は長くは続かなかった。
旧研究棟の地下入口の方向から、空気を圧殺するような重厚な地響きと、激しい金属の交錯音が轟いたからだ。
――ゴォォォンッ!!
残されたもう一人の幹部、『鉄殻』のバルドと、殿を務めるシズク・フィリアの激突が始まっていた。




