プリズム
「セリアさぁぁぁんっ!!」
クロエの悲鳴が中庭に木霊する。
ファルクの左手の曲刀が、無防備なセリアの脇腹へ冷酷に突き刺さろうとした――その刹那。
――バチィィッ!!
セリアの杖の先端、魔導宝石から指向性の強烈な暴風が零距離で炸裂した。
刃を完全に防ぐことは叶わず、セリアの横腹が浅く切り裂かれて鮮血が散る。だが、その風圧によって切先の侵入深度をわずか数ミリで押し留め、ファルクの体勢を一瞬だけ浮かせた。
「……チッ、零距離の衝撃波か。だが浅いな」
ファルクが舌打ちし、即座に追撃の刃を振り抜こうとする。
セリアは脇腹の激痛に脂汗を流しながらも、歯を食いしばって叫んだ。
「今です、クロエさん! あたくしの合図を待たずに撃ちなさい! 広場全体を――最大の出力で濡らし尽くすのですわ!!」
「う、あぁぁぁっ……! 水よ、満ちて全てを覆い尽くせ――ッ!!」
石柱に叩きつけられて倒れていたクロエが、痛む体で杖を握り直し、残された魔力を惜しげもなく解き放った。
アシストリングが眩い蒼光を放ち、中庭の地面を濁流のような大量の水が覆い尽くしていく。
「無駄だと言ったはずだ。いくら地面を水浸しにしたところで、影の座標は消せはしない」
ファルクはセリアの杖を蹴り飛ばし、再び影の中へと沈み込もうとする。
だが、セリアの狙いは「水攻め」ではなかった。
「……ええ、ただの水ならね! ですが、エルカ様の講義を思い出しましたわ! ――気化熱と、光の乱反射!」
セリアは蹴り飛ばされた杖を拾うことなく、右手を天へと掲げた。
「風よ、細波を巻き上げ、千の霧滴へと砕け散れ――ッ!!」
突風が地面の水たまりを一斉に巻き上げ、超微粒子の霧となって中庭全域を満たした。
紫黒の結界を通したわずかな外光が、数百万もの微細な水滴に反射し、空間全体を白く霞んだプリズムへと変貌させる。
「なっ……光が乱反射して……影の輪郭が……!?」
影の中に潜んでいたファルクの身体が、強制的に霧の中へ押し戻された。
影と実体の境界線が乱反射する光によって曖昧になり、影の中を自在に潜行する術式が完全に撹乱されたのだ。
「そこですわ、クロエさん! 二時の方角、足元の屈折が歪んでいる場所です!」
「は、はいっ……!!」
クロエが立ち上がり、アシストリングに全神経を集中させる。
エルカの教えた「水分子の回転」と「極限の収束」。
焦りも恐怖も捨て、ただ一つの標的へ向けてノズルを絞り込むように魔力を研ぎ澄ます。
「小娘どもが……舐めるなァッ!」
術式を乱されたファルクが、霧を切り裂いてクロエめがけて疾走する。
不可視の暗殺者ではなく、ただの「速い剣士」となった男の直線軌道。
「水よ、螺旋を成して芯まで貫け――ッ!!」
――ドゴォォォッ!!
空気を劈く超高圧の水流槍が、一直線に放たれた。




