水も滴る書記少女
学園の本館最上階、重厚なマホガニーの扉の奥に位置する生徒会室。
豪奢な革張りのソファに深く腰掛けた生徒会長ユリウス・フォン・グランツライヒが、白銀の髪を揺らして優雅に微笑んだ。
「呼び出しに応じてくれて感謝する。……もっとも、君のことだ。手紙を破り捨てて二度寝を決め込むかとも危惧していたがね」
「予算削減という名の脅迫状を送りつけておいて、よく言えたものですね。……用件は手紙で把握しました。さっさと詳細を提示して私を工房へ帰しなさい」
私がだるそうにソファの背もたれへ体重を預け、丸メガネを指先で押し上げる。
私の左右には、背筋を伸ばして護衛のように控えるシズクと、物珍しそうに室内を見渡すフィリア、そして副会長としてユリウスの隣に立つセリアがいた。
「相変わらず手厳しいな。……だが、話が早くて助かる。手紙にも書いた通り、来週、我が妹でもある第一王女クラリスが学園を非公式に視察する」
ユリウスの瞳から笑みが消え、冷徹な為政者の光が宿る。
「王宮内における『改革派』の旗頭であるクラリスを、良く思わない貴族院の対立派閥が存在する。今回の視察は、彼女が学園の若手魔術師たちと独自のパイプを作ることを警戒する連中にとって、格好の標的だ。……学園内に潜む暗殺部隊の影を、我々の手で未然に摘み取らねばならない」
「なるほど。王宮のドロドロとした権力闘争に、私をタダ働きで巻き込むわけですか。著しくエネルギー効率が悪いですね」
「タダとは言わないさ。任務を完遂すれば、旧研究棟の年間活動予算を倍増し、『王宮大書架』の閲覧許可証を君に譲渡しよう」
「……乗りました」
当初の目的であった、この国の全ての記録や文献が眠ると言われる大書架のフリーパス。
この男は、私の急所を的確に突くのが実に上手い。
「話がまとまったところで、今回の作戦で君たちと連携をとる生徒会の実動部隊を紹介しよう。――クロエ、入ってくれ」
ユリウスが声をかけると、控え室の扉がバタバタと慌ただしい音を立てて開いた。
「は、はいっ! 失礼いたします、会長! お茶とお菓子の準備が整いまし――ひゃわっ!?」
――ガッシャーン!
入室した途端、見事なまでに何もない平坦な絨毯に足を取られた小柄な少女が、盛大に前へとダイブした。
宙を舞う豪奢なティーカップと、熱い紅茶の入ったポット。
「あぶな――」
「させん!」
シズクが瞬時に地を蹴り、ポットと二つのカップを空中で神速キャッチ。
さらにフィリアが素早く手を伸ばし、転倒しかけた少女の襟首をガシッと掴んで見事に釣り上げた。
「……セーフ、ですわね」
セリアが呆れたようにため息をつく。
「ふえぇ……す、すいません……! またやってしまいました……! あ、熱湯がこぼれちゃう――!」
パニックになった少女が慌てて両手をかざすと、手のひらから青白い魔力光が弾けた。
「水よ集いて覆え――っ!」
――バシャァァァンッ!!
少女の放った水魔法は、こぼれかけた紅茶を見事に水球で包み込んだ……までは良かったが、魔力の制御が暴走し、そのまま天井で炸裂。
室内に激しいスコールが降り注ぎ、唱えた本人の水色のショートヘアと制服が、びしょ濡れになってペタリと張り付いた。
「…………」
「…………」
室内を支配する完全な静寂。
水も滴るドジっ子少女は、水滴をポタポタと落としながら、情けなく眉を八の字に下げてペコリと頭を下げた。
「……生徒会書記の、クロエ・レインと申します……。水系統魔導の特待生です……うぅ、ごめんなさい……」
「……ユリウス。これがあなたの誇る『実動部隊』ですか。防衛どころか味方を水没させる自爆兵器に見えますが」
私が白衣を濡らされぬよう結界障壁を展開しながら冷淡に指摘すると、ユリウスは額を押さえて苦笑いを浮かべた。
「すまないね。……ドジを踏む癖はあるが、水魔術の瞬間的な展開速度と出力に関しては学年トップなんだ。君の魔導具や戦術指南があれば、必ず優秀な戦力になる」
「私、タオルを持ってきますね!」
フィリアが駆け寄り、濡れたクロエの頭を優しく拭き始める。
私はメガネを押し上げ、濡れ鼠になって縮こまっている少女を一瞥した。
「クロエと言いましたね。……その粗雑で無駄の多い術式回路、最適化するのには協力いたします。その代わり――私の指示には一ミリの狂いもなく従いなさい」
「は、はいっ! よろしくお願いいたします、エルカ先輩っ!」
素直に目を輝かせて敬礼するクロエを加え、王女護衛に向けた奇妙な合同チームが、本格的に始動しようとしていた。




